第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. ②

「この子の前で、これだけ苦しんでいる女の子の前で、! そんなに自分の力を信じているなら消してみろ、能力者ヒーロー気取りの異常者ミユータントが!」


 上条は、見る。

 目の前で揺れる十字架を。人の記憶を奪う忌まわしき十字架を。

 ステイルの言う通り、これさえ奪ってしまえばインデックスの記憶の消去を止められる。

 難しい事は何もない。ただちょっと手を伸ばして、指先で軽くでてやれば良いだけだ。

 それだけだ。そのはずだ。

 上条は、震える右手を岩のように硬く握り締めて、


 けれど、できなかった。


 魔術は、『とりあえず』安全かつ確実にインデックスを救う事ができる唯一の方法だ。

 これだけ苦しんで、これだけ我慢を続けてきた女の子の前で、それを取り上げるだなんて。

 できるはずが、なかった。


「準備を合わせて、最短で……午前零時十五分、か。の力を借りて記憶を殺す」


 ステイルは、そんな上条を見てつまらなそうに言った。

 午前零時十五分────おそらく、もう一〇分間も時間はない。


「……ッ!!」


 やめろと叫びたかった。待ってくれと怒鳴りたかった。だけど、その結果苦しむのは上条ではないのだ。上条のワガママの支払いは、すべてインデックスに向かってしまうのだ。

 もう、認めろ。


『私の名前はね、インデックスって言うんだよ?』


 もう、いい加減に認めろ。


『それでね、このインデックスにおなかいっぱいご飯を食べさせてくれると私はうれしいな』


 もう、上条とうには禁書目録インデツクスを救う力も資格もないんだって、認めろ!

 上条は、叫ぶ事も、える事もできなかった。

 ただ、てんじようを見上げたまま奥歯をみ締めて……耐え切れなかった涙がまぶたから落ちた。


「……なぁ、魔術師」


 上条は本棚に背中を預けたまま、天井に視線を向けたまま、ぼうぜんつぶやいた。


おれは最後に、この子になんて言ってお別れすれば良いんだと思う?」

「そんなくだらない事にく時間などどこにもない」


 そっか、とかみじようぼうぜんと答えた。

 そのまま凍り付いてしまうのでは、という上条の有り様に、ステイルはさらに追い討ちをかける。


「ここから消えてくれないか、能力者バケモノ魔術師ステイルは上条を見て、「……君の右手は僕の炎を打ち消した。それがどういう原理かいまだに理解できないけど……それがこれから行う術式に影響を及ぼされては困るんだ」


 そっか、と上条は呆然と答えた。

 そのまま死体になってしまったように、上条は小さく笑った。


「───アイツの背中がられた時もそうだけどさ。何でおれには何もできねーのかな」


 知った事か、という目でステイルは何も答えない。


「これだけの右手を持っていて、神様の奇跡システムでも殺せるくせに」上条は、崩れ落ちるように、「……どうして、たった一人───苦しんでる女の子を助ける事もできねーのかな」


 笑っていた。

 運命をのろう事もなく、不幸のせいにする事もなく、ただ、己の無力さのみをみ締めて。

 かんざきは、つらそうに目を背けようとした後、


「儀式を行う午前零時十五分まで、まだ一〇分ほど時間が余っていますね」


 信じられないものでも見るかのように、ステイルは神裂をにらみつける。

 だが、神裂はステイルの顔を見て、小さく笑った。


「……私達が初めてあの子の記憶を消すと誓った夜は、一晩中あの子のそばで泣きじゃくっていました。そうでしょう、ステイル?」

「……ッ」ステイルは一瞬だけ息が詰まったように黙り込み、「だ、だが。今のコイツは何をするか分からないんだ。僕達が目を離したすきに心中でも図ったらどうする?」

「それなら、さっさと十字架に触れていると思いませんか? 彼がまだ『人間』だと確信していたからこそ、あなたも偽物フエイクではなく本物の十字架を使って試してみたのでしょう?」

「しかし……、」

「どの道、時が満ちるまで儀式は行えません。ここで彼の未練を残しておけば、儀式の途中で妨害が入るという危険が残りますよ。ステイル」


 ステイルは奥歯を嚙み締めた。

 ギリギリと。ステイルは今にも獣のように上条ののどを食い破ろうとする己を抑えつけて、


「一〇分間だ。良いな!?」


 バッと、きびすを返してアパートのドアへ向かった。

 神裂は何も言わずにステイルに続いて部屋を出たが、その目はとてもつらそうに笑っていた。

 バタン、とドアが閉まる。

 後には、上条とインデックスだけが残された。命をけて───上条ではなく、インデックスの命を削って手に入れた一〇分間。けれど、上条は何をして良いかも分からない。


「ぁ─────、か。ふ」


 ぐったりしたインデックスの口から声がれて、かみじようはビクンと肩を震わせた。

 インデックスが、薄目を開けていた。何で自分がとんの上なんかで寝転がっているのか、ここで眠っていたはずの上条はどこへ行ったのか、ただそれだけが心配だと言わんばかりに。

 自分の事など、すっかり忘れて。


「……、」


 上条は、奥歯をみ締めた。今の彼女の前に立つ事が、魔術師と戦う事よりこわかった。

 だけど、逃げ出す訳には、いかなかった。


「とう、ま?」


 上条が布団に近づくと、インデックスは汗びっしょりの顔であんしたように、心底安堵したようにホッと息をついた。


「……、ゴメン」


 上条は、布団のすぐ側で、うつむくようにインデックスと目を合わせながら、言った。


「……、? とうま、部屋になんか陣が張ってある」


 今まで気を失っていたインデックスには、それが二人の魔術師によって描かれたものだと分からない。布団の近くの壁に描かれた模様を見ながら、少女みたいに首をかしげている。


「……、」


 上条は一瞬、奥歯を嚙み締めた。

 ほんの一瞬。だれにも何も気づかれる間もなく、表情は戻る。


「……、回復魔法、だってさ。お前の頭痛がそんなひどくなんのがいけねーんだぞ?」

「? 魔法って……、誰が」


 そこまで言った時、ようやくインデックスは『ある可能性』に気がついた。


「!?」


 もう動かせない体を無理矢理に動かして、インデックスは跳ね起きようとする。ズキン、とその顔が苦痛にゆがんだのを見た瞬間、上条は思わずインデックスの両肩をつかんで無理矢理にでも布団に押し戻した。


「とうま! また魔術師がきたんでしょ! とうま、逃げなきゃダメだよ!!」


 インデックスは信じられないという顔で上条を見る。魔術師という存在が一体どれだけ危険なのか知っている彼女は、心の底から上条の事を心配している。


「……、もう、良いんだ。インデックス」

「とうま!」

「終わったんだよ。……もう、終わっちまったんだ」


 とうま、とインデックスは小さくつぶやいて、それから全身の力を抜いた。

 かみじようは、今の自分がどんな顔をしているか、分からなかった。


「……、ゴメン」上条は、言う。「おれ、強くなるから。もう二度と、負けねえから。お前をこんな風に扱う連中、全部残らず一人残らずぶっ飛ばせるぐらい、強くなるから…、」


 泣く事さえ、きよう

 同情を誘う事など、もってのほか。


「……待ってろよ。今度は絶対、かんぺきに助け出してみせるから」


 インデックスの目には、それがどんな風に映ったのか。

 インデックスの耳には、それがどんな風に聞こえたのか。


「分かった。待ってる」


 事情を知らなければ、敵に負けた上条が保身のためにインデックスを売ったとしか見えない。

 なのに、彼女は笑っていた。

 ボロボロの笑顔で、完璧な笑顔で、今にも崩れそうに、笑ってくれた。

 上条は、分からない。

 どうして彼女がこんなに人を信用してくれるのか、そんな事はもう分からない。

 だけど、それで覚悟は決まった。


 頭痛が治ったらこんなヤツらをやっつけて自由になろう、と言った。

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