ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる

第4話:種馬騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる


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 どういうことだ、とラスは声を出さずに独りごちる。

 フリーのようへいとして暮らしていたラスが、プロウスの花街を歩いていたのは昨晩のことだ。

 しかしそれから半日あまりで、ラスの置かれている状況は激変した。

 拉致同然に皇都に連れこまれ、皇帝に謁見し、さらには筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーの肩書きを押しつけられた。

 いったいなぜこんなことになっているのか、ラスにはなにもわからない。

 唯一明らかになっているのは、この状況を仕組んだのが、皇太子アリオールだということだ。

 そして彼の手足となって動いているのが、こうぐうこのだんの連隊長カナレイカ・アルアーシュである。


「なにをたくらんでいるのか、そろそろ聞かせてもらおうか?」


 控えの間から出たラスは、周囲に人の気配がないことを確認してカナレイカに問いかけた。その目がろんげに細められているのは、当然の成り行きというものだ。


たくらんでいるとは、どういうことです?」


 カナレイカがいぶかるように眉を寄せる。ラスはハッと乱暴に息を吐き捨てた。


「今さらとぼけるのはなしにしてくれ。まともに考えたら、陛下が俺なんかをガード・オブ・シルバーに任命するはずがない。つまり、まともじゃない理由があるってことだ。陛下の頭がおかしくなったんじゃなければな」


 不敬極まりないラスの発言を聞いても、カナレイカはそれをとがめようとはしなかった。ただいつもの生真面目な口調で反論する。


「あなたを筆頭皇宮衛士に任命するのが、おかしなこととは思いませんが?」

皇太子アルの報告書を読んだからか?」

「いえ。筆頭皇宮衛士というのが皇国の最強の兵士に与えられる肩書きなら、あなた以上に相応ふさわしい人物は存在しません。少なくとも励起状態の石剣を素手でたたる人間を、私はあなたのほかには知りませんから」

「あんなものは手品と同じだ。ちょっとしたコツがあるんだよ」


 ラスはどうでもいいことのように肩をすくめた。

 れんたちが石剣と呼んでいる武器の正体は、二酸化ジルコニウムにアルミナなどを添加したジルコニア複合材料──いわゆるセラミックス剣である。

 セラミックス剣は高い硬度と耐摩耗性を持つが、かいじんせいが低く、衝撃に弱い。つまり硬いが、もろいのだ。

 れんをまとって強化しても、その基本的な特性までは変えられない。ラスの攻撃は、その石剣の構造的な欠点を利用したものだった。


「……そのコツをとくする前に、普通の人間は命を落とすと思いますが」

「剣を素手で折ることができたところで、たいした意味はないって話だよ。実際、きみの剣をへし折ったあとに、もう一人にあっさり倒されたしな」


 ラスが自嘲の笑みを浮かべて反論する。しかしカナレイカは真顔で首を振った。


「あれは彼女の策を褒めるべきでしょう。くなられたはずのフィアールカ殿下の姿を見れば、必ずあなたは隙を見せると彼女は確信していましたから」

「だからフィアールカに変装していたのか。悪趣味だな」


 ラスが軽蔑のまなしをカナレイカに向けた。

 あの程度のことで心を乱すラスが甘いと言われれば、そのとおりだろう。

 だが、彼女たちがラスを捕らえるために死んだ皇女の姿を利用したのは事実だ。少なくとも皇宮衛士インペリアルガード相応ふさわしい振る舞いとはいえない。

 しかしラスの冷ややかな視線を浴びても、カナレイカがひるむ様子はなかった。むしろ彼女の口元は、どこか満足げにほころんでいる。


「愛しておられるのですね、あの方のことを。今でも」

「関係ないな。死人が墓からしてきたら、相手が誰でも普通に驚くだろ」

「では、そういうことにしておきます」


 カナレイカが笑い含みの口調で言った。ラスは無言で顔をしかめる。

 そのまましばらく歩き続けたところで、ラスは不意に足を止めた。自分たちがいる場所が、皇宮の裏御殿に向かう通路だと気づいたからだ。


「行き先が違うんじゃないか、カナレイカ。この先は皇族の居住区だぞ」

「いえ、この回廊で合っています。今日からあなたは、殿下と同じ部屋で暮らしていただくことになりますから」

「……なんだと?」


 カナレイカの説明に、ラスは思わず眉をげた。

 皇太子アリオールとラスは互いに知らない仲ではない。皇女フイアールカと幼なじみということは、当然、その双子の兄である皇太子とも同様の関係だ。

 月並みな表現を使えば、親友という言葉がいちばん近い。

 だがそれは二年前までの話である。

 フィアールカが死んで以来、ラスはアリオールと一度も話をしていない。

 上位龍との死闘で負った傷が癒えると同時に、ラスはを辞め、姿を消してしまったからだ。

 それからの二年間、皇太子は妹の死を嘆く暇もなく、病身の皇帝に代わって政務に没頭していた。その間、しようかんに入り浸っていたラスに与えられた通り名は〝極東の種馬ザ・スタリオン〟だ。

 そんなラスが、今さら皇太子と会って話すことはなにもない。

 ましてや寝食を共にするなど、笑えない最悪の冗談だ。


「筆頭皇宮衛士は、皇族の専任護衛です。常に護衛対象のそばに控えているのは当然では?」


 カナレイカが淡々と指摘する。ラスは不機嫌そうに顔をしかめた。


「そんな面倒な役目を引き受けた覚えはないぞ」

「皇帝陛下のご裁可です」

「俺は極東伯領のれんだ。いくら皇帝でも、勝手に引き抜くことはできないはずだが?」

「ヴェレディカ極東伯の許可はいただいています。移籍金もすでに支払ってあると」

「ずいぶん手回しのいいことだな」


 本気の頭痛を覚えて、ラスは深々とためいきらした。

 冗談抜きに気分が悪い。吐きそうだ。


「そこまでして俺になにをやらせるつもりだ?」

「それは殿下ご本人に直接尋ねられたらよろしいかと」


 カナレイカが扉の前で立ち止まる。

 周囲と比べて、特別に豪華な扉というわけではない。

 だが、それを護衛する皇宮衛士たちの存在が、その部屋の正体を物語っている。

 カナレイカの言葉が事実なら、今日からラスが暮らすことになる部屋。

 皇太子の私室である。

 カナレイカがノックの音を鳴らし、中からの返事を待たずに扉を開けた。

 ラスはもう一度うんざりしたように首を振り、半ば投げやりな気分で部屋の中へと足を踏み入れたのだった。





 その部屋は想像していたよりも狭かった。

 ただそれは、ひとつひとつの部屋は、という意味だ。

 客を迎えるための談話室。大量の書物を収めた書庫。そして複数の寝室と衣装室。皇太子が自室として使っているのは、それらを一カ所にまとめた区画のことらしい。

 よほどの大地主か豪商でもない限り、これよりも広いしきで暮らしている庶民は滅多にいないだろう。

 だがその室内は、驚くほどに閑散としていた。

 部屋の中にいたのは、皇太子自身を含めて二人だけだ。

 黒い仮面で顔の半分を隠した青年──アリオール・レフ・アルゲンテアは、インクの臭いの籠もった書斎の奥で、分厚い書類の束をめくっていた。

 ラスたちが皇宮内の回廊をぐるりと遠回りしている間に、彼は謁見の間からぐ部屋に戻って、皇太子としての仕事をこなしていたらしい。

 そんなアリオールの隣には、眼鏡をかけた女性が立っている。

 服装からして侍女ではない。皇太子の秘書官といったところか。彼女の髪はくすんだ銀髪だ。昨晩、ラスをこんとうさせたれんじゆつの女性によく似ている。

 部屋に入ってきたラスたちに気づいて、二人は同時に視線を上げた。

 銀髪の女が浮かべたのは、警戒心を巧妙に隠した事務的な微笑だった。

 対するアリオールの反応はよくわからない。思慮深く寛容で、そのくせどこか挑発的な表情。ラスが知っている昔の彼そのままの雰囲気だ。

 彼の口元を覆っている仮面は、二年前の戦場で負った傷跡を隠すためのものだと聞いている。

 だがその威圧的な仮面をもってしても、皇太子の端整な相貌は損なわれていない。

 中性的な彼の面差しは、双子の妹である皇女フィアールカによく似ていた。


だいいちこのれんたいちようカナレイカ・アルアーシュ。ラス・ターリオンきようをご案内しました」


 書斎の入り口で立ち止まったカナレイカが、背筋を伸ばして報告する。


「ありがとう、カナレイカ。世話をかけたね」


 アリオールが穏やかな口調で言った。仮面で口元を覆っているにもかかわらず、柔らかな響きのよく通る声だ。

 そしてカナレイカの隣にいるラスを見て、彼は愉快そうに目を細める。


「それにラス。久しぶりだ。きたいことがまっているという顔だね」

「おかげさまでな」


 ラスは無愛想な表情でうなずいた。

 不敬極まりない態度だが、ラスとアリオールの間柄では今さらだ。

 むしろこれでアリオールが腹を立て、ラスをにしてくれるのなら、そのほうがありがたいとすら思う。

 だが、もちろん、その程度でアリオールが感情を乱すことはなかった。

 相変わらずだな、と言わんばかりの、朗らかな笑い声をらしただけだ。


「きみの質問を聞く前に紹介しておこう、ラス。彼女はエルミラ・アルマスだ。皇太子専属の補佐官をやってもらっている。皇宮内でわからないことがあれば、彼女に尋ねるといい」

「──エルミラとお呼びください、ターリオンきよう


 アリオールの隣にいた銀髪の女性が、文官式の敬礼の仕草をする。

 ラスは彼女をしつけに眺めて、警戒したように眉を上げた。

 一見すると荒事とは無縁の女性官吏にしか見えないが、彼女の動きには、かすかな違和感がある。戦闘技術と無縁の文官にしては、れんの流れがあまりにもスムーズ過ぎるのだ。

 それでいて彼女の立ち姿そのものは隙だらけだ。

 つまり隙だらけに見えるように演技をしているということだ。


「ただの文官じゃないな。れん……いや、暗殺者か?」


 ラスの何気ないつぶやきに、エルミラが、ほんの一瞬、はっきりと動揺した。隠していた殺気がして、彼女の素の姿が現れる。


「さすがだね、ラス。カナレイカでも初見では見抜けなかったのに」


 アリオールが感心したように眉を上げた。エルミラがただの文官ではないことを認めたも同然の発言だ。


「いちおう訂正しておくと、彼女は暗殺者ではなく、ちようほういんだよ。皇族の護衛も兼ねている」

うわさに聞く〝銀の牙〟のおんみつか。さすが皇族。便利な人材を雇ってるな」


 ラスが皮肉っぽく唇をゆがめて言う。

 銀の牙とは、アルギル皇国が保有するちようほうかんの通称だ。

 彼らはれんきゆうの戦闘能力を持つ密偵を独自に育成しており、敵国のちようほういんの排除や、破壊工作、そして要人暗殺などに投入しているとうわさされていた。

 エルミラは、そのおんみつしゆうの一員なのだろう。

 だが、それだけの理由でアリオールが、ラスに彼女を紹介したとは思えない。


「──似てるだろう? フィアールカに」


 アリオールが、挑発的な口調でラスに問いかけた。

 長い銀髪とすみれいろの瞳。地味な眼鏡とメイクでも誤魔化せない整った顔立ち。たしかにエルミラ・アルマスは、二年前に死んだ皇女によく似ている。

 それはつまり、昨夜ラスと戦ったれんじゆつ使つかいの女に似ているということだ。

 しかしラスはエルミラを眺めて、あきれたようにためいきをついた。


「そうでもないさ。彼女のほうがフィアールカよりも胸がでかいし、腰も細い」

「服の上からで、そんなことが言い切れるのかい?」

に極東の種馬と呼ばれてるわけじゃない。少なくとも彼女は、昨晩、俺をぶっ飛ばした女とは別人だな」


 なぜか不満げな表情を浮かべた皇太子に向かって、ラスははっきりと言い切った。

 どういう事情があるのか知らないが、アリオールは、昨晩ラスを気絶させたのがエルミラだったということにしたいらしい。

 そんな皇太子の思惑を、ラスは真っ向から否定したのだ。


「それも胸の大きさで見分けたんじゃないだろうね?」


 皇太子が疑いの視線をラスに向けた。ラスは思わせぶりに口角をげてかぶりを振る。


「好きに想像してくれ。だが、彼女の瞳の色がにせものなのはわかる。ずいぶんめずらしいれんじゆつだな」

「……なるほど。やはりきみの目はだませないか」


 降参だ、というふうにアリオールは両手を上げた。

 芝居がかった皇太子の態度に、ラスはうんざりと肩をすくめる。


「回りくどい話はなしだ、アル。今回の茶番を仕組んだ理由はなんだ? なんのつもりで筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーなんて面倒な肩書きを俺に押しつけた?」

「その答えなら、すでにカナレイカが説明しているはずだよ」


 アリオールは悪びれることなく微笑ほほえんだ。そして彼は、姿勢を正してラスを見据える。


「きみに仕事を依頼したい。筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーの肩書きは、そのために必要だったんだ」

「依頼なら断ったつもりだが?」

「残念だけど、きみに選択の余地はないんだ。皇国が滅ぶかどうかのぎわでね」

「皇国が……滅ぶ?」


 ラスは驚いて目をしばたたいた。

 悪い冗談にしか聞こえない台詞せりふだが、アリオールはあくまでも真顔で肯定する。


「少なくとも多くの血が流れる。犠牲になるのは、なんの罪もない国民だ」

「それを俺に防げと?」

「そうだ。というよりも、きみにしか防げない」


 アリオールがきっぱりと断言した。

 彼の声にうその響きは感じない。そのことにラスは戸惑った。

 この国の存亡がかかっているというアリオールの言葉が事実なら、彼が強引な手段を使ってまで、ラスを無理やり筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーに仕立て上げたことにも説明がつく。

 しかしラスは、国内に何百人といるれんの一人に過ぎない。

 極東伯の息子ではあるが、領内でなにかの役職に就いているわけでもない。

 一方のアリオールは、病身の皇帝に代わって国政を取り仕切る事実上の最高権力者だ。そんなアリオールが、ラスに頼らなければならない理由はないはずだ。


「国内に上位龍が出現したという話は聞いてないぞ?」


 ラスが声を低くしていた。

 今のアリオールの権力をもってしても自由にならない相手がいるとすれば、おそらくそれはドラゴンだろう。

 地龍やみずちなどの下位龍と違って、上位龍の存在は天災そのものだ。

 主要都市の近辺に上位龍が出現したら、どれだけの被害が出るかわからない。たった一体の上位龍に国土をじゆうりんされ、衰退した国はひとつやふたつではないのだ。

 上位龍に確実に対抗できるのは、剣聖と呼ばれる人外レベルのれんだけ。しかし彼らは大陸全土で四人しかおらず、一国の君主といえども、剣聖になにかを命じる権利はない。それが剣聖という非常識な戦力を、国家間の争いに持ちこまないためのだからだ。剣聖とは、人類という枠組みのらちがいの存在なのである。

 だからアリオールは、自分に目をつけたのだとラスは判断した。

 なにしろラスは、世にもまれなのだ。そして実際に、単独で上位龍を倒した実績もある。

 アルギル国内に上位龍が出現したのなら、自由に動かせない剣聖の代わりに、ラスを上位龍と戦わせる。それは皇族として当然の判断だろう。もしラスがアリオールの立場でも、迷わず同じ選択をする。

 しかしアリオールはそんなラスを見返して、なぜか残念そうに首を振った。


「残念ながら、今回の攻略対象は上位龍じゃない。むしろそのほうがラスにとっては楽だったかもしれないね」

「上位龍以上の脅威だと? 古龍や神獣を相手にしろと言い出すんじゃないだろうな?」


 ラスは、仮面の皇太子をぼうぜんと見返した。

 上位龍を超える脅威が、大陸に存在しないわけではない。

 だが、それらの多くは伝説の中だけの存在だ。

 一夜にして国を滅ぼし、地形を変え、気候にすら影響を与える化け物たち。剣聖ですら、それらに太刀打ちできるとは思えない。


「まさか。違うよ。面倒な相手であることに変わりはないけどね」


 本気で顔をしかめたラスに向かって、アリオールは笑った。


「話だけは聞いてやる。いったい俺になにをやらせるつもりだ?」


 声にいらちをにじませて、ラスがく。

 アリオールの返事は、拍子抜けするほどシンプルなものだった。



「王女を一人、口説いて欲しい」



「……は?」


 一瞬、自分がなにを言われたのかわからず、ラスは間の抜けた声を出す。

 しかしアリオールのまなしは真剣だった。彼の隣にいるエルミラや、ラスの背後にいるカナレイカも無言のまま、皇太子の次の言葉を待っている。


「シャルギア王国の第四王女、ティシナ・ルーメディエン・シャルギアーナ──彼女を寝取って欲しいんだ。遅くとも十カ月以内にね」


 宝石のようなあおい目をすがめ、アリオールは続けた。淡々と事実だけを告げる本気の口調で。

 そしてラスは、今度こそ完全に絶句したのだった。

刊行シリーズ

ソード・オブ・スタリオン2 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられるの書影
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