1-③

 ほんとはやさしくて真面目まじめで、素人しろうとさんに手を出したことは一回もないのお~、などと泰子は言うが、本当に優しくて生真面目な人はいわゆるヤクザさんにはならないし、ぶんずっと年下の高校生を妊娠させたりもしない。第一その──その、するどい目。

 正面からにらまれたら、財布ぐらいならポンと渡しておん便びんにすませていただきたくなるような、目。理不尽なぼうりよくや脅しの手段そのものである視線。それと同じものが、この自分の顔にはまっている。……不意にりゆうは思う。自分のことを誤解するな、という方が無理な注文なのかもしれない。自分だっておくのない父のことを、こんなふうに思うのだから。

 ちなみに、父は恐らく生きているのだろう。泰子の言い分によると、手下を逃がすためにはちの巣になってよこはまの港に沈んだ、らしいのだが、墓がない。ぶつだんもない。遺骨も遺品もはいもない。そんな事件のろくもない。そして酔っ払った泰子はたまに、『パパが急に帰ってきたら、竜ちゃんどうするう? ふふふふ、なあんてねん』と意味ありげに笑うのだ。

 多分、父は、冷たい塀の中で長いお勤めをしている。そんな気がする息子であった。

 と、


「おっ、たか! おはよう、いい朝だな!」


 背後からかけられた声に気付き、振り返って手を上げた。


「おぅきたむら、おはよう」


 ──仕方がないか。竜児は思い、友人が追いつくまで足を止めて待つ。はたに見れば目をギラつかせて「あの野郎しめてやる!」という雰囲気だが、もちろんそうではない。

 ただ、おだやかに思っていただけなのだ。

 誤解されても仕方がない。誤解されたら、解けばいい。時間がかかったって、こうやっていつかはわかってくれるやつもいるんだから。そんなのはいやだけど……そうするしかないのだから、そうするしかない。

 青空を仰いで、まぶしさに目をすがめた。今日きようは快晴、風もなし。散り際の桜が音もなくい散り、りゆうの髪にやさしく降りた。

 痛々しいコンプレックスは捨てられもせずに抱えたまま、前夜磨いたローファーで再び一歩を大きく踏み出す。


 今日は見事な始業式日和びより



    ***



 うわ。たかくんと同じクラスかよ。さっすが迫力あるよな。ちょっとこわいよな。だれか話しかけてこいよ。いや、ムリだって。おまえ行けよ。って、ちょっと押すなよ。……うんぬん


(……なにを言われたって、今のおれは気にしたりなどしない)


 自分を遠巻きに見ている新しいクラスメートたちのせんを、竜児は超然とした態度で受け止めていた。に腰掛けたままわずかに背を反らし、するどい視線を遠くに投げて乾いた唇をそっとめる。足がカタカタいっているのは、しきの貧乏ゆすりだ。はたから見れば、それはか弱いものを求めていらつ肉食じゆうの姿がごとし。だが。


「相変わらず、おまえのことを変に誤解をしている奴がいるみたいだな。まあ、そのうち収まるだろう。俺も一緒だし、ほかにも元A組の奴が結構混じってるし」

「ああ。いいんだ別に、気にしちゃいない」


 今年ことしも同じクラスになれた親友・きたむらゆうさくに、竜児はうす笑顔えがおで答える。言っておくが、じようげんなのだ。決して獲物を前にして、むごい期待に舌舐めずりしているのではない。本当ならばいっそ口が裂けるほどの満面のみで、椅子からロケットで飛び立ちたいのだ。

 それはもちろん、北村と同じクラスになれたことがうれしいからではない。そんなのはせいぜい「今年も一緒だな、北村」ニコリ、程度だ。

 飛び立ちたいほど嬉しいのは──


「や、北村くん! 今年は同じクラスだね!」


 ──なんたることだ。


「ん? おお、くしえだもC組だったのか!」

「あれ、今気がついたの? もー冷たいなあ、せっかくの新学年なんだから、めい簿ぐらいちゃんと見てよね」

「すまんすまん、奇遇だな。今年ことしは部長かいがラクでいい」

「あはは、そーだね! あ、たかくん……だよね? 私のこと、覚えてるかな? 何回かきたむらくんの周辺でニアミスしてるんだけど」

「……」

「あ、あれ? 高須くんでいいんだよね?」

「……あ、う……く、」


 それはあまりに唐突な、女神らいしゆうの現場だった。

 りゆうの目の前で、明るいがおが太陽そのものみたいにまばゆはじける。失われた南の窓から差す日差しみたいな暖かさで、視界がいつしゆんにして明るく照らし出されてゆく。振りこぼれる光の粒子がまとわりついて、竜児はもはや目も開けられない。


「……くしえだ、だろ」


 ああ、なのになのになのに──! 自分の放った声のあまりにつっけんどんなひびきに、竜児は叫び出したくなる。

 なんでこんな返事しかできないんだ、なんでもっと気の利いたことを──


「あらあらまあ! フルネーム覚えてくれてたんだ、うれしいかも~! ……っと、いけねえ、あっちで呼ばれてる。そんじゃね、北村くん。ほう、今年一発目の新二年生ミーティングだよ。くれぐれも忘れないように! 高須くんもまたね!」


 クルリ、と向けられた背に、りゆうは限界ぎりぎりの愛想を……手をわずかに、上げてみせた。だが遅い、もはや彼女に見えちゃいないだろう。

 けれど。


うれしい、って言った……またね、って言った……)


 くしえだが。


(嬉しい、って言った……またね、って言った……)


 ねんがんかなって同じクラスになれた櫛枝実乃梨が。


(嬉しい、って言った……またね、って言った……)


 おれのことを、俺とのことを。


(嬉しい、って言


たか?」

「……おぅっ」


 突如至近きよからきたむらに迫られ、竜児はごとのけぞった。


「なにをニヤニヤしておるのだ?」

「い、や……別に」


 そうか、とメガネを中指で押し上げる北村に、竜児はちょっとした感嘆を禁じえない。自分のニヤニヤを感知できる人間は、おそらくこの世でこいつぐらいだ。

 そして、感嘆に値することはもうひとつ。


「……北村。おまえは、なんていうか……その……女子(=櫛枝さん)としやべるのが、上手うまいよな」

「へ? なぜだ?」


 メガネ越しに見開かれた北村の目には、けんそんではなく、純粋なおどろき。どうやら本当に自覚がないのだ。鈍感野郎を目の前にして、竜児は思わず二の句を飲み込む。

 今の櫛枝実乃梨との軽妙な会話は十分に『上手い』と──いいや、今だけではない。北村は一年のころから、同じソフトボール部に所属する櫛枝実乃梨といつもいい感じに会話をしていた。竜児はいつもその傍らで、おこぼれの微笑ほほえみやおこぼれのあいさつを、涙ぐましい努力で拾い続けていた。サッカーで言うならリベロだった。だがまだ一度もオフェンスに参加したことはない。

 そもそも「櫛枝実乃梨さんはかわいい、好きだ、仲良くなりたい」と竜児が思うようになったのも、北村と楽しげに会話をしているさまをすぐそばで見ていたのがきっかけだったのだ。

 クルクル変わる明るい表情。

 しなやかな身体からだ、おおげさな身振り。

 屈託のない笑顔えがおくもりのない声。

 だれもが恐れる自分の前でも彼女は最初からおおらかにほがらかで、一切態度を変えたりしなかった。

 そんなくしえだの、すべて。

 りゆうにとっては彼女を形作るすべての要素が、太陽の欠片かけらででもできているかのようにかがやいて見えていた。健全で、まっすぐで、なにより正しい女子の姿だと思えたのだ。

 ……それなのに、


馬鹿ばかを言うな、おれが女子としやべるのが上手うまいなんてわけがない。女子たちに、俺がなんて呼ばれているかおまえも知らないわけじゃないだろう?」


 竜児は我知らず深い息をつく。

 うらやましくて羨ましくて、こっちはきたむらの会話のようを見ているだけで目から血が出てしまいそうだというのに。しかし北村はさらに続けて、


「女子なんて俺は苦手だよ。男女交際なんて一生できる気がしない」


 この発言だ。


「……そんなこと、ねえと思うけどな……俺は」


 まぶしい貴族様を見上げ、それ以上の言葉は飲み込むことにした。いくら言ったって、こいつにはきっと理解できない。こっちがみじめな気分になる一方だ。

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とらドラ・スピンオフ3!俺の弁当を見てくれの書影
とらドラノ全テ!の書影
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とらドラ・スピンオフ2!虎、肥ゆる秋の書影
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とらドラ・スピンオフ!幸福の桜色トルネードの書影
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