ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる

第2話:種馬騎士、近衛連隊長と和解する


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 シシュカがラスのために用意した着替えは、極東騎兵師団の礼装だった。

 アルギル皇国の東の果て、極東伯領はラスの出身地だ。

 そして書類の上ではラスは今でも、東の国境防衛をになう極東伯軍の一員ということになっている。ラスの実の父親にして極東の領主である人物──ヴェレディカ極東伯が、そうなるように仕組んだからだ。

 親の愛情などという上等な理由からではない。隣国との戦になったときに備えて、一人でも多くのれんを手元に置いておくためである。

 そんな物騒な理由でラスに与えられた礼装が、極東伯領から遠く離れたこの皇宮に、なぜか用意されている。その事実に、ラスは警戒心を抱かずにはいられない。


「世話になったな、シシュカ・クラミナ」

もつたいないお言葉です。行ってらっしゃいませ、ターリオン様」


 礼装への着替えを終えたラスを、シシュカは深々と頭を下げて送り出した。

 あいはないが、肝の据わった有能な娘だ。さすが皇太子付きの侍女というだけのことはある。

 ラスが皇帝への謁見を拒否して逃げ出せば、彼女が責任を問われることになるのだろう。それがわかっているから、ラスは大人しく謁見に臨むしかない。

 アリオールは、そうなることを見越してシシュカ一人にラスの世話を任せたのだ。女に甘いラスの性格を利用した、計算高いやり口だ。

 ラスの知る皇太子アリオールは、そういう細かな駆け引きを得意とする人間ではなかった。おそらくそれはカナレイカも同じだ。

 ラスを利用するために、彼らの背後で策略を巡らせている人間がいるのだ。

 真っ先に思い浮かんだのは、カナレイカと一緒にいた銀髪の女性のことだった。

 二年前に死んだ皇女フィアールカと同じ、すみれいろの瞳を持つ女だ。

 彼女が、フィアールカそっくりに化けていた理由はわかっていた。ラスを動揺させるためには、それがもっとも効果的だからだ。

 事実、戦闘中に心を乱したラスは、あっさりと彼女に隙を突かれて捕まった。

 不愉快な話だが、それはいい。あんなさんな変装で、ラスをだませるのは一度きり。何度も使えるような手ではないからだ。

 しかし、彼女の正体は気になった。そして彼女ほどの策略家を手に入れた皇太子が、今さらラスを皇宮に呼び寄せて依頼したいという仕事の内容も──

 そんなことを考えながら、ラスは皇宮内の控えの間へと向かった。

 皇帝との謁見を許された者が、待機しておく部屋である。

 部屋に通じる回廊の途中で、数人の男たちとすれ違う。

 皇宮に仕官している宮廷貴族たちだ。


極東の種馬ザ・スタリオンか……よくもまあ、おめおめと皇宮に顔を出せたものだな」

「商都のしようだけでは物足りず、皇都の女をらしに来たんですかな」

「アリオール殿下にも困ったものですな。いくら士官学校時代のご学友とはいえ、あのようなペテン師を皇宮に招き入れるとは」


 貴族の男たちが、わざとらしい口調で陰口をたたく。あえてラスに聞かせているのだろう。

 ラスが文句を言ったところで、彼らがラスを中傷していたという証拠はなにも残っていない。むしろ騒ぎを起こしたラスの立場が悪くなるだけだ。

 もっともラスは彼らの罵倒になんのつうようも感じていない。その程度の悪口には慣れているし、そもそもラスは望んで皇宮に来たわけではないからだ。

 一方でそんな貴族たちの態度に、素直に腹を立てる者もいた。



「──反論しないのですか、ターリオンきよう



 控えの間の前で待ち構えていた女性が、ラスをとがめるように声をかけてきた。

 ラスにとっては意外な人物。黒髪のこのれんたいちようだ。


「カナレイカ・アルアーシュ……?」

「なぜ言われっぱなしになっているのです。あのような悪評を放置してよいのですか?」


 いぶかるラスに詰め寄りながら、カナレイカが抗議する。ラスをこき下ろした宮廷貴族たちに対して、なぜか彼女はいきどおりを覚えているらしい。


「どうしたんだ、アルアーシュきよう? 昨日とはずいぶん態度が違うな」


 ラスは困惑しながらかえす。昨晩までのカナレイカは、むしろラスを中傷する側の人間だったはずである。

 それについては自覚があるのか、カナレイカは気まずげな表情になって目を伏せた。


「あなたに関する報告書を読みました」

「報告書?」

「殿下は以前から、あなたの行動を監視していたようです。ヴェレディカ極東伯と協力して」

「……なるほど。それで?」

「貴公が口説き落としたと街でうわさされている女性たち──彼女たちは様々な問題を抱えていたそうですね。家庭内暴力の被害者であったり、横暴な雇い主の下で奴隷のような労働を強制されていたり、あるいは犯罪組織の幹部の愛人として組織の会計業務を任されていたり」


 カナレイカが生真面目な口調で説明する。

 ラスは黙って顔をしかめた。カナレイカが口にした女性たちには、たしかに心当たりがある。ラスが監視されていたという彼女の言葉は事実らしい。


「あなたは女性たちを解放しただけでなく、結果的に犯罪者たちの粛正も行っている。しかも、それを人々に知られることなく、ひっそりと」

「べつに好きでやってるわけじゃない。借金のカタに、そういう仕事を受けただけだ。しようかんのツケがたまっていたからな」


 ラスはぞんざいな口調で言った。

 カナレイカはそれを聞いて、むしろ我が意を得たりとばかりに勢いよくうなずく。


「あなたが入り浸っていたという、しようかんのこともわかっています。しようかんのオーナーはフォン・シジェル──〝黒の剣聖〟ですね。あなたはしようかんがよいをしていると見せかけて、剣聖の指導を受けておられたのですね」

「そうは言っても、しようかんしようかんだしな……」


 鼻息も荒く身を乗り出すカナレイカに圧倒されながら、ラスはますます渋面になる。

 黒の剣聖フォン・シジェルは、このダナキル大陸に四人しかいない剣聖の一人。大陸全土に名をとどろかせる、最強クラスのれん使つかいだ。

 実年齢は五十歳を超えているはずだが、見た目はせいぜい二十歳を過ぎたばかりにしか見えない。まさしく人の姿をした怪物。じんを超越した化け物である。

 そんな彼女が皇国に住み着いたのは二十数年前。砂龍との戦いに挑んだ若き日のアルギル皇帝の窮地を救ったことがきっかけだったという。

 そして砂龍討伐から生還し、なんでも望むほうを取らせると告げた皇帝にフォンが要求したのが、皇国内におけるしようかんの営業許可だった。

 以来、フォンはこうきゆうしようかんの女主人として、商都の繁華街で悠々自適の生活を続けている。

 ラスはわけあって二年前、そんな彼女に、弟子として半ば無理やりに引き取られたのだ。


「いえ。謙遜は結構です。素手でたたられた我が愛剣が、貴公の実力を示すなによりの証拠」


 腰にいた細剣の柄に手を触れて、カナレイカは一方的に決めつけた。そして彼女はラスに向かって、首を差し出すように深々と頭を下げる。


「……おい、アルアーシュきよう?」

「カナレイカとお呼びください、ターリオンきよう


 戸惑うラスに向かって、黒髪のおんなれんが告げた。

 最強の皇宮衛士インペリアルガードと呼ばれるカナレイカが、〝極東の種馬ザ・スタリオン〟に頭を下げている。そんな異常な事態に気づいて、周囲にいた侍女や官僚たちがどよめき始める。


「昨夜の私の非礼をおびします。よもや黒の剣聖の高弟に剣を向けるとは。この不始末、いかようにも──」

「わかった。わかったから顔を上げてくれ、カナレイカ」


 ラスはうんざりしながら懇願した。

 化粧っ気こそ乏しいものの、カナレイカは美人でスタイルもいい。

 おまけに皇太子の護衛に選ばれるくらいだから恋愛方面は間違いなく潔癖──というよりも経験皆無だろう。

 そんな彼女と、で知られた〝極東の種馬ザ・スタリオン〟の組み合わせは、確実に人々の興味をきつける。

 かつな行動をすれば、その話題はたちまち皇宮中に広まるだろう。皇帝との謁見を前にして、皇宮衛士にまで手を出したという不名誉なうわさを立てられたらかなわない。


「俺を信用してもらえるのはありがたいが、少し極端過ぎるだろ。変な男にだまされないように気をつけたほうがいいぞ」


 ようやく姿勢を正したカナレイカに、ラスは疲れた口調で警告する。

 カナレイカは、不満そうに小さく唇をとがらせて首を振った。


「報告書を読んだからというだけの理由で、あなたへの評価を改めたわけではありません」

「ほかに評価が上がるような要素がなにかあったか?」


 ラスが疑わしげな視線をカナレイカに向けた。

 黒髪のおんなれんは、力強く微笑ほほえんで首肯する。


「殿下があなたを信じておられますから。あなたならば、我々を窮地から救えると」

「……我々? きみと皇太子アルのことか?」


 ラスは、カナレイカのもつたいぶった言い回しに違和感を覚えてかえす。

 カナレイカはゆっくりと首を振り、真剣なまなしでラスを見た。

 そして彼女は、かろうじてラスにだけ聞こえる小声できっぱりと言い切った。



「いいえ。窮地にあるのはこの国──アルギル皇国そのものです」

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ソード・オブ・スタリオン2 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられるの書影
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