はたらく魔王さま!SP
終章
「はい、サインでいいですか、はい……どうもご苦労様です。あ、とりあえず廊下に置いておいてください、後でこちらで仕分けますから」
芦屋は、宅配便の配達員に礼を言ってから、廊下に置かれた段ボールの山を見て苦笑する。
東京笹塚の木造アパート、ヴィラ・ローザ笹塚にその日届いた荷物の量たるや、ちょっとした青果店でも開けそうなほど膨大なものだった。
「これまた、とんでもない量だな。鈴乃が引っ越してきたときのうどん超えてんじゃねぇか?」
真奥も部屋から出てきて、共用廊下に積み上がった段ボールに目を丸くしている。
「ああ、間違いなく超えている」
荷物のもう一人の受け取り人である鈴乃がそう言って、芦屋と同じように苦笑した。
送り主は、長野県駒ヶ根市の佐々木一馬となっている。
中身は間違いなく、佐々木家の田畑で収穫された作物だろう。
一つ一つ中身を確認してみると、なんと真奥と鈴乃が隠れたスイカ畑から収穫された、2Lサイズの大玉スイカが四玉もある。一人一玉の計算だ。
そのほかにも真奥達が手ずから収穫した茄子、キュウリに加え、現地では見ることの無かったトマト、カボチャ、レタスにキャベツなど、向こう一ヶ月はスーパーで野菜を買う必要が無さそうなほどの量が送られてきていた。
もちろんこれは、佐々木家の好意であり、それぞれアルバイト代は現地できちんともらっている。
「ありがたいことです。アルバイト代だけでなくこんなにもいただきものをして、食費がどれほど助かることか。佐々木さんのお宅の仕事を引き受けて本当に良かった」
芦屋は感涙に咽ぶが、
「喜んでばかりもいられないぞアルシエル。どうやってこれだけの量を冷蔵庫に入れる」
鈴乃は早くも現実的な問題と向き合っているようだ。
「明日は三食スイカかな。ちょっと近所におすそ分けでもすっか? そうじゃねぇと悪くしちまいそうな量だぜ?」
真奥が苦笑すると、
「ねぇ、こっちの箱、手紙入ってるよ」
別の箱を開けていた漆原が、厚い封筒を手に寄ってくる。
開けてみると、中には写真が何枚かと、一馬の手による手紙、そしてなぜか、スーパーの広告紙が折りたたまれて入っている。
四人は思わず顔を見合わせる。折りたたまれた広告紙を開くと、果たして白い裏面にびっしりと、達筆なエイの文字がつづられていた。
どちらの手紙も、アルバイトを引き受けてくれたことに対するお礼と、近況報告、そしてうっすらと例の野菜泥棒の件に触れた後に、是非また来年の夏も来てくれという言葉で結ばれていた。
あの四人の男達は、最初は佐々木家への窃盗容疑で逮捕され、取り調べの末に駒ヶ根市内を荒らしまわっていた連続農作物窃盗犯であることが判明し、再逮捕の末に送検された。
驚いたことに、四人は比較的裕福な暮らしをしている、都内在住の大学生だった。
佐々木家も含め、近隣農家の被害額は数百万円に上ったが、当の窃盗犯達は、盗んだ作物を悪質な業者やネットオークションに安値で転売したり、自分達で食べるなどしてわずか十数万円程度に換金し、遊興費などに当てていたのだと言う。
農産物を田畑から直接盗む事件は全国的に多発しており、今回のこともその悪質性や、犯人が在籍していた大学が全国的に有名な高偏差値大学だったことなどもあって、かなり大々的に全国ニュースを賑わした。
いくつかのニュースの中で、彼らが逮捕された現場の不可解な点を挙げる局もあった。
事故状況を推測できない車の奇妙な破損状態。
四人の男達が一ヶ所に集められて、その全員が心神喪失状態だったこと。
鬼を見ただの、炎に包まれた女を見ただの、意味不明な供述をしていることなどだ。
だが当然真実を知る者はいないし、犯人達が供述したところで、彼らの見たものの荒唐無稽さを考えれば誰も信じることは無い。
その日以前の犯行には悪質な計画性が認められるため、心身耗弱による情状は認められないだろうと各局のコメンテーターは語っていた。
一馬も、そしてもちろんエイも、その不思議については一切手紙で触れていなかったし、これからも触れることは無いのだろう。
その代わり、二人は揃って、
『千穂の友達なら、遊びに来るだけでもいつでも大歓迎!』
と言ってくれている。
それだけで、真奥達としては真面目に働いた甲斐があったというものだ。
「漆原、次に行くときはもうちっと早起きしねぇとな」
「ええ? 僕はもうやだよ。真奥と芦屋とベルだけ行けばいいだろ」
「貴様を一人で置いていくことを、アルシエルが承服するとも思えんがな」
「ベルの言う通りだ。佐々木一族との縁はこれからも大事にしていかねばならん。次に行くときも、魔王城は全軍出撃だ」
「全軍って三人しかいないだろ! ていうか、真奥も芦屋もいつまで日本にいるつもりなんだよ! 世界征服はどうしたんだっての!」
芦屋と漆原の不毛な言い争いが始まると長い。
二人を尻目に真奥は、携帯を取り出して千穂に電話をかける。
「もしもしちーちゃん? 今平気? ああ、実は駒ヶ根から野菜が届いてさ、うん、世話になったからまずちーちゃんのお袋さんと親父さんに言っておいた方がいいかなと思って。あ、お袋さんいるの? 代わってもらえるか? ……あ、もしもし真奥です。この度は本当にお世話になって……ええ。今一馬さん達から。ん?」
ふと横を見ると、鈴乃が手を出して、電話を貸せ、というジェスチャーをしている。
「鈴乃んとこにもいただいてて、ちょっと鈴乃に代わります。ほい、今、ちーちゃんのお袋さんが」
「すまない。……もしもし鎌月です。どうも、この度は後から不躾にお邪魔したのに恐れ入ります……」
鈴乃は真奥の電話を耳に当て、電話の向こうの里穂に向かって小さくお辞儀をしている。
その姿を見ながら真奥は、このあと、鈴乃と千穂と、そして恵美と一緒に何かお礼を考えなければならないなとぼんやり考えていた。
※
『ひー、ひーのしゃしん、ほしい!』
出勤前に、アラス・ラムスに一志の写真を見せたのは失敗だったかもしれない。
恵美は、家を出る前に受け取った荷物の中に入っていた駒ヶ根の佐々木家からの手紙を手に、そう思った。
恵美と一定以上の距離を取ることができないアラス・ラムスは、恵美の出勤時は融合状態に戻り、恵美の中に存在している。
だが、その意識が覚醒していると、恵美の頭の中で延々恵美に話しかけてくるのだ。
まして、日本で初めてできた同年代の友達である佐々木一志の写真を見せてしまえば、アラス・ラムスが喜んで当然である。
「はいはい、どこかで焼き増ししてあげるから、ままこれからお仕事だからちょっと静かにしてて」
『やくそく!』
「約束ね。指切りげんまん」
『ゆびきーえんまん!』
恵美はどこまでも真剣なアラス・ラムスに微笑みながら、手の中の写真に目を落とす。
東京に帰る日の朝、駒ヶ根の佐々木家の前で、佐々木一家と恵美とアラス・ラムスと千穂と鈴乃と真奥達、そして真奥達を迎えに来た里穂も一緒に撮った写真である。
そこに写る魔王は、いつも通りの冴えない青年、真奥貞夫の姿。
だがあのとき恵美は、確かに感じた。
真奥は、僅かではあるが、悪魔型を取り戻していた。
芦屋は人間型のまま戦っていたし、すぐに真奥の魔力も感じられなくなったのでエネルギー源は決して大きくはなかったのだろうが、それでも大量の負の感情の無いあの場所でどうやって真奥が変身することができたのか。
鈴乃としばらく話し合った末に、あまり信じたくないことだが、あのカッパ館が魔力の発信源ではないかという結論に落ち着いた。
外観こそ可愛らしいカッパを模した建物だが、中の展示物は民俗学に基づいた、かなり本格的な研究施設であるらしく、中には歴史ある文物も収められていたらしい。
歴史の波に吞まれ風化したとはいえ、この地に住む人間達が古の時代から蓄積してきた、水辺の妖である『河童』への畏怖と恐怖を魔力として変換した、というのが唯一あり得る可能性だ。
後で千穂から、真奥がやたらカッパにこだわっていたという話も聞いている恵美。
最近迂闊に心を許すことが多くなりつつある魔王城の面々が、改めて恐ろしい悪魔であることと、彼らが本来の力を取り戻す可能性が日本国内に存在することを再確認する。
とはいえ、いつもの笹塚の環境に戻ってしまえば警戒しようにも普段以上に警戒することもないわけで、恵美の意識は出かける間際に見た段ボール二箱分の野菜をこれからどう食べていくかを考える方に重要度をシフトしはじめる。
「夏休み明けの顔は憂鬱そうだねー」
職場の更衣室で同僚で友人の鈴木梨香が恵美の頰を突きながら言ってきた。
「おはよう梨香。うん、憂鬱になるには贅沢な悩みなんだけど、ちょっとうちに沢山野菜が届いてね」
「野菜? 親戚からの届け物か何か?」
「うん、そんなところかな。親戚じゃないけど、長野の知り合いから……」
「ああ、そういえば長野に行ってたんだっけ」
佐々木家で働くことになるのは予定外の出来事だったが、長野に行くこと自体は特別隠すことではないので最初から梨香には伝えていたことだった。
「そ。あ、これお土産」
「お、サンキューサンキュー。……『雷鳥饅頭』って、なんか強そうだね」
「それは私も思ったわ」
「あ、そうだ! 長野って言えばさ、ねえ恵美、この話知ってる?」
梨香は、はたと思い出して手を打つと、自分の荷物が入ったロッカーの中から携帯電話を取り出し恵美に画面を向ける。
ニュースサイトが報じるトップニュースは、あの農作物泥棒達の記事だった。
「……ああ、野菜泥棒が捕まったって話? そういえばニュースになってたわね」
まさかその泥棒の車の屋根を自分が引きちぎったとは言えないので、世間話の体で頷く恵美だが梨香は首を横に振った。
「違う違う、そのちょっと下。これマジかな? そっちにいる間、地方ニュースとかになったりしてなかった?」
「え……」
恵美は梨香に言われるままにサイトの下方に目を向け、
「っ!?」
思わず、卒倒しそうになった。
「こ、これ……っ」
「うん、びっくりでしょ! ちょっと恵美に似てるなーって思って、まぁ恵美が農作業してるはずないから別人だとは思うけど、後ろ姿がなんか似てない?」
一体いつの間に、どこから撮られていたのだろう。
かなり遠い場所からだが、それは間違いなく、熊を倒した後で警察の現場検証に立ち会っている恵美の後ろ姿だった。
普段とは全く違う農作業服を着ていて顔も写っていない。
だが写真の奥、ピントの合っていない場所にカメラ側に顔を向けて立っているのは間違いなくアラス・ラムスを抱えている真奥の影だ。
もしこれで真奥とアラス・ラムスの顔が判別できていたら、恵美はあらゆる情を捨ててでも、梨香の記憶操作をしなければならなくなるところだった。
「『農家の女性が素手で熊と格闘か!?』とか、スポーツ紙も適当なこと書くよねー。普段なら笑って気にもしないけど、写真がなんとなく恵美っぽかったからつい保存しちゃったんだ」
「く、く、熊ね、そ、そうね、ニュースになってた気もするわ」
「ん? 恵美、どしたん?」
「な、なんでもな、ないわよ。さ、仕事しましょ、仕事」
恵美は固い笑いを張りつかせて、梨香を促して更衣室から出る。
「あ、ちょ、ちょっとゴメン、トイレに寄らせて」
「わ、分かったけど、恵美、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、何か朝ごはん食べ過ぎたかも……あはは」
首を傾げる梨香を待たせて、恵美はトイレに飛び込むと、鏡の前で荒い息を吐く。
『まま、だいじょぶ?』
まだ起きていたらしいアラス・ラムスが、心配そうに脳内に語りかけてくる。
「だ、大丈夫よ。別にバレてないし、動揺しちゃったけど、あれが私だってバレる理由も無いし」
冷や汗をかく自分の顔を鏡に映しながら、アラス・ラムスに答えるというより自分に言い聞かせる恵美。
だがアラス・ラムスはまだ心配そうに、こんなことを言ってきた。
『まま、くまごろし、や?』
「…………………………………………………………………………………………誰に聞いたの」
『ぱぱがいってた』
「……………………………………………………………………………………………………そう」
恵美は、先ほどの蒼白な顔から一転、あの夜よりも暗い怒りの影を顔に落としながら、小さく笑いはじめた。
「……アラス・ラムス、今日は夜に、ぱぱのところに寄りましょうねー」
『ぱぱ! よるよる!!』
「それで……ぱぱが、アラス・ラムスや一志君に何を話したのか、し─────っかり、た─────っぷり、確認しましょうね。くくくくく……」
恵美の地の底に響くような笑いはしばらく続き、トイレの前で待っていた梨香を震え上がらせる。
「え、恵美? 大丈夫? そ、その、ごめんね? 何か気ぃ悪くした?」
たまりかねてトイレを覗き込んだ梨香は、洗面台の前で不気味な笑い声を上げている恵美に恐る恐る尋ねる。
「え? ああううん、ごめんね、なんでもないの。むしろ梨香のおかげで、いいこと知っちゃった」
「へ? あ、うん、そう?」
「今日ちょっと帰りに寄る所ができたんだ。ちょっと楽しみで、おかげで今日は仕事頑張れる気がする」
「そ、そう? まぁ、なんだか知らないけど、楽しいといいね」
「ええ」
恵美は、満面の笑顔で頷いた。
「きっと、とーっても楽しいわ」
その夜、エンテ・イスラでの決戦もかくやというほどの、勇者と魔王による(一方的な)激闘が幕を開くことになるのだが、それはまた、別の話。
─ 了 ─