はたらく魔王さま!SP2

勇者、夢を確認する ─ 恵美の場合 ─

         ※


「太ってしまいました……」

 翌朝のヴィラ・ローザ笹塚二○一号室。

 千穂は鈴乃の創作料理だという、うどんのコンフィソースアメリケーノなるものを口いっぱいに頰張りながら気落ちしたように言う。

「普通そういうときって、減量とか断食とかいう流れになるんじゃないの?」

「漆原! 佐々木さんに失礼なことを言うな!」

 漆原の突っ込みを芦屋が窘めるが、千穂は小さく首を横に振る。

「ダイエットしたいのはやまやまですけど、私、食べるの好きなんです」

 と、身も蓋もない釈明。

「千穂殿の場合、どこが増量したかにもよるが……」

「なんだ? 鈴乃」

「あ、いや、なんでもない」

 真奥に小声の呟きを拾われた鈴乃は慌てて首を横に振る。

「それに、毎日暑いし、部活やバイトもあるのに、食べなくなったら倒れちゃいます。きちんと食べて、その分お仕事や部活のときに意識して動けば、いいかなって思って」

「漆原、聞いたか」

「芦屋が説教振ってくると思ったらから聞いてないよ」

 千穂の、若者の模範中の模範としか言いようのない志の千分の一でも漆原にあればと思わざるを得ない芦屋である。

「それでなんですけど、鈴乃さん」

「うん?」

「鈴乃さんって、昔どんな運動してたんですか?」

「うん???」

 鈴乃は千穂の質問の意図が分からず首を傾げる。

「鈴乃さん、都庁の屋上から飛び降りてもなんともないじゃないですか」

「ああ」

「あんな大きなハンマーを片手で振り回したり」

「うむ」

「私がどんなに筋トレしても、都庁の屋上から飛び降りたらぺしゃんこになると思うんですよ」

「ぺしゃんこじゃ済まねぇと思うから、実行に移さないでくれよ?」

「真奥さん大丈夫です、分かってますから」

 心配する真奥に、千穂は慌てたように手を振る。

「真奥さん達は悪魔だし、遊佐さんは半分天使だって言ってたからなんとなくどんな凄いことしてもああ、そういうものなのかなって思っちゃうんですけど、でも鈴乃さんは普通の、って言ったら失礼かもしれませんけど、人間なんですよね」

「まぁ、そうだな」

 鈴乃は箸を箸置きに置いて、グラスの水を一口飲んでから頷く。

「でも日本の人間……っていうか世界中のオリンピックのメダリストとか軍人さんとか凄く体を鍛えてる人でも、鈴乃さんみたいなことできないと思うんです。この違いはなんなのかなって」

「まぁ、聖法気や法術の有無による差は大きいとは思うが……」

 鈴乃は考え込み、

「実際、どうなのだろうな。私と千穂殿の間に、そこまで極端な力の差はあるのだろうか」

「いや、それはあるだろ。お前が持ってきたあのうどん、普通の重さじゃなかったぞ」

 話の雲行きが怪しくなってきたのを察した真奥が割って入るが、千穂も鈴乃も意に介さない。

「ちーちゃん。恵美にしろ鈴乃にしろ特殊な訓練受けてる人間だから。エンテ・イスラの人間全部がこいつらと同じバカみてぇな力持ってるわけじゃねぇから。ちーちゃんが今から訓練してもこうはならないからな?」

「何がバカみたいなだ、失礼な」

「真奥さん、私も、遊佐さんや鈴乃さんみたいに戦う力が欲しいとかそういうんじゃないんです。ただ……」

「ただ?」

「昨日……ちょっと色々あって……」

「ああ、漆原がなんか迷惑かけたんだってな」

「だからあれは僕だけのせいじゃないって言ってるだろ!」

 漆原の抗議をスルーして、千穂は続ける。

「心を鍛えるには、体も強くないといけないと思ったんです」

「「「は?」」」

 男性三人は、千穂の修行僧か武道家のような発言に目を丸くする。

「丁度太っちゃったし、折角身近にすごく強いお友達がいるんだから、色々教えてもらって強い心と体と、ついでにダイエットもできれば一石二鳥かなって思ったんです」

 ダイエットという動機づけは分からないでもないが、それが何故心と体を鍛えることに繫がるのか、いまいち真奥には分からなかった。

 だが、

「……ふむ、心を鍛える、か」

 鈴乃の琴線には、何か響くものがあったのだろうか。

 なぜか鈴乃はちらりと真奥を横目に見ながら、大きく頷いて膝を打った。

「分かった。千穂殿の頼みだ。法術や戦闘技術というわけにはいかないが、神学校や修道会などで初等科の修行僧が学ぶ、精神修養のための体操を教えよう。ゆったりした動きに見えてなかなかに全身を万遍なく動かす体操だ。それなりにきついぞ」

「はいっ! お願いします!」

「「「…………」」」

 女子二人の妙に熱い会話を見ながら、真奥と芦屋と漆原はただ無言であった。



「一体どうしちまったんだちーちゃん。昨日、本当何があったんだよ。ゴキブリが出たってだけじゃねぇのか」

「そのはずなのですが……」

 真奥と芦屋は、アパートの裏庭を窓から見下ろしながら首を傾げる。

 裏庭では、一度帰宅してから運動着に着替えてきた千穂と、先日購入した日焼け止めをしっかり塗った鈴乃が、修行僧が学ぶという体操を熱心に繰り返していた。

「この暑いのによくやるよねー」

「漆原、貴様はもう少し、佐々木さんのように心と体を鍛えようとは思わんのか」

「体は今更鍛える必要なんて無いし、心もどんな罵詈雑言にも耐える自信があるから別に」

「ちーちゃんはそういう方面に心を鍛えたいんじゃねぇと思うが……」

 漆原の『ものは言いよう』に、真奥は苦笑する。

「昨日は、こちらにもベルの部屋にもゴキブリが現れて、こちらのものは漆原が多大な犠牲を出した末に退治しましたが、ベルの部屋に現れたものはベルの手の上を歩いた末に素早い身のこなしでなかなか尻尾を摑ませず……」

「うぇ、手の上歩かれるとか考えたくねぇな」

「あれ、真奥は苦手なの? ちょっと意外」

「そりゃ好きにはなれねぇだろあんなの」

「魔界にはあんなのお話にならないような魔虫がいっぱいいたじゃん」

「そういう問題じゃねえよ。いる場所だよいる場所。俺だって、あの虫が緑あふれる森の中の草葉の蔭で鈴のような音色で鳴く、夏の間の二週間しか生きられないような儚い虫だったら嫌いにはならねぇよ」

「そこまで行くと、もはや別種の生物ですね」

「でもあいつら、大体じめじめした薄汚い所にいて、異常に生命力強くて、数が半端に多くて、それにやっぱあのわちゃわちゃした動きは生理的に受けつけねぇよ」

 閉店作業のゴミ捨てで、集積所に行くとよく遭遇するのだ。

 日本の動植物についての知識が無かった頃はそんな生き物もいるか程度の認識だったが、日本での生活が長くなり、周囲の人間の反応や、接触するタイミングなどの経験の蓄積で、段々と苦手になってしまったのだ。

「えー、じゃあ真奥、実は戦えない感じ?」

「戦えるよ。戦えるけど、その相手が得意な相手とは限らないだろ。例えばワイバーンを扱えても、今アパートの裏庭でいきなり蛇に出くわしたら、多分俺大声上げるぞ」

「それもそうか。蚊とか蠅とか、別に怖くはないけど好きな人はいないみたいなものか」

「そういうことだな。ちーちゃん割となんでもできて弱点とか無さそうに思えたから、ゴキブリが苦手ってのはある意味予想外というか……まぁ高校生だから閉店時間までいること無いし、マグロナルドの店内で見ることって滅多に無いからな」

「滅多に、ということは、あの木崎店長が管理する店舗でも、現れることがあるのですか」

 意外そうに言う芦屋に、真奥は神妙に頷く。

「木崎さん曰く、どんな高層ビルのキッチンでも、完全にシャットアウトするのは難しいらしいぜ」

「じゃあこのボロアパートなんかじゃ、絶対無理だね」

「だから日々、私が掃除をしているのだろうが! そういえば漆原、貴様またアイスの袋の内側を水ですすがなかったな? そういう所に、小蠅やゴキブリは引き寄せられるのだぞ!」

「はいはい、ごめんなさい」

「だからそういう心の強度を持つなっての……おい芦屋。そうは言っても暑いから、後でちーちゃんに氷入れて麦茶でも持っていってやれ」

「御意に」

 芦屋が恭しく主命を拝し、頭を下げる。

「そこで体側を限界まで伸ばす、その姿勢のまま、踵を下ろせ」

「の、伸びます、凄く……」

 すぐ下から聞こえる鈴乃と千穂のやりとりを聞くともなしに聞きながら、

「ちーちゃんほど、心の芯の強い子もいねぇと思うがなぁ」

 真奥はほんの数日前の、自分に向けられた千穂の心の底からの言葉を思い出す。

「何、どうしたの、真奥」

「ん」

 漆原の問いに、真奥は肩を竦めた。

「自分の気持ちを、完全に自分で制御できる奴が、どれくらい世の中にいるのかってふと思ってな」

「僕は何があっても自分がブレない自信はあるよ」

「だからそういう意味じゃねぇっての」

 真奥の脳裏に、悪魔であろうと、魔王であろうと、全ての真実を知っても尚、自分のことを好きだと言った千穂の笑顔が、幻のように浮かぶ。


         ※


「それで、結局どうなったの?」

 自宅で鈴乃からの電話を受けた恵美は、話の先を促す。

『別にどうもしない。教会騎士の訓練準備のための体操を少し教えてそれで終わりだ。もちろん千穂殿に法術を教えるような真似はしていないぞ』

「まぁ、教えたって聖法気が無きゃどうにもならないだろうけど……」

 鈴乃の声の背後には、雑踏の気配がする。

 駅かどこかの公衆電話からかけてきているのだろう。

『エミリア』

「何?」

『今なら、あのときのエミリアの真意が、少し分かる』

「なんの話?」

 あのとき、というのがどのときのことを表すのか分からずに尋ね返すと、鈴乃が少し微笑む気配が伝わってきた。

『友を泣かせた事実に目を瞑る平和に意味など無い、という話だ』

「ああ……」

 鈴乃が己の正体を千穂に明かしたその日のこと。

 鈴乃は恵美に、魔王討つべしと進言し、千穂の記憶を含めた真奥の痕跡の一切を、日本から消し去ろうとした。

 そのとき、魔王を討つべきでないと千穂の味方をしたのが、他ならぬ恵美であった。

『千穂殿が何故、突然心身を鍛えたいと言い出したと思う?』

「さぁ……千穂ちゃん時々、もの凄く深いこと考えてるから、色々想像はできるけど」

『つい昨日のことだ。アパートにゴキブリが出てな』

「うわ」

『それに怯えてしまったのが、情けなかったそうだ』

「それって、別に当たり前のことだと思うけど。私だってあれは嫌よ」

『恥ずかしい話だが、私も相当取り乱した。だがな、千穂殿は言ったんだ。力では敵わなくても、私やエミリアに負けない強い心を手に入れたい、虫如きに怯えていては、魔王に幻滅されてしまうと』

「……千穂ちゃんらしいわね」

 時々千穂は、恵美や鈴乃を妙に買い被って過大評価をしてくれるきらいがある。

 だからこそ、自分が鍛えられるところを強くしようと、必死になっているのかもしれない。

『ああ、私もそう思う。だが私が嬉しかったのは、そんなことを朗らかな笑顔で私に話してくれたことだ。一度は千穂殿の心を踏みにじったこの私を、友と呼んでくれたことだ』

「ベル……」

『魔王を異性として思慕していることについては、応援できないのは確かだ。だが私は、あのどこまでも純粋な健気さを、もう無視できそうにない』

「あなたも、大分千穂ちゃんに毒されちゃったわね」

 恵美は苦笑する。

『そうだな。私自身不思議なのだが、まるで憑きものが落ちたように、今はそのことが少しも不愉快ではない。千穂殿と共にいる時間が、私の「日常」になりつつある』

「そっか」

 恵美は思わず微笑んで、見えない電話の向こうにいる鈴乃に頷いた。

「でも、それはそれで大変よー。どうにもならない悩みを抱え込むことになるからね」

『覚悟の上だ』

 鈴乃の言葉と意志に、迷いや偽りは微塵も感じられなかった。

 だから恵美は、鈴乃の正体を知り、サリエルの事件がひとまず収束して尚、彼女に言わなかったことを口にした。

「ところでさっきの肉体の強さと聖法気の関係性の話で思い出したんだけど、あなた、日本に長くいるなら聖法気を補充するアテはあるの?」

 恵美はソファから立ち上がると、部屋の隅に積まれている段ボールに歩み寄る。

「うん、実はエメ……そう、エメラダ・エトゥーヴァが送ってくれた、聖法気補充ドリンクがあるのよ。もし良かったら今度そっちに行くときに、おすそ分けするわよ」

 恵美は、聖法気補充ドリンク、ホーリービタンβの小分けの箱を段ボールから取り出しながら、新しい『友』との相談ごとを進める。

「あと、携帯電話買う話だけど、もう少しすると新規加入者対象の大幅割引キャンペーンが始まるの。そのとき一緒に買いに行きましょ。うん、はい、はーい、それじゃあね」

 通話を終えると恵美は、贔屓のキャラクターであるリラックス熊の表示された待ち受け画面を見ながら、苦笑する。

「悪い気はしないけど、なんだか、不思議な感じね」

 もう鈴乃を警戒する必要はあるまい。

 千穂とも良い関係を築けているようだし、恵美の思い描く理想も分かってくれたようだ。

 これで一つ、恵美の懸案事項が完全に解消されたことになる。

 だが、千穂も、鈴乃も、真奥を追って日本に来なければ、決して出会うことのなかった友なのだと思うと、

「でも、そんな私達の間にいるのが魔王っていうのが、凄く癪だわ」

 折角浮かんだ笑顔が、妙にひねくれたものになってしまうのだった。

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