第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. ⑤

 かつて、上条はこのひとみを見た事がある。かんざきに背中をられ、学生寮の床に倒れている彼女が機械のようにルーン魔術について語った、あの時だ。


(魔力がないから、私には使えないの)

「……、そういやぁ、一つだけ聞いてなかったっけか」


 上条はボロボロの右手を握り締めながら、口の中で小さく言った。



 その理由が、おそらくこれだ。教会は二重三重の防御網セキユリテイを用意していた。もし仮に、だれかが『完全記憶能力』の秘密について知り、『首輪』を外そうとした場合。インデックスは自動的に一〇万三〇〇〇冊の魔道書を操り、その『最強』とも言える魔術を使って、文字通り真実を知った者の口を封じる。その自動迎撃システムを組み上げるために、インデックスの魔力はすべてそこに注ぎ込まれてしまったのだ。


「───『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の特定魔術ローカルウエポンを組み上げます」


 インデックスは、糸で操られる死体のように小さく首を曲げて、


「───侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『セントジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」


 バギン! とすさまじい音を立てて、インデックスの両目にあった二つの魔法陣が一気に拡大した。インデックスの顔の前には、直径二メートル強の魔法陣が二つ、重なるように配置してある。それは左右一つずつの眼球を中心に固定されているようで、インデックスが軽く首を動かすと空中に浮かぶ魔法陣も同じように後を追った。


「   。     、」


 インデックスが何か────もはや人の頭では理解できない『何か』を歌う。

 瞬間、インデックスの両目を中心としていた二つの魔法陣がいきなり輝いて、爆発した。ニュアンスとしては空中の一点──インデックスのけんの辺りで高圧電流の爆発が起き、四方八方へかみなりが飛び散るような感覚。

 ただし、それは青白い火花ではなく、真っ黒な雷のようなものだった。

 全く非科学的な事を言って申し訳ないが、それは空間を直接引き裂いたれつのようなものに見えた。バギン! と。二つの魔法陣の接点を中心に、ガラスに弾丸をぶち込んだように、空気に真っ黒な亀裂が四方八方へ、部屋のすみずみまで走り抜けていく。まるでそれ自体がなんぴとたりともインデックスに近づけまいとする、一つの防壁であるかのように。

 めき……、と。何かが脈動するように、れつが内側からふくらんでいく。

 わずかに開いた漆黒の亀裂のすきから流れ出るのは、獣のようなにおい。


「あ、」


 かみじようは、唐突に知った。

 それは理論や論理ではない、くつや理性ですらない。もっと根源的な、本能に近い部分が叫んでいる。あの亀裂の中にあるものが『何か』は知らない。だが、それを見たら、それを真正面から真正直に直視したら、たったそれだけで上条とうという一存在は崩壊してしまう、と。


「。は」


 上条は、震えている。

 どんどんどんどん亀裂が広がっていき、その内側から『何か』が近づいてきている事を知っても。上条は動けない。震えている、震えている、本当に震えている。だって、なら。


 ようは、『それ』さえ倒してしまえば。

 ほかだれでもない、自分自身の手でインデックスを助け出す事ができるのだから。


「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


 

 こわい? そんなはずはない。だって、ずっと待っていたんだから。神様の奇跡システムすら打ち消せると言っておきながら、不良からは逃げるしかなく、テストの点が上がる訳でもなく、女の子にモテたりする事もない、こんな役立たずな右手を持って。

 それでも、自分のせいで一人の女の子の背中がられた時。回復魔法の邪魔だと言われてアパートを飛び出した時、鋼糸ワイヤー使いのサムライ女にボコボコにやられた時! 自分の無力感をのろいながら、それでもたった一人の女の子を助けたいと、ずっとずっと願っていたんだから!

 別にこんな物語の主人公になりたかった訳じゃない。

 ただ、こんな残酷すぎる物語さえ打ち消し、引き裂くほどの力が右手に宿っているんだから!

 たった四メートル。

 もう一度、あの少女に触れるだけですべてを終わらせる事ができるのだから!

 だから、かみじようは『れつ』へ───その先にいるインデックスの元へと走った。

 その右手を握り締めて。

 こんな残酷な物語の、無限に続くつまらないつまらない結末を打ち消すために。

 同時、ベギリ────と、亀裂が一気に広がり、『開いた』。

 ニュアンスとしては、処女を無理矢理引き裂いたような痛々しさ。そして部屋の端から端まで達するほど巨大な亀裂の奥から、『何か』がのぞき込んで、


 ゴッ!! と。亀裂の奥から光の柱が襲いかかってきた。


 もうたとえるなら直径一メートルほどのレーザー兵器に近い。太陽を溶かしたような純白の光が襲いかかってきた瞬間、上条は迷わずボロボロの右手を顔の前に突き出した。

 じゅう、と熱した鉄板に肉を押し付けるような激突音。

 だが、痛みはない。熱もない。まるで消火ホースでぶちかれる水の柱を透明な壁ではじいているかのように、光の柱は上条の右手に激突した瞬間、四方八方へと飛び散っていく。

 それでも、『光の柱』そのものを完全に消し去る事はできない。

 まるでステイルの魔女狩りの王イノケンテイウスのように、消しても消してもキリがない感じ。たたみにつけた両足がじりじりと後ろへ下がり、ともすれば重圧に右手が弾き飛ばされそうになる。


(違う……これは、そんなもんじゃ…………ッ!?)


 上条は思わず空いた左手で吹き飛ばされそうな右手の手首をつかむ。右手のてのひらの皮膚がビリビリと痛みを発した。……右手の処理能力が追いつかず、ジリジリとミリ単位で光の柱が上条の方へと近づいてきているのだ。


(単純な『物量』だけじゃねえ……ッ! 光の一粒一粒の『質』がバラバラじゃねえか!!)


 ひょっとすると、インデックスは一〇万三〇〇〇冊の魔道書を使って、一〇万三〇〇〇種類もの魔術を同時に使っているのかもしれない。一冊一冊が『必殺』の意味を持つ、そのすべてを使って。

 と、アパートのドアの向こうが騒がしくなった。

 いまごろ『異変』に気づいたのか、とかみじようが思った瞬間、勢い良くドアが開いて二人の魔術師が飛び込んできた。


「くそ、何をやっている!! この期に及んでまだ悪あがきを─────!!」


 何かを叫びかけたステイルは、けれど途中で背中を殴られたように息を詰まらせた。目の前にある光の柱──そしてそれを放つインデックスを眺めて心臓が止まったような顔をしている。

 かんざきが……あれだけ孤高で最強に見えた神裂が、目の前の光景に絶句していた。


「……ど、『竜王の殺息ドラゴン・ブレス』って、そんな。そもそも何であの子が魔術なんて使えるんですか!」


 上条は振り返らない。

 振り返るだけの余裕がないのも事実だったし、もう現実インデツクスから目をらすのは嫌だった。


「おい、光の柱コイツが何だか知ってんのか!」だから、振り返らないまま叫ぶ。「コイツの名前は? 正体は!? 弱点は!? おれはどうすれば良い、一つ残らず全部まとめて片っ端から説明しやがれ!!」

「……けど、だって……何が」

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