香坂マト
もしキリトとアスナがゾンビゲームで遊んだら
1
「ゲームのベータテスト?」
アスナのきょとんとした声は、喫茶店兼バーである《ダイシー・カフェ》の静かな店内にぽつりと響いた。
ダイシー・カフェの店主であるエギルは、厨房に引っ込んだまま、まだ戻ってくる様子はない。カウンター席でアスナの隣に座る俺は、携帯端末を取り出すといくつか操作して目的の画面を呼び出し、アスナに見せた。
「これ……」
それは近々ベータテストが予定されている、とあるVRMMOの公式サイトだった。「デッドワールド・オンライン」のタイトルロゴをはじめとして全体的に不気味で、おどろおどろしい雰囲気を受けるゲームだ。少なくともALOのような美しくワクワクするようなファンタジー世界ではない。なによりそこには、おぞましい姿をしたモンスターが……いや、モンスターと化した〝元人間〟が、今にも画面の前にいる俺たちを食い殺そうと腕を伸ばしていた。
そう、いわゆるゾンビゲームというやつだ。
「あ、無理にとは言わないからさ」
少なくとも嬉々として女の子にお薦めするゲームでないことは確かだ。俺は慌てて言い添えたが、しかしアスナの反応はやや予想をはずしたものだった。
「へぇー、ゾンビゲームのベータテストなんてやるんだ。うん、行く行く」
「えっ? でもアスナって、
「……ふっ。ナメないでよね」
アスナはなにやら不敵に口角を吊り上げると、肩にかかる長い栗色の髪をはねあげて、ふふんと胸を張った。
「私がダメなのはアストラル系。なんだかふわふわしてゆらゆらして何してくるかわからないヤツがだめなのよ。ゾンビはオッケー!」
「……違いがわからん……」
ともあれアスナが一緒なのは心強い。
「ただこのベータテスト、参加するのにいろいろ条件があるんだ」
「条件?」
「ああ。まず、〝
VRMMO開発支援パッケージ《ザ・シード》を使用して生成されたこのデッドワールド・オンラインも、例に漏れずキャラクター・コンバート機能を有している。ALOで育てたスプリガン・キリトのステータス値を相対的に引き継げるわけだ。俺の高いSTR値は、超重量級の銃火器なんかが出てきた時に役に立つだろう。
「――で、二つ目の条件がこれ」
俺が操作した携帯端末の画面を見て、アスナは目を丸くした。
「VRMMO総プレイ時間5000以上!?」
「要するに、
「猛者って……そんな人たち集めて何させようっていうのよ?」
「さてね。けど、俺はこれをDWOからのある種の挑戦状だと思ってる。〝クリアできるもんならやってみろ〟、ってな」
「……はぁん。なるほどね。キリトくんがいきなりゾンビゲームをやりたいなんて言い出した理由がわかったわ」
じとりと俺を睨んでから、アスナはあきれたように肩をすくめてみせた。
「ゲーマー心を刺激されたわけね? ……まあ、気持ちはわからないでもないけど」
「うっ……まあ、鋭いな」
図星を指されて俺は思わず視線をぐるりと一周させた。
「でもほら、ちょっと面白そうだぜ。普通のベータテストじゃないんだ。ベータテストのラスボス《ヘカトンケイル》って奴を最初に倒した
「えっ? じゃあ死んじゃったらDWOで遊べないってこと?」
「ベータテストではな。リタイアってことになって、コンバート前のゲームに戻されるらしい」
「ますます変なテストね……で、やるからには
「そりゃもちろん」
にやりと笑うと、アスナは苦笑した。
「なら付き合ってあげましょう」
2
そこは荒廃した小さな町の広場だった。いや、町よりも小さい集落、村だろうか。
ひどい有様だ。人気はなく、民家の窓は叩き割られ、車はその場に乗り捨てられている。パニックになった運転手がぶつけたのか、派手に壁に衝突してスクラップと化した車もある。あちこちで細い煙があがり、明らかに数時間前、ここで何か重大なトラブルが発生した気配があった。さらにこの廃村には、無視できない重大な違和感がある。
これほどまでの被害を見せる惨状なら、倒れている人の一人や二人いたっておかしくないのに……不気味なことに人の気配だけがそっくり消えていることだ。
「へえ……これが……デッドワールド・オンライン……」
人っ子一人いない空気はまるでホラーゲームのようで、ゾンビものは大丈夫と豪語していたアスナも、この不気味な静寂に飲まれて表情を硬くしていた。
「……大丈夫そうか?」
「こっ、これくらいの脅しビジュアル、どうってことないわ」
やせ我慢だな。そう思った瞬間、がらがらがら! と唐突に音がして、脈絡もなく近くの瓦礫が崩れた。
「きにゃあああああ!」
その音だけでアスナが悲鳴をあげて、飛びあがり、俺の腕にしがみつく。
「なに!? なに!?」
「瓦礫が崩れただけだ」
「び、びっくりした……驚かせないでよ、もう……!」
「本当に大丈夫か……?」
「だいじょうぶ」
と言いつつも涙目のアスナは離れようとしないので、やはりちょっと怖いようだ。俺はそのまま右手の人差し指と中指をそろえて横にスライドさせ、メニューウィンドウを呼び出した。半透明のパネルをくまなくチェックする。
「初期装備は……
続いて装備。俺とアスナは、そろいのカジュアルなミリタリー防具を身につけていた。
ポケットのついたタクティカルベストにカーゴパンツ。俺はTシャツ、アスナはタンクトップだ。腰のホルスターに
一通り手持ちのアイテムや装備を確認し終えた時――す、と視界の端で何かが動いた。
「!」
目を向けても、そこには無人の広場が広がるばかり。しかし確かに何かが通った証明かのように、かさりと落ち葉が舞い上がっていた。
「ね、ねえキリトくん、今なにか……」
アスナも気づいたらしい。確かに何かの気配がした、が、やすやすと肯定することを俺は少し躊躇した。セオリーで言えば、その〝何か〟はゾンビなのだが……万が一、もしその〝何か〟がゾンビではなくアスナの苦手な
と俺がいろんな意味で焦り始めたその時だ。
あぁああぁぁ……という、苦しそうで不気味なうめき声が、近くから聞こえた。
「!」
アスナと俺は同時にその声のした方……民家の車庫に目を向けた。発車しそこねたままの、中途半端に車庫から飛び出ている車の陰からようやく人間が現れたのだ。
いや、その姿はとても人間とは言えなかった。
「で、出た……!」
現れたのは、見るも無惨な、人間の死体だった。
頭部は欠け、腕はもげ、体のあちこちに致命的な傷を負って血を垂れ流している。顔色は死人と同じく真っ白で、どう見てもまともに歩ける状態ではない。しかし理性と正気を失った目は赤く光り、おぼつかない足取りながらも、確かに俺たちへの敵意を持って近づいてきた。
歩く屍――DWOでは〝アンデッド〟と呼ばれるモンスターだ。
「わぁ、すごい。本当にゾンビだ……」
女の子なら悲鳴でもあげそうなそのグロテスクな様相にもしかし、アスナはどこか感心したようにしげしげとアンデッドを眺めるのみだ。なんなら先ほどよりも少し元気を取り戻し、ようやくしがみついていた俺の腕から離れた。ゾンビものなら大丈夫――というのは本当らしい。
シナリオ通りなら、このおぞましいアンデッドの登場に俺たちプレイヤーは驚いたり怖がったりするのだろうが、雰囲気作りのための幽霊のご登場ではなくて俺はむしろ安堵していた。
ともあれ俺は腰のホルスターから
おそらく今、続々とログインしているであろう他プレイヤーの姿が一切見えないのも、わざわざ各々に異なる開始位置を与え、他者にチュートリアルを邪魔させないための配慮だろうか。
絶妙に細部のデザインが違うが、使用感はほぼ同じ。ガンシステムはGGOを踏襲しているようだ。俺はそのサークルをアンデッドの顔面部に固定する。もちろん、アンデッドはまっすぐ姿勢よく歩いてなどくれないので、ゆらゆらと不規則に頭を揺らし、体をひねらせながら、固定したバレットサークルの中で弱点の小さな頭を行ったり来たりさせている。
いわゆるゾンビゲームにおけるゾンビには、ヘッドショットが有効だ。俺は何発か撃ち込みたい衝動をこらえ、じりじりと待ち、そこに振り子のようにアンデッドの顔が来た瞬間――トリガーを引いた。
パッと赤い着弾エフェクトが額から散って、アンデッドが後方に傾ぐ。その瞬間、アンデッドの全身は叩き割られた鏡のように砕け散り、オブジェクト片となって四散した。
「……あいつら離れてる分には遅いけど、近づくと飛びついてくる。一定の距離を保って頭を狙うんだ。一応自分の背後にも気をつけて」
「頭、頭……」
アスナも俺に倣って
アンデッドのぐらついた歩き方や不規則な頭部の動きは、もちろん意図的に銃弾を当てづらくさせるためのモーションだ。一定の振り子運動ではないため、ヘッドショットが難しい。
「あーもう! 当たりそうで当たらない……!」
うぎぎ、とアスナが悔しそうに顔をしかめる。
「照準は頭を追わないで一点に決めて固定させるんだ。そこに頭が来た時を狙ってトリガーを引くとうまくいく。残弾に余裕がある時は先に足を撃って転倒させれば、頭が固定されるからヘッドショットもしやすくなる」
ダン! ズダン! と立て続けに銃声を響かせ、アスナの撃った弾が見事にアンデッドの頭に命中した。
「できた!」
言われただけでできるのはさすがである。出現した二体のアンデッドは、これでどちらも倒れて動かなくなり、数秒後に派手なエフェクトを散らして四散した。
「よし、いいぞ。これでチュートリアルは終わり――」
言いながらホルスターに
――これでチュートリアルが終わり。そんな風に思った俺は、まだまだこのDWOを舐めていた。
パリン! と何か割れる音がしたかと思うと、突如民家の窓からさらなるアンデッドが五体、出現したのである。いや、それだけでは済まなかった。ひしゃげた倉庫の中から、半開きの民家のドアから、路地の奥から……次から次へとアンデッドたちが湧いて出てきたかと思うと、こちらに向かって歩いてくる。
「……は……?」
そのアンデッドたちを見て、アスナは乾いた声を漏らした。それはそうだろう……俺だって危うく動揺で
突如現れた増援のアンデッドたちは、優に二十体を超えていたからだ。
「「はああああああああ!?」」
俺とアスナの声がハモって響く。どう考えても〝チュートリアル〟で戦わせる量ではない。
「ちょ、ちょっとキリトくん!? とんでもない数でてきたんだけど!?」
「ああ……ちょ、ちょっとこれは……予想外だな……」
冷や汗を流しながら、俺はすばやく周囲に視線を走らせた。大量のゾンビが出るシーンでは、たいてい対策用のギミックが用意されているはずだ。ガソリンを垂れ流した大型タンクローリーが都合良く横転していたり、近くに無人のガソリンスタンドがあったり、むき出しで火花を散らす配電盤が設置されていたり。それらを撃つことで大爆発や広範囲の感電を引き起こし、ゾンビを一掃したり長時間足止めできたりするのだ。なんなら雑にダイナマイトが転がってくれていてもいい――のだが。
(……ない!? なにもない!)
俺はいよいよ焦り出した。
アンデッドたちの動きはのろいが、立ち止まることはない。考える時間はあるものの、その凄惨な見た目と圧倒的な数のプレッシャーは半端なく、いやが上にも焦らされる。
俺は必死に冷静さを保ちつつ脳みそをフル回転させながら――しかしふと、この、あまりに理不尽極まりない状況に、思わず笑みすら浮かべていることに気がついた。
わざわざVRMMO経験者を集めるだけある。おそらくこのDWO、最初から問答無用の
確かに俺はつい数分前のログイン画面で、小さな違和感を覚えていた。最近のゾンビゲームは任意でゲーム自体の難易度選択ができるのが普通だ。しかしDWOにはそれがなかった。
いわゆるゾンビゲームというものはアクションゲームに分類され、プレイヤーの純粋なプレイスキルを要求される。そのため最初からいくつかの難易度が用意されているのだ。
ゲーム初心者のような超ライトプレイヤーでも気軽に、ストーリーへの没入感を阻害せず楽しめる初級難易度から、すっかりやりなれている中堅プレイヤーでも難しく感じる高難易度。そして――頭のオカシイ廃プレイヤーが嬉々として選ぶ
その難易度は道中で出現するゾンビの数や体力、拾得できるアイテムの数・種類などで調整されるのだが……ログイン後わずか数分でこの数のアンデッドに囲まれるのは、どう考えても
つまり、ぬるいゲーム体験などハナからさせる気がないということだ。
そう言われれば言われるほど、俺の腹の奥底がずくずくと燃え上がるのを感じた。ゲーマー心を煽られるとでも言うだろうか。言い知れぬ興奮を感じながら、俺は
「キリトくん、もう弾がない……!」
アスナが焦った声をあげる。俺の残弾は五発。弾の補充もなしに切り抜けられる弾数ではない。いや、誰がチュートリアルでこんな群れと戦わされると思うだろうか。
そのとき俺は、ふとあるものが目にとまった。広場の片隅に、乗り捨てられた古くさい大型バイクが転がっている。極限状態で高められた俺の視覚は、そのバイクのメーターパネルやや下部に小さく揺れるキーホルダーを、確かにとらえた。――
「アスナ! 走れ!」
叫ぶや、俺は
「メット装備して! 乗って!」
安全運転のためのヘルメットと言いたいところだが、どちらかというと対アンデッド用の防具である。俺の分はもちろんないが、気にしている場合ではない。
俺はシートに飛び乗ってさしっぱなしのキーを回した。ニュートラルランプが点灯する――ということは、このバイクはただの3Dオブジェクトじゃない。《乗り物》だ。
いける! 俺はグリップを軽くひねりつつ、その付け根にあるスタータースイッチを押し込んだ。キュキュキュッとセルの回る音がする。まだバッテリーは死んでない。だが半壊判定でも受けているのか、なかなかエンジンがかかってくれなかった。
「かかれ、かかれ!!」
その間にもアンデッドの群れはじりじりと迫ってくる。あと数歩、奴らがこちらに近づいたら、アンデッドの近接攻撃モーションの範囲内に入ってしまう。
そうしたら、アンデッド共はそれまでのトロい動きが嘘のような俊敏さで飛びついてきて、俺たちの首筋に噛みつきゲームオーバーにしてくるだろう。数体振りほどこうとも、この数に群がられたらひとたまりもない。
俺は祈るように叫んで再度スタータースイッチを押した。運営のタチの悪いトラップにはまって、まんまとチュートリアルでリタイアなんてまっぴらだ――そう思った時、ひときわ大きな震動と、確かな手応えが返ってきた。かかった!
「アスナ、つかまってろよ!」
またここでも運営の底意地の悪さが出ているのだが――窮地に現れたこの救世主は、見るからに古い大型のキャブ車だった。こんな骨董品をいきなり乗りこなせる奴が一体どれほどいるだろう。
俺はリアルでエギルの知り合いからおんぼろバイクをもらい受け、嫌というほど馴らされたが……いや、今はそれも感謝するべきか。
俺たちの乗るバイクはすでに全方位をアンデッドに囲まれ、退路なんて塞がれている。俺は腹にアスナの細い腕がまわったのを確認し、躊躇なくグリップをひねってエンジンの回転数を跳ね上げた。ブオオオン! と威嚇のように唸り声をあげて応えたバイクは、前輪を浮かせながら弾かれたように急発進。
行く手を遮るアンデッドの二、三体を弾き飛ばしながら群れの中を猛進する。テンポ良くギアチェンジを重ねてさらに加速すると、散乱する瓦礫や乗り捨てられた車たちの合間を縫うように走り抜けた。悪路にタイヤを跳ねさせながら、時折ふらりと歩くアンデッドも躱し、ようやく恐ろしい廃村を飛び出した。
村の外には国道とおぼしき大きな道路が延びている。アンデッドまみれの小さな村をあっという間にはるか彼方に置き去りにして、俺たちは強引にチュートリアルを終わらせたのだった。
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