1-②

 うすぐらい部屋の中、あまり似ていない親子はそろって小さく息をついた。

 南向きの大きな窓。

 ここに引っ越してきてからおよそ六年の間、二人が暮らす小さな借家は、南からの明るい日差しに採光の一切を頼ってきた。北に玄関、東西には数十センチのきよりん、南の方角にしか窓がないのだ。とはいえ日当たりは超良好、日が昇ってから暮れるまでの間は照明をつける必要もなかった。特に午前中の光はまばゆく、二人分の弁当を作る制服姿の竜児を、疲れ果てて眠る泰子を、雨の日以外はいつだってぜいたくに照らし続けてくれていた。

 しかしそれは、去年までの話。


「……でっけえマンション様だねえ……」

「どんなやつが住んでるんだろうな。……電気、つけるか」


 去年、この家の南の窓からほんの数メートルの距離に、地上十階建ての超豪華仕様マンションが建設されたのだ。当然ながら日差しはまったく入らなくなり、竜児は幾度となく狂おしいいらちに悩まされた──せんたくものは乾かないし、畳の隅は湿気を吸ってぶくぶくとふくれて浮き上がる。カビもえる。けつもひどい。かべのクロスの端ががれてきているのも湿気のせいに違いない。賃貸なのだから落ち着けよ、と言いたくもなるが、神経質な気のある竜児には、じゆうかんきようが不潔になることがどうしても許せなかった。

 白いれんられた豪華マンションを見上げ、それでも貧しい二人はただ口を開いて肩を寄せ合うことしかできない。


「ま、別にいいんだけどね~。やっちゃんはどうせ、午前中は寝てるしね~」

「文句をつけたところでどうなるわけでもないしな……家賃も五千円、安くなったしな」


 台所からスプーンを取って来て泰子に放ってやり、竜児はさて、と頭をいた。親子のだんらんなどしている場合ではない。そろそろ家を出る時間だ。

 学ランをり、たてにばかり成長中の身体からだを丸めてソックスを穿く。そして持っていくもののかくにんをしたあたりで、わずかな胸の高鳴りをしきした。

 そうだ。今日きようから新学期。

 始業式をして、そして──クラス替え。

 イメージチェンジには失敗したが、それでもゆううつなばかりではない。希望か期待か、とにかくそんな名称で呼ばれるべき淡い感情も、たしかにりゆうの腹をくすぐっている。それが顔に出るタイプではないのだが。


「……行ってくる。ちゃんとじまりして、パジャマに着替えろよ」

「あ~い。あっ、ねえねえ、竜ちゃん」


 布団に転がったまま、やすはスプーンを奥歯でんで子供のように微笑ほほえんだ。


「今日の竜ちゃん、なんかいつも以上にビッとしてるねえ! がんばってねん、高校二年生! やっちゃんはたいけんのゾーンだ」


 泰子は竜児を出産するために一年生で高校を中退してしまい、高校二年生の世界を知らない。いつしゆん竜児も感傷的な気分になって、


「……おう」


 ちょっと笑い、片手を上げる。自分なりの母へのかんしやの気持ちのつもりだった。だが、それがあだになった。泰子はきゃあん! と悲鳴を上げ、ゴロゴロとはげしく転がって、その一言をついに放ったのだ。放ってしまったのだ。


「竜ちゃんかっこい~! パパにどんどん似てくるねえ~!」

「……っ!」


 ──言われた。

 無言で玄関のドアを閉じ、竜児は思わず天を仰ぐ。視界がグルグルと回転し、足元から深い渦に飲み込まれていくかのような──いやだ。いやだいやだ、やめてくれ。

 それは、それだけは、絶対に言われたくない一言だったんだ。

 特に、今日みたいな日には。



 パパに似ている。

 ……その事実がどれほど竜児を悩ませているか、泰子はまったく理解できないらしい。あんな雑誌を買って、『ふんわりバングス』なんてやつを試してしまってみたりしたのも、すべてはそれが原因だったというのに。

 自宅から徒歩圏内にある高校に向かいつつ、竜児はむっつりと顔をゆがめた。それでも歩みはおおまたでまっすぐ、速度は風を切るぐらい。

 ため息をつき、無意識に前髪を指先で引っ張る。目元を隠そうとする、竜児のくせだ。そう──悩みは目元にあった。

 悪いのだ。

 視力が、じゃない。

 目つきが。

 ここ一年で急速に男臭くなってきた顔立ちは、絶世の美少年ではないかわりに、人間ばなれもしていない。まあ、一応、悪くはないはずだ。……だれもそう言ってはくれないが、少なくとも自分ではそう思っている。

 だけど目つきがすこぶる悪い。シャレにならないぐらいにやばい。

 釣り上がっている、さんぱくがんである、そういう基本は当然押さえつつ、さらに眼球そのものが大きくて、青みがかった白目の部分がギラギラと強烈な光を放っている。色のうすい黒目は小さく、見る対象をり殺そうとしているみたいにするどく動く。りゆうの意志とは無関係に、目が合った相手をいつしゆんにしてろうばいさせることができる目であるらしい。……わかる。よくわかる。自分でだって、集合写真の自分を見て「一体こいつはなにをこんなに怒っているんだ……はっ、おれか」とうろたえてしまったぐらいなのだから。

 ついでにいえば、ぶっきらぼうな性格のせいで、物言いも少々らんぼうかもしれない。それに神経質なところがあって、じようだんや軽口ともえんのないタイプ、かもしれない。あんなやすと二人暮しで、無邪気さや素直さも失ってしまっているかも知れない……なにしろ実質的なしやは自分の方だと自負しているから。

 でも、だからって──


『な、なんだたか、先生に反抗するのか!? だ、誰か、さすまたを! さすまたをーっ!』


 ──違います。提出物を忘れてしまったので、それをあやまりに来ただけなんです。


『ごごごごごめんなさいぃ、わざとじゃないんだ、あいつが押したからぶつかっちゃってええええ』


 ──肩が触ってしまったぐらいで誰が怒ると言うんだ。


『高須クンって中学の時、ほかの中学の卒業式に乗り込んでいって放送室を占拠したらしいよ』


 ──俺は腐ったみかんじゃない。


「……また、誤解を解くところから始めないといけないのか……」


 よみがえった苦い思い出に、思わずため息が漏れてしまう。

 せいせきだって悪くはない。遅刻、欠席はゼロだ。人を殴ったことどころか、本気でこうろんしたことさえもない。要するに、高須竜児はごく普通の少年でしかない。それなのに目つきが悪いせいで、ただそれだけのことで(あとはもしかしたら、たった一人の親が水商売だということもあって)、人はみな自分をものすごい不良だと思い込む。

 一年も同じクラスで付き合えば、たいていそんな馬鹿馬鹿ばかばかしい誤解も解けるのだが──一年という時間は決して短いものじゃない。特に、高校生にとっては。それなのに、今日きようからまたやり直しだ。イメージチェンジにも失敗したし。

 クラス替えは楽しみでもあった。……同じクラスになりたい相手も、いた。でも、これからのなんについて一度思いをせてしまうと、無邪気な期待はしゅるしゅると半分ぐらいにちぢんでしまう。

 それもこれも、余計な一言を吐いてくれたやすの……いや、違うか。すべては余計な遺伝子を刻みつけてくれた父親のせいだ。


『パパはね、天国にいるのお~。かっこいい人だったわあ、ビッとり込み入れたオールバックでいっつもエナメルの超とがったクツを光らせててねえ……首にはこーんなぶっといゴールドのチェーンしてソフトスーツでロレックスでえ、そんでおなかにいつも週刊誌入れてるのお~。それなあに? ってやっちゃんがいたら、いつ刺されてもいいように、って答えたのお~ああ~しびれるう~』


 うっとり語る泰子の表情を思い出す。そして、たった一枚残された写真の中の父を。

 父は、泰子の言葉どおりの姿をしていた。

 足を広げてふんぞり返った立ちポーズ。わきに抱えたセカンドバッグ。白のスーツ、ドなガラのかいきんシャツ、両手にはいくつもの金のゆびが光り、片方の耳にはダイヤのピアス……そして、『ああン?』とあごを突き上げて、こちらにせんをくれていた。片手で今より若い母の乳をんでいた。母は大きなおなかを抱えて「みゃは☆」と能天気に笑っていた。父の前歯は金歯だった。

刊行シリーズ

とらドラ・スピンオフ3!俺の弁当を見てくれの書影
とらドラノ全テ!の書影
とらドラ10!の書影
とらドラ・スピンオフ2!虎、肥ゆる秋の書影
とらドラ9!の書影
とらドラ8!の書影
とらドラ7!の書影
とらドラ6!の書影
とらドラ5!の書影
とらドラ・スピンオフ!幸福の桜色トルネードの書影
とらドラ4!の書影
とらドラ3!の書影
とらドラ2!の書影
とらドラ!の書影