第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. ③

 そしたら一緒に海でも行きたいけど、夏休みの補習が終わってからだな、と言った。

 いっその事、夏休みが終わったら学校ウチに転入してくるのはどうだ? と聞いた。

 いっぱい思い出を作りたいね、とインデックスは言った。

 作りたいじゃない、作るんだよ、と上条は約束した。


 ウソを、貫き通す。

 何が正しくて何が間違ってるかなんて、もうどうでも良い。冷たいだけで優しくない、正しいだけで女の子の一人も安心させられない正義なんてもういらない。

 上条とうを表す名に、正義も邪悪も必要ない。

 そんな名前は、偽善使いフオツクスワードで十二分。

 だから、上条当麻は涙の一滴さえ、こぼさなかった。

 ほんの、一滴さえ。


「……、」


 ぱたり、と音を立てて。インデックスの手から力が抜けて、とんの上に落ちた。

 再び意識を失ったインデックスは、まるで死人のようだった。


「けどさ、」


 熱病にうなされるようなインデックスの顔を見て、かみじようはそっと唇をみ締めた。


「……こんな最悪な終わり方って、ないよなぁ」


 嚙み締めた唇から、血の味がした。

 間違っていると分かっていても何もできない自分がひどく悔しかった。そう、上条には何もできない。インデックスの脳の八五%を占める一〇万三〇〇〇冊の知識をどうにかする事も、残る十五%の『思い出』を守り抜く事だって


「……、あれ?」


 と、そこまで絶望的な考えを巡らせていた上条は、ふと自分の言葉の違和感を感じ取った。


 八五%?


 ギチギチ、と。

 上条は、見る。上条は、熱病に浮かされたようなインデックスの顔を見る。

 八五%。そう、確かにかんざきは言った。インデックスの脳の八五%は一〇万三〇〇〇冊の魔道書を覚えるために使われている。そのためにインデックスは脳を圧迫されて、残る十五%ではたった一年分の思い出をめておく事しかできない、それ以上無理に『記憶』し続ければ彼女の脳はパンクしてしまう、と。

 けど、ちょっと待て。

 使

 完全記憶能力、というのがどれだけ珍しい体質かは分からない。けど、少なくても世界中を探してインデックス一人だけ、というほど珍しいものではないと思う。

 そして、ほかの完全記憶能力者は『魔術』なんて鹿げた方法で記憶を消したりはしない。

 それでも、脳を十五%も使ってたった一年分の記憶しかめられないというなら……。


「…………」


 そんな不治の病じみた体質なら、普通はもっと有名にならないか?

 いいや、それ以前に。

 神裂は一体、どうやって八五%だの十五%だのって数字を導き出した?

 それは一体、どこのだれに聞いたものなんだ?

 そして一体、


 そもそも、その八五%って情報は、本当に正しいのか?


「……やられた」


 もし、仮に。神裂が脳医学について何も知らなかったら? ただ自分の上司──教会から告げられた情報をそのままみにしているとしたら?

 何か、何かとてつもなく嫌な予感がする。

 かみじようは迷わず部屋のすみにある黒電話に飛びついた。もえ先生はどこかへ出かけている。携帯電話の番号はついさっき部屋中をひっくり返して見つけていたので問題ない。

 機械的な、ひどく人をイライラさせるコール音が続く。

 かんざきの言っている『完全記憶能力』の説明はどこか間違っていると思う。そして、その『間違い』が教会の意図的なモノだとしたら? そこに何か秘密が隠されているかもしれない。

 と、ブツッというノイズじみた音と共に電話がつながった。


「先生!!」


 上条がほとんど反射的に叫ぶように言うと、


『あ~い~。その声は上条ちゃんですね~、先生の電話を勝手に使っちゃダメですよ~う』

「……なんか、メチャクチャいい声出してんですけど」

『あい~、先生は今せんとうにいてですねー、コーヒー牛乳片手に新型マッサージの試験運用に立ち会ってるのです~、あい~』

「……、」


 上条はこのまま受話器を握りつぶそうかと思ったが今はインデックスの事の方が大事だった。


「先生。黙ってそのまま聞いてください。実はですね────」


 上条は完全記憶能力について聞いてみた。

 それはどんなものなのか? 本当に一年間の記憶をするだけで脳を十五%も使う──つまり六歳か七歳で寿命を迎えてしまうほど絶望的な体質なのかどうかを。


『そんな訳ないんですよ~』


 小萌先生は一言で切り捨てた。


『確かに完全記憶能力はどんなゴミ記憶──去年のスーパーの特売チラシとか──も忘れる事はできませんけど~、~。彼らは一〇〇年の記憶を墓まで抱えて持ってくだけです、~』


 ドグン、と上条の心臓が脈打つ。


「け、けど。仮にものすごい勢いでモノを覚えていたら? 例えば記憶力にモノを言わせて図書館にある本を全部記憶しちまったとか、そうなったら脳はパンクしちまうんですか?」

『はぁ……、上条ちゃん記録術かいはつは落第ですね~』小萌先生は幸せそうな声で、『よいですか上条ちゃん、そもそも人の「記憶」とは一つだけではありません。言葉や知識をつかさどる「意味記憶」、運動の慣れなんかを司る「手続記憶」、そして思い出を司る「エピソード記憶」ってな具合にですね~、色々あるのですよ~、いろいろ~』

「えっと、先生……。ちょっと言ってる意味が分からないんですけど」

『つまりですね~』小萌先生は説明好きっぽい喜び方をして、『それぞれの記憶は、れ物が違うんです~。燃えるゴミと燃えないゴミ、みたいな? 例えば頭をがつーんと打って記憶喪失になったって、ばぶばぶ言ってそこら辺をハイハイする訳じゃないでしょう~?』

「……て、事は」

『はい~。どれだけ図書館の本を覚えて「意味記憶」を増やした所で~、思い出を司る「エピソード記憶」が圧迫されるなんて事は、~』


 それこそ、がつーん、と頭を打たれたようだった。

 受話器が手から滑り落ちる。落ちた受話器が電話のフックに激突して通話が途切れてしまったが、もう今のかみじようにはそんな事を気にする余裕はない。

 

 


「けど、何で……?」


 上条はぼうぜんつぶやく。そう、何でだろう? 教会は元々何もしなくても安全なインデックスの事を、一年置きに処置しなければ死んでしまう体などとうそをついた?

 そして、現に上条の目の前で苦しんでいるインデックスは、とてもダミーには見えない。完全記憶能力が原因でないなら、インデックスは一体どうして苦しんでいるんだ?


「───────は、」


 そこまで考えて、不意に上条は笑い出したくなった。

 そうだ、

 一年置きに教会の技術と術式メンテナンスを受けなければ生きていけないという、首輪を。一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を握るインデックスが絶対に裏切れないようにするための、首輪を。

 もし仮に、元々インデックスは技術と術式を受けなくても大丈夫な体だったら?

 技術と術式なんて受けなくても、キチンと一人で生き続ける事ができる体だったら?

 教会は、そんなインデックスを放っておくはずがない。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を握ったままどこへ消えるかも分からないインデックスに、首輪をつけないはずがない。

 繰り返す、教会はインデックスに首輪をつけたがっていた。

 ならば話は簡単だ、


 


「───────、はは」


 そう、例えば元々一〇リットルの水が入るバケツの底にコンクリを詰めて、一リットルしか水をめないようにするように。

 インデックスの頭をいじって、『たった一年分の記憶だけで頭がパンクする』ように。

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