第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. ①

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 二人の魔術師は、月明かりを背に壊れたドアから土足で踏み込んできた。

 ステイルとかんざきが目の前に現れても、もうインデックスは上条の前に立ちふさがらない。帰れと叫ぶ事もしない。まるで熱病にうなされるように全身を汗でびっしょりにして、吹けば消えてしまいそうな浅い呼吸をずっと繰り返している。

 頭痛。

 雪の降り積もるわずかな音でもがいこつが割れてしまいそうな、壮絶な頭痛。


「……、」


 上条と魔術師の間に言葉はなかった。

 土足のまま踏み込んできたステイルは、ぼうぜんと立ち尽くす上条を片手で突き飛ばした。それはさしたる威力もなかったのに、上条は踏みとどまる事もできない。まるで全身の力が抜けたように、そのまま古いたたみの上へしりもちをついてしまう。

 ステイルはかみじようの事など視線すら向けていない。

 ぐったりと手足を投げ出したまま動かないインデックスのそばにしゃがみ込んで、何かを口の中でつぶやいているようだった。

 その肩は震えていた。

 自分の最も大切な者を、目の前で傷つけられた『人間』の怒りそのままに。


クロウリーの書ムーンチヤイルドを参照。天使の捕縛法を応用し、妖精の召喚・捕獲・使役の連鎖を作る」


 意を決したように、ステイルは立ち上がる。

 こちらを振り返ったその表情には人間らしさなどじんもなく。

 そこには、たった一人の少女を助けるために人間を辞めた魔術師の顔があるだけだった。


「───かんざき、手伝え。


 ザグン、と。

 その言葉は、上条の胸の一番もろい部分に突き刺さったような気がした。


「あ……、」


 分かってる。インデックスの記憶を奪う事が、一人の少女を救う方法である事ぐらい。

 そして、かつて上条は神裂にこう言った。本当にインデックスのためだけをおもって行動するなら、記憶を殺す事をためらうな、と。何度記憶を失おうが、そのたびにもっと幸せな、もっと面白い思い出を与えてあげれば、彼女だって記憶をなくし『次の一年』を迎える事を楽しみにする事だってできるはずだ、と。

 

 


「…………、」


 上条は、知らず知らずの内につめが砕けるほどこぶしを強く握り締めていた。

 良いのか? このままあきらめるのか? 学園都市には人の記憶・精神に関連する研究施設なんていくらでもあるのに、そこにはもっと幸せな方法でインデックスを助ける方法があるかもしれないのに、ここで諦めるのか? 魔術なんて古臭い方法に、人の一番大切にしている思い出を殺すなんて世界で一番安易で、世界で一番残酷な方法に頼り続けて大丈夫なのか?

 いや、いい。

 そんなクソつまらない理屈はもうどうでも良い。

 お前は、上条とうは。

 まるでゲームのセーブデータを消すように、インデックスと共に過ごした一週間を白紙に戻される事に耐える事なんかできるのか?


「…………ま、てよ」


 そうして、上条当麻は顔を上げた。

 真正面に真正直に、インデックスを助けようとする魔術師とたいするためだけに。


「待てよ、待ってくれ! もう少しなんだ、あと少しで分かるんだ! この学園都市には二三〇万もの能力者がいる、それらを統べる研究機関だって一〇〇〇以上ある。読心能力サイコメトリー洗脳能力マリオネツテ念話能力テレキネシス思念使いマテリアライズ! 『心を操る能力者』も『心の開発をする研究所』もゴロゴロ転がってんだ、そういう所を頼っていけば、もう最悪の魔術こんなほうほうなんかに頼らなくっても済むかもしれねーんだよ!」

「……、」


 ステイル=マグヌスは一言も告げない。

 それでも、かみじようは炎の魔術師の目の前で叫び続ける。


「お前達だってこんな方法取りたかねーんだろ 心の底の底じゃほかの方法はありませんかってお祈りしてんだろ! だったらもう少し待ってくれ、おれが必ずだれもが笑って誰もが幸福な結末を探し出してみせるから! だから……っ!!」

「……、」


 ステイル=マグヌスは一言も告げない。

 どうして自分がそこまでしているのか、上条には分からない。インデックスに出会ったのはたった一週間前の出来事だ。それまでの十六年間、彼女の事を知らずに生きてきた上条なら、これから彼女がいなくなったって普通に生きていけるはずなのに。

 はずなのに、ダメだった。

 理由なんて知らない。理由なんて必要かどうかさえ分からない。

 ただ、痛かった。

 あの言葉が、あの笑顔が、あの仕草が、もう二度と自分に向けられる事がないと、

 この一週間の思い出が、他人の手によってリセットボタンを押すように軽々と真っ白に消されてしまうと、

 そんな可能性を考えるだけで、一番大切で一番優しい部分が、痛みを発した。


「……、」


 沈黙が、支配する。

 まるでエレベーターの中のような沈黙。音を発するものが何もないのではなく、その場に人がいるのに全員が押し黙っているような、かすかな息遣いだけが響く異様なまでの『沈黙サイレンス』。

 上条は、顔を上げる。

 、魔術師の顔を見る。


「言いたい事はそれだけか、出来損ないの独善者が」


 そして。

 そうして、ルーンの魔術師、ステイル=マグヌスが放った言葉はそれだった。

 彼はかみじようの言葉を聞いていなかった訳ではない。

 上条の言葉を一言一言耳に入れ、み砕き、その意味と裏側にあるおもいのすべてをみ取って。

 それでもなお、ステイル=マグヌスはまゆ一つ動かさなかった。

 上条の言葉など、たった一ミリも響いていなかった。


「邪魔だ」


 ステイルの一言。上条は、自分がどんな風に顔の筋肉を動かしているかも分からなくなる。

 そんな上条に、ステイルはたった一度のため息もつかず、


「見ろ」


 言って、ステイルは何かを指差した。

 上条がそちらへ視線を移す前に、ステイルは勢い良く上条の髪の毛をつかんだ。


「見ろ!!」


 あ、と上条の声が凍りつく。

 眼前に、今にも呼吸が止まってしまいそうなインデックスの顔があった。


「君はこの子の前で同じ台詞せりふが言えるのか?」ステイルは、震える声で、「こんな死人の一秒前みたいな人間に! 激痛でもう目を開ける事もできない病人に! ちょっと試したい事があるからそのまま待ってろなんて言えるのか!!」

「……、」


 インデックスの指が、もぞもぞと動いていた。かろうじて意識があるのか、それとも無意識の内の行動なのか、もうなまりのように動かない手を必死に動かして、上条の顔へ触れようとしている。

 まるで魔術師に髪を摑まれた上条の事を、必死に守ろうとしているように。

 自分自身の激痛なんて、どうでも良いかのごとく。


「だったら君はもう人間じゃない! 今のこの子を前に、試した事もない薬を打って顔も名前も分からない医者どもにこの子の体を好き勝手いじらせ、薬漬けにする事を良しとするだなんて、そんなものは人間の考えじゃない!」ステイルの叫びが、鼓膜を貫通して脳に突き刺さる。「───答えろ、能力者。君はまだ人間か、それとも人間を捨てたバケモノなのか!?」

「……、」


 上条は、答えられない。

 死者の心臓にさらに剣を突き刺すように、ステイルは追い討ちをかける。

 ステイルはポケットの中から、ほんの小さな十字架のついたネックレスを取り出した。


「……これはあの子の記憶を殺すのに必要な道具だ」ステイルは上条の目の前で十字架を振って、「ご推察の通り、『魔術』の一品だよ。君の右手が触れれば、僕の魔女狩りの王イノケンテイウスと同様、それだけで力を失うはずだ」


 まるで五円玉を使ったチャチな催眠術みたいに、かみじようの前で十字架が揺れる。


?」


 上条は、ギクリと凍りついたようにステイルの顔を見た。

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