はたらく魔王さま!SP2

勇者、友の気持ちを喜ぶ ─ 千穂の場合 ─

 千穂は、居間のソファに座りながら、厳しく説教されていた。

「千穂、私はあなたをそんな子に育てた覚えは無いわよ」

「だって……」

 千穂は傍らで眉間に皺を寄せながら自分を見下ろす母、里穂の顔をちらりと見上げる。

「真奥さんのお宅からの帰りが遅いから何があったのかと思ったら……」

 母は呆れた様子でため息をつく。

 時間は夜の八時。アルバイトがある日ならばむしろ帰宅は早い時間ではあるのだが、当然母が怒っているのはそんな話ではない。

「でも、やっぱり私が甘やかしすぎたのがいけないのかしらね。今後もう、二度と甘い顔はしませんからね」

「お、お母さん! でもっ!!」

「黙りなさい千穂。お母さん情けないわ、まさか自分の娘がこんな……」

 母は呆れたように首を横に振り、そして厳しい声色で娘を叱りつけた。

「ゴキブリと戦えないような軟弱者だったなんて!」

「普通戦えないよっ!!」

 ここで初めて千穂は反撃した。

「どうしたって苦手なものは苦手なの! 私女の子なんだよ!!」

「お母さん、都合のいいときだけ女の子持ち出す女嫌いよ」

「都合の問題じゃないよ! 男の人だって苦手な人は苦手でしょ!!」

「黙りなさい! ゴキブリと一人で戦えないような女が一人前になれると思うの!?」

「お母さんの一人前の基準が分からない!」

 当然、と言うべきなのかどうかは分からないが、里穂は、千穂が真奥の家から帰宅する時間が遅いことを怒っているのではない。

 その理由が、ヴィラ・ローザ笹塚の廊下に現れたゴキブリが怖くてアパートから出られなかったためだということについて、怒っているのである。

「いいこと千穂。あなたが将来もし、真奥さんと結婚したとするでしょ?」

「ちょちょちょちょちょちょっとお母さん!?!?!?」

「例え話なんだから聞きなさい」

 例え話だとしても、話がすっ飛びすぎである。

「あなたが主婦になったとして、真奥さんが働きに出ている間、もし家にゴキブリが出たらどうするつもり? 真奥さんを職場からわざわざ呼び出すの? それとも真奥さんが帰ってくるまで家から逃げ出すの?」

「あの、その……」

「二人でいる間なら、まだいいわ。将来子供ができてみなさい」

「お母さんっっ!!!!!!」

「そうなったら、今度はあなたが子供を守るために戦わなきゃいけないのよ!」

「話が飛躍しすぎて何が問題なのかもう分からないよ!」

「とにかく、この家も少し古くなってるから、水回りなんかに時々出るのよ。私も極力家回りを綺麗にはするけど、もし今度ゴキブリが出たら、あなたにも協力してもらいますからね!」

「そ、そんなぁ……」

 異世界の悪魔の王や悪魔大元帥を目の前にしても平常心を失わなかった千穂が、出るかどうかも分からないゴキブリに怯えた顔をする。

「情けない声を出すんじゃありません! 殺虫剤と丸めた夕刊があれば、あなたも今日から立派な戦士よ!」

「戦士になんてなりたくない!」

「千穂、あなた自分の立場分かってる?」

「……何が」

 千穂が強情に拒絶するのを見た里穂は、片眉を上げて小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「真奥さんは、虫見てきゃーきゃー言うような女が好みなの?」

「え」

 里穂の言葉に、千穂は息を吞んだ。

「飲食業に従事する人間がゴキブリ怖いとか致命的よ。どんな清潔なキッチンにも害虫は入ってくるし、業務用のゴミ捨て場なんてゴキブリの格好の住処よ。真奥さんくらいのベテランアルバイトや店長さんは、きっとあなたが帰った後にそういうのに対応してるわよ」

「……」

「あなたの話聞いても真奥さんは芯の強い男の人みたいだから、最初のうちはゴキブリ怖がるあなたを、守りがいのある子くらいに思ってくれるかもしれないわね。でも、付き合いが長くなってそれこそ結婚すれば、そんなのは単なる生活能力の欠如よ」

「……うう」

 母の言うことに吞まれかけ、千穂は俯いてうめく。

「それに、最近のあなたの話聞いてると、どうも強敵が多そうな気配じゃないの」

「へ?」

「遊佐さんに、鎌月さん、だっけ? 綺麗でしっかりした人達なんでしょ? 一人暮らしも長いんだろうし、ゴキブリくらい平気の平左なんじゃないの?」

「うーん……」

 鈴乃は千穂と一緒にゴキブリを怖がっていたが、後から話を聞くと、手の上を歩かれた嫌悪感が先に立ったということらしい。

 母はエンテ・イスラのことなど知りはしないが、それでも恵美や鈴乃の過去を思うと、確かに彼女達が偶然遭遇したゴキブリから悲鳴を上げて逃げ回る姿は想像しにくい。

「とにかく、今後我が家では、あなたを対家庭内害虫の戦力としてカウントしますからね、覚悟しておきなさい」

「……う~~」

 拒否を認めない母の強い口調に、千穂はただうめくしかなかった。



「お母さんがあんな話するから……」

 千穂はお風呂場の脱衣所の戸を開いても、しばらく踏み込むのを躊躇ってしまった。

 水回りに出る、という言葉から、ついつい洗面台や風呂の戸の隅などに『アレ』がいないかどうか警戒してしまう。

「……あ」

 隙間を気にしていたおかげで、洗面台と洗濯機の隙間に入っている体重計が目に入った。

「そういえば……最近測ってなかった」

 古いアナログの体重計を引き出して、服を脱ぐと千穂は恐る恐る体重計に乗る。

 最近アルバイトでファーストフードを食べたり、魔王城にカロリー高めのものを差し入れたり、料理のレパートリーを増やすために自分でも色々作っては食べ作っては食べしているので若干体重が気になりはじめてはいたのだが……。

「あ……れ」

 千穂は体重計のメモリを見て、声を上げた。

 そこに指し示された数値は……。

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