1-④

 たしかに北村は、女子たちに『まるおくん』と呼ばれている。某国民的有名漫画のくそゆうとうせいキャラにそっくりだから、という理由で。度のきついメガネ、生真面目な性格、抜群のせいせきけいはくな流行とはあえて真逆を行こうとする普通とは大いにズレたかん。なにかの拍子に「ズバリ」などと言おうものなら、クラスが軽く沸くほどにそっくりだ。ついでに言えば去年はクラス委員長だったし、生徒会の副会長にもなってしまっているし、ソフトボール部の新部長にも内定しているという。そんなやつは、たしかにじようだんのネタになってしかるべきだった。

 ただし、決して顔立ちは悪くない。……いやむしろ、よく見れば意外なほどにれいととのっていると言える。さらに加えて裏表のない性格で、冗談だって通じる男で、嫌われる要素などそこにあろうわけもない。だからこそ女子にとってはからかいの対象ではあっても、嫌悪の対象とはなり得ないのだ。

 ああそうだとも──竜児にはわかる。北村は、なんだかんだ言って女子に好かれている。櫛枝実乃梨にだけではない。ほかの女子たちとも普通に会話をしているし、親しげに「あ~、今年ことしもまるおと一緒だ~」なんて声をかけられているし、「なんだ、不満か?」などと軽妙に返事もしているし。

 そのザマで、どの口が女子は苦手だなんて言う。この自分のように、嫌われてもいないくせに。そんなことを思ったそばから、


「わ……こわ……」


 ほら見ろ。まただ。

 漏れ聞こえた声を、竜児はうつむいてやり過ごすことにする。さっきまでは櫛枝実乃梨と同じクラスになったことでい上がって、なにを言われても平気な気分だったのだが、


「やっぱすげえな……ただ者じゃねえってはいがするよ」

「ああ、あの目つき。気をつけろ、げんを損ねたら消されるぞ」


 ……すっかりほうは解けてしまったらしい。悪気はないのだろうヒソヒソ声が、いつにも増して、効いてくる。

 新担任が来るまでは、トイレにでもこもっていた方が精神えいせいじよういいかもしれない。そう思って席を立ち、通路に出たところで、ぼふんと腹に軽いしようげきがあった。


「っつ……?」


 なにかにぶつかったようなのだが、目の前にはなにもない。に思い、りゆうはキョロキョロとあたりを見回す。しかし視界に入るのは、


「……げげえ……さすがたかくん……先手を打って動いたか」

「早くも頂上決戦かよ……めい簿見た時からこのクラスはやべえって思ってたけど」


 ヒソヒソとささやき交わす、新しいクラスメートの顔ばかりだ。自分の目つきのことをあれこれ言われているのだろうか。しかしそれにしても、


「……真の番長決定戦、だな……」

「いきなり最高のカードが実現しちゃったよ……」


 どうにもようがおかしくはないか。頂上決戦? 番長? 最高のカード? 一体なんの話なんだ? 首をひねって状況を理解しようと──その時。


「……ひとに、ぶつかっておいて、あやまることもできないの……?」


 どこからか静かな声が聞こえてきた。

 極端に感情の抑えられた、平板な、しかしばくはつ寸前のなにかを押し殺しているかのような、とても奇妙な語り方だ。

 声の主の姿は、ない。


「え……?」


 ほんの少しトワイライトな気分になって、竜児はゆっくりと右手を見た。だれもいない。左手を見た。誰もいない。恐る恐る、一番怖い上を見た。……よかった、誰もいない。


「ということは……」


 果たして、それはそこにいた。

 せんのずっと、ずっと下だ。竜児の胸よりもっと低いあたりに、そのつむじは存在していた。

 第一印象は『お人形』だ。

 とにかく小さかった。小さくて、長い髪がふんわりとその身体からだおおっていて、手乗りタイガー。


「……手乗りタイガー?」


 唐突に思考に割り込んできたなぞめく言葉を、思わずそのまま口にしていた。はなれたところで誰かがつぶやいたのが耳に入ってしまったらしい。

 手乗りタイガー。

 それってつまり。


だれが……」


 目の前でうつむいているお人形さんのことなのか? 手乗りってのはまあいいとして、この子のどこがタイガー? ……などと、


「……手乗りタイガー、ですって?」


 悠長に考え込んでいる場合などではなかったのだ。『それ』はわずかにあごを上げ、その二つの眼球が──



「──!」



 ──一秒の、三倍ぐらい。

 無音状態だと思ったのは、しかしりゆうの思い違いだったらしい。

 ばくだんみたいにさくれつした真空のいつしゆんが通り過ぎて、ざわめきが耳に戻ってくる。気がつけば、しりもちをついている。竜児だけではない。比較的近くにいた数人のやつらも一緒になってへたりこんであわあわ言っている。って逃げようとしている奴もいる。

 なにが起きたのか。

 わかっている。

 なにも起きてはいない。

 ただ──ただ、この、目の前の彼女が。


「……うつとうしい奴……」


 彼女が、二つの大きな眼球で、竜児をにらみつけただけ。それだけ。

 たったのそれだけのことに、そのほんの数秒のきんぱくに、竜児は圧倒されていた。圧倒されて、頭の中が真っ白になって、全身が絞り上げられ、きんばくされたように動けなくなり、そのまま文字どおり卒倒したのだ。

せん〟に、もっとせいかくにいえばそれがはらんだ迫力に、吹っ飛ばされて尻から崩れ落ちたのだった。

 モノが違いすぎる。格が、違いすぎる。完全に負けた。目つきの悪さでなら誰にも負けたことのない竜児が、圧倒的な差で負けた。

 生まれて初めて理解できた。本物の凶悪な視線には、たしかな質量にも似たぼうりよくが──いや、「殺気」が孕むのだ、と。


「……ふん……」


 永遠にも思えた数秒の後、ぐっさりとしんぞうに突き刺さったまま揺らぎもしなかった彼女の視線が、ようやくさげすみを孕んで溶けた。


りゆう、ね。……だっさ」


 めくれあがったような、うすい花びらめいた唇。放たれた言葉の弾丸は幼い少女のそれのよう。

 信じられないほどに小さな手が、ふんわりとした髪をらんぼうに払う。柔らかなぶたに半ば隠され殺気を押し殺したそのひとみは、今は人形のガラスの目そのもの。透き通り、なにも映さないうつろさでりゆうに最後のいちべつをくれた。

 ──かわいいのだ。恐ろしいことに。

 ミルク色のほおも、はいいろにけぶるようなな色合いの長い髪も、きやしやな手足も細い肩も、光る瞳を和らげるまつも。彼女は致死量の毒を孕んだあめだまみたいに愛らしい。香りだけで人を殺す、花のつぼみのようにれん

 しかし彼女ににらまれたしゆんかん、竜児はその瞳におそい掛かる肉食じゆうの姿を見ていた。それはもちろんただの幻だが、現実以上のリアルさでもって竜児を数トンの重みで押し倒し、血をふるわす声でほうこうし、こののどぶえに鼻息をかけていった。おまえなどいつでも殺せる、と。

 迫り来る、するどつめと巨大なきば。充満する獣臭と血のにおい。小さな彼女の数倍の大きさにふくらんだその幻のイメージは──とら、だった。


「あ、ああ……ああ、ああ、ああ……はいはいはいはい……」


 我知らず、竜児はこくこくとうなずいた。ポン、とひとつ手を打った。はいはいなるほど、手乗りタイガー。だれが考えたか知らないが、


「……ぴったり、じゃねえか……」


 センスを感じる。感服する。

 そして彼女は自分を見て、りゆう、とつぶやき、さげすんだ。その理由もすぐに知れた。

 しりもちをついた拍子にか、それとも幻のとらに引き裂かれたか、学ランの前が開いてしまっている。そしてシャツを透かし、やすが張り切って買ってきたヤンキーセンス丸出しの「昇り竜Tシャツ」が丸見えになってしまっていたのだった。こんな一層誤解を招きそうなしろもの、決して着たくて着たわけじゃない。だけどせんたくローテーションの都合もあるし、どうせ見えるわけもないと思ったし。

 妙に恥ずかしくなって、りゆうは慌てて前を閉じる。みっともなく床に座り込んだまま、らちものらんぼうされた女子のようなぐさで。その目の前をスタスタと横切って行くのは、

刊行シリーズ

とらドラ・スピンオフ3!俺の弁当を見てくれの書影
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とらドラ・スピンオフ2!虎、肥ゆる秋の書影
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