ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる

第5話:種馬騎士、元婚約者と再会を果たす


 1


 翌朝、ラスは見慣れない豪華な部屋で目を覚ました。

 アリオール皇太子の居住区内の一室。筆頭皇宮衛士用の寝室だ。

 昨夜はろくに眠れなかったせいで、頭の芯がずっしりと重い。

 といっても、それなりに訓練を積んだれんが、一日や二日徹夜した程度で体調を崩すようなことはない。だから今朝のラスの不調は、精神的な疲労が原因だ。

 それもこれも皇太子から言い渡された、とんでもない依頼が原因である。


「お目覚めですか、ラス様」


 支給された皇宮衛士の制服に着替えて部屋を出ると、談話室にいた使用人から声をかけられた。あいのない若い侍女。シシュカ・クラミナだ。


「そうか。きみはもともと皇太子付の侍女だったな」

ようでございます」


 ラスのつぶやきに、シシュカがうなずく。

 談話室のテーブルの上には、温かなパンやスープが置かれていた。

 皇族の食事にしては質素な朝食だ。皇宮内のちゆうぼうから運ばれてきた食材を、シシュカ自身が毒味した上で並べているらしい。

 多忙な皇太子は、余程のことがない限り、私室で適当に食事を済ませているのだ。

 今日からは、そこにラスのぶんの朝食も加わることになる。


「なにか俺に手伝えることは?」


 ラスは用意されていたグラスに勝手に水を注ぎ、それを飲み干してからシシュカにいた。

 皇宮衛士が、侍女の手伝いを自分から申し出ることなど普通はあり得ない。だが、あいにくラスは、自分が皇宮衛士だとは思っていなかった。

 公式な肩書きはどうあれ、ラスの立場は、皇太子に直接雇われた私兵のようなものだ。その意味では、皇太子専任の侍女であるシシュカはラスの同僚だといえる。

 仲間同士で仕事を分け合うのは、ラスの感覚からすればむしろ当然だ。だが、


「それが極東の種馬と呼ばれる御仁のやり口ですか? さすがに殿下のお部屋で女性を口説くのは、あまりお勧めできませんが」


 シシュカが冷ややかな視線をラスに向けた。

 ラスが自分に下心を抱いているのではないかと警戒したらしい。


「今のところきみに手を出す気はないから安心してくれ。二年もしようかんがよいをしていると、女性には分け隔てなく親切にしておくべきだと学ぶことも多くてね。相手を口説くためというよりも、敵に回さないためのけつだが──」


 ラスが自虐的に笑いながら首を振る。

 なるほど、とシシュカは得心したようにうなずいた。


「そういうことなら、殿下を起こしてきていただけますか?」

「あいつはまだ寝てるのか。わかった、引き受けよう」


 ラスはシシュカに軽く手を振ると、皇太子のために用意された寝室へと向かった。

 ノックの返事がないのを確認して、ラスは勝手に寝室へと足を踏み入れる。

 広々とした寝室の中央には、五、六人が余裕で寝転がれそうな巨大なベッドが置かれている。

 就寝する直前まで仕事をしていたのか、ベッドの周囲には読みかけの書類や報告書が乱雑に積み上げられていた。

 その書類の束に埋もれるようにして、部屋の主が横たわっている。

 下着と白いシャツを身につけただけの、無防備な姿だ。

 輝くような長い銀髪が、緩やかに波打ちながらシーツの上に散っている。

 顔を隠す黒い仮面も今は外れて、あでやかな唇があらわになっていた。

 すっと通った細いりようと、長いまつ。その端整な横顔をラスは複雑な気分で眺め、そしての名前を呼ぶ。



「──起きろ、フィアールカ」



 んん、と弱々しい声をらして、彼女がゆっくりとまぶたを開けた。

 そしてすみれいろの瞳の皇女は、ラスを見上げて、ふわりと楽しげに微笑ほほえんだ。

 ラスは急な頭痛に襲われたように額に手を当て、どうしてこんなことになってしまったのか、昨日の出来事を再び思い出すのだった。




 2


「シャルギアの王女を……寝取れ、だと?」


 黒い仮面をつけた皇太子を、ラスはげんな表情でめつけた。

 アリオールは、そんなラスの反応を愉快そうに眺めて首肯する。


「ティシナ王女は十七歳。王位継承順位は第七位。絵姿を見たが、かなりの美形だよ。母親は属国出身の立場の弱い側室だが、シャルギア王が一目で恋に落ちたという逸話の持ち主だ。王女の見た目についても信用していいと思う」

「話が見えないな、アル。隣国の王女を、いったい誰から寝取れと言うんだ?」


 ラスはかすかな戸惑いを覚えながらかえした。かつてのアリオールは、こんなふうに人をからかって楽しむような性格ではなかったからだ。


「正確には寝取るというよりも、単純に王女と恋仲になってくれればいいんだ。それで誰かを傷つけるわけじゃない」

「だから、なぜだ? おまえが隣国の王女を気にかける理由は?」

「もちろん理由はある。聞きたいかい?」

「当然だ。わかるように説明してくれ」

「わかった。だけど、少し込み入った話になる。部屋を変えよう。カナレイカ、強めの酒を用意して欲しい」

「承知しました。では、クフィダの十五年ものを」


 唐突に話を振られたカナレイカが、少しだけ声を弾ませた。どうやら彼女は酒の銘柄にこだわりがあるらしい。


素面しらふではできないような話なのか?」


 ラスがあきれながら確認する。

 窓の外はまだ明るい。酒をわすには早い時間だ。


「久しぶりの旧友との再会だ。乾杯くらいしてもいいだろう?」

「まあ、文句はないさ。おまえの酒だしな」


 ラスはエルミラに案内されて、談話室に移動した。

 カナレイカが、部屋に置かれていた酒棚から一本の酒瓶を選び出す。

 彼女がグラスに注いだ酒は、鮮血を思わせる深紅の液体だ。

 匂いも強いが、薬品めいた不快な匂いではなかった。スモーキーでありながら、ぼやけたところのないせいれつな芳香だ。


「いい酒だな」


 グラスの中身を光に透かしながら、ラスがつぶやく。


「どこぞの貴族からの献上品だよ。まだ何本か残っていたはずだから、気に入ったならきみに一本譲ろう。筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーの契約金代わりにね」


 ラスの正面のソファに座ったアリオールが、仮面の口元を開けながら言った。

 どうやら彼の黒い仮面は、装着したまま飲食ができるようになっているらしい。ずいぶん凝った造りだと、ラスは素直に感心する。


「わけのわからない仕事の代価が、酒一本というのは、さすがに割に合わないな」

「そうだね。では、その仕事の話をしようか」


 アリオールが、笑みを消してラスを正面から見つめた。


「実はね、婚礼の儀式を執り行うことになったんだ」

「……婚礼? 結婚するってことか? 誰が?」

「私だよ。こう見えて私は皇位継承予定者だからね。自分の意思で結婚相手を決める権利や、結婚しないという選択肢はないみたいだ」


 自嘲するように肩をすくめて、アリオールが答える。ラスは黙ってうなずいた。

 アルギルの皇族は数が少ない。四十年ほど前の大規模な内乱と、先帝が崩御した直後に起きた血なまぐさい皇位争いが原因だ。

 皇女であるフィアールカが死んだ今、現皇帝の血を引いているのは皇太子アリオールだけ。アリオールが子孫を残さなければ、皇家直系の血脈は途絶えることになる。

 当然、皇太子の結婚を望む声は、国民の間でも強かった。

 二年前の紛争の影響があったとはいえ、アリオールの結婚は遅すぎたほどだ。


「アル……まさか、おまえの結婚相手というのは……」

「ご明察だね。そう、シャルギアのティシナ王女だよ」


 アリオールが素っ気ない態度で肯定する。

 妥当な人選、というのがラスの率直な感想だった。

 シャルギア王国は、山脈地帯を挟んだアルギルの隣国。小国ながらも芸術や文化の中心地として栄えており、アルギルとは軍事同盟を結んでいる友好国である。

 その隣国の王女を次期皇帝の妻として迎えることで、両国の同盟関係は一層強固になる。互いの国にとって利のある話だ。

 自分の娘や親族を皇太子に嫁がせようと狙っていた国内の有力貴族たちも、表立って反対することはできないだろう。


「こういう場合は、やはりおめでとうと言うべきなんだろうな」

「残念ながら、そう楽観視できる状況でもなくてね」


 アリオールが、苦々しげな笑みを浮かべて首を振る。いつも泰然とした態度の彼にしては、めずらしい表情だ。

 ラスはそのことに興味をかれて、眉を上げた。


「なぜだ? 話を聞く限り、そう悪い条件ではないように思えるんだが」

「そうだね。まあ、悪くはない。最近は、私に自分の娘や親族を嫁がせようという、四侯三伯あたりからの突き上げも無視できなくなっていたからね」

「国内貴族のパワーバランスに気を遣わなくて済むぶん、隣国の王女のほうがまだマシか。だったらなにが問題なんだ?」

「その前にラス、きみはユウラ紛争の最後の日になにがあったか、覚えているかい? なぜ、フィアールカが命を落とすことになったのか」

「今頃になってその話か」


 今度はラスが不快げに顔をしかめる番だった。

 どれだけ忘れようと思っても、忘れたことなど一度もない。

 せるような死臭に満ちた密林。引き裂かれた狩竜機シヤスールざんむくろたち。

 あの日、ラスは龍を殺し、そして自分の命よりも大切な恋人を永遠に失ったのだ。


「フィーはおとりになったんだろ。休眠状態だった上位龍を覚醒させて、パダイン軍の本隊にぶつけるためのおとりにな。そんなクソみたいな作戦を立案したのは、フィー本人だったと聞いてるぞ」


 ラスが深いためいきとともに言葉を吐き出した。

 あの紛争でアルギル皇国が投入した狩竜機シヤスールは百八十機余り。総兵力七十にも満たないパダイン都市連合国の部隊を押し返すには、十分過ぎるほどの戦力のはずだった。

 しかし蓋を開けてみれば、国境を越えて進軍してきた敵軍の狩竜機シヤスールは、四百機を超えていた。

 パダイン都市連合国を支援するカヴィール王国や、大陸東方の超大国レギスタンの支援があったと言われているが、正確なことはわからない。

 ともあれ、予期せぬ大軍の猛攻にさらされた皇国軍は、開戦後、半月を待たずして壊滅の危機に陥った。そんな中、補給部隊の一員として前線を訪れた皇女フィアールカが提案したのが、上位龍を攻撃に利用しようというぜんだいもんの奇策だった。

 ユウラ半島の樹海内には、上位龍〝キハ・ゼンリ〟が休眠している洞窟がある。

 皇国軍は洞窟の位置を特定していたが、侵略者である都市連合軍は上位龍の存在そのものを知らない。そこが残された唯一の勝機だと、フィアールカは主張したのだ。

 皇族であるフィアールカ自身がおとりになることで、敵軍の主力部隊を上位龍の棲息圏ナワバリへと誘い込む。覚醒した上位龍は、彼らを容易にせんめつするだろう。

 馬鹿げた作戦だが、成算は低くなかった。むしろ恐ろしく効果的だ。

 おとりとなる皇女と彼女の護衛部隊が、ほぼ確実に全滅することを無視すれば、だが。


「そうだね。その無謀な作戦を止める立場にいた皇太子アリオールは、前日の戦闘で負傷していたせいで、軍議に出席することができなかった。彼が妹の思惑を知ったときには、すでに作戦は実行されたあとだった──そういう話になっているはずだ」

「まるで真実はそうじゃなかった、とでも言いたげだな?」


 ごとのようにめたアリオールの口調に、ラスはいぶかるような表情を浮かべた。

 仮面の皇太子は静かに首を振り、深紅の酒を口に運ぶ。


「いや、ほとんどは事実だよ。ただ一点、実際におとりになったのが、フィアールカではなかったという部分を除けばね」

おとりになったのが、フィーじゃない……?」


 ラスはぼうぜんと目を見張った。

 脳裏に焼きついた凄惨な光景が、せんこうのようによみがえる。

 上位龍がじゆうりんした戦場跡。破壊されたすみれいろ狩竜機シヤスール。あれは皇女の専用機だ。そして原形をとどめないまでに潰れた操縦席には、長い銀髪が残っていた。皇女の象徴でもある、輝くような銀髪が──


「馬鹿な。あり得ない。俺は、フィーの〝エッラ〟が、あの戦場にいたのをこの目で見てる。おまえだって知っているはずだ。皇家に伝わる狩竜機シヤスールは、皇族以外には動かせない。パダインの連中だって、それを理解していたからおとりいついて──……」

「そうだね。エッラは皇族にしか動かせない。そしてあの戦場に、皇族は二人いた」


 アリオールが静かに指摘した。

 ラスは今度こそ息をむ。

 皇家に伝わる狩竜機シヤスールには意思があり、皇族以外の搭乗を認めない。

 だが、逆に言えば、皇族ならば、皇女の専用機であるすみれいろ狩竜機シヤスール〝エッラ〟を操れる、ということだ。


「まさか……アル……なのか? アルが妹の代わりに〝エッラ〟に乗って、おとりになった……?」

「それが、あの日の真実だよ」


 皇太子アリオールと名乗っている人物が、己の口元を覆う仮面に触れた。

 小さな金属音を残して仮面が外れ、装着者の素顔があらわになる。

 仮面の下に刻まれているはずの傷跡は、なかった。

 ラスの目の前に現れたのは、輝く宝石に似た透きとおるような美貌の持ち主だ。

 仮面にかけられたれんじゆつの効果が切れ、あおかった瞳の色がすみれいろに変わる。


「フィアールカ……」


 ラスは、震える声で彼女を呼んだ。

 二年前に死んだはずの美貌の皇女が、かつての彼女と同じ、花のような微笑を浮かべている。


「久しぶりだね、ラス。これでようやく、私の言葉できみと話ができるよ」


 彼女が、髪を束ねていたひもを解いて首を振る。

 輝くような銀髪が、花弁のようにふわりと広がった。ラスの記憶の中の彼女よりも髪が短いのは、二年前、己の死を偽装するために自ら切り落としたせいだ。

 皇女フィアールカは生きていた。

 彼女は死んだ双子の兄に成りすまし、皇太子として、この国を支え続けていたのだ。


「そして、これがきみに仕事を依頼する理由だ。花嫁との初夜を迎えたら、私の正体が確実に相手にばれてしまう。だからきみにはその前に、ティシナ王女を寝取って欲しいんだ。彼女が私の正体に気づいても、私たちの味方でいてくれるようにね」


 フィアールカ・ジェーヴァ・アルゲンテアが、ラスの瞳を見つめて告げる。

 ラスは目の前にあった酒杯に手を伸ばし、中の液体をひと息に喉へと流しこんだ。

 頭の中を無数の感情が渦巻いて、言葉にならない。

 今はただ、なにもかも忘れて、ひどく酔っ払いたい気分だった。

 こうしてれんラス・ターリオンは、思いがけない形で皇女フィアールカとの再会を果たしたのだった。

刊行シリーズ

ソード・オブ・スタリオン2 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられるの書影
ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられるの書影