1 アインクラッド

2 ③

「あ、んで、オレそのあと、ほかのゲームで知り合いだったやつらと《はじまりの街》で落ち合う約束してるんだよな。どうだ、紹介すっから、あいつらともフレンド登録しねえか? いつでもメッセージ飛ばせて便利だしよ」

「え……うーん」


 俺は思わずくちごもった。

 このクラインという男とは自然に付き合えているが、その友達とも同様に仲良くなれるという保証はない。むしろそっちとくやれずにクラインとも気まずくなってしまうという結果のほうがありそうな気がする。


「そうだなあ……」


 歯切れの悪い俺の返事に、クラインはその理由まで悟ったのだろうか、すぐに首を振った。


「いや、もちろん無理にとは言わねえよ。そのうち、紹介する機会もあるだろうしな」

「……ああ。悪いな、ありがとう」


 謝ると、クラインはもう一度ぶんぶんと派手にかぶりを振った。


「おいおい、礼言うのはこっちのほうだぜ! おめぇのおかげですっげえ助かったよ、この礼はそのうちちゃんとすっからな、精神的に」


 にかっと笑い、もう一度時計を見る。


「……ほんじゃ、おりゃここで一度落ちるわ。マジ、サンキューな、キリト。これからもよろしくたのむぜ」


 ぐいっと突き出されてきた右手を、おれは、きっとこの男は《ほかのゲーム》ではいいリーダーだったんだろうな、と思いながら握り返した。


「こっちこそ、宜しくな。またきたいことがあったら、いつでも呼んでくれよ」

「おう。たよりにしてるぜ」


 そして俺たちは手をはなした。


 俺にとって、アインクラッド──あるいはソードアート・オンラインという名の世界が、楽しいだけの《ゲーム》であったのは、正しくこのしゆんかんまでだった。


 クラインが一歩しりぞき、右手の人差し指と中指をまっすぐそろえて掲げ、真下に振った。ゲームの《メインメニュー・ウインドウ》を呼び出すアクションだ。たちまち、鈴を鳴らすような効果音とともに紫色に発光する半透明のけいが現れる。

 俺も数歩下がって、そこにあったごろな岩に腰掛け、ウインドウを開いた。これまでのイノシシ相手のせんとうでドロップした戦利品アイテムを整理しようと、指を動かしかける。

 直後。


「あれっ」


 クラインのとんきような声がひびいた。


「なんだこりゃ。……


 その一言に、俺は手を止めて、顔を上げた。


「ボタンがないって……そんなわけないだろ、よく見てみろ」


 あきれ声でそう言うと、長身のきよくとう使いは、あくしゆなバンダナの下の目をいて顔を手元に近づけた。

 横長の長方形をしたウインドウには、初期状態では左側にいくつものメニュータブが並び、右側には自分のアイテム装備状況を示す人型のシルエットが表示される。そのメニューの一番下に、《LOG OUT》──つまりこの世界からのだつを命じるボタンが存在する、はずだ。

 視線を再び数時間の戦闘で得たアイテムの一覧に戻そうとした俺に、クラインがややボリュームを上げた声を浴びせてきた。


「やっぱどこにもねぇよ。おめぇも見てみろって、キリト」

「だから、んなわけないって……」


 俺はため息混じりにつぶやき、自分のウインドウの左上、トップメニューに戻るためのボタンをたたいた。

 右側に開いていたなめらかに閉じ、ウインドウが初期状態へと戻る。まだ空白箇所の多い装備フィギュアが浮き上がり、左にメニュータブがぎっしりと並ぶ。

 腕にみ付いた動作で、おれはその一番下に指先をすべらせ──。

 そして、ぴたりと全身の動きを止めた。

 無かった。

 クラインの言葉どおり、ベータテストの時は──いや、今日の午後一時にログインした直後も確かにそこにあったはずのログアウトボタンが、れいに消滅していた。

 空白箇所を数秒間まじまじとぎようし、もう一度メニュータブを上からゆっくり眺め、ボタンの位置が変更になったわけではないことを確認してから、俺は視線を上げた。クラインの顔が、な? というふうに傾けられた。


「……ねぇだろ?」

「うん、ない」


 少々しやくだったが素直にうなずいてやると、きよくとう使いはにまっとほおり上げ、たくましいあごでた。


「ま、今日はゲームの正式サービス初日だかんな。こんなバグも出るだろ。いまごろGMゲームマスターコールが殺到して、運営は半泣きだろなぁ」


 ノンビリした口調でそう言うクラインに、俺はやや意地悪いこわで突っ込みを入れた。


「そんな余裕かましてていいのか? さっき、五時半にピザの配達たのんであるとか言ってなかったか」

「うおっ、そうだった!!」


 眼を丸くして飛び上がるその姿に、つい口をゆるめてしまう。

 重量過多で赤くなっていたアイテムらんの不用品をデリートし、整理を終えた俺は立ち上がり、やべえオレ様のアンチョビピッツァとジンジャーエールがぁーとわめいているクラインのそばに歩み寄った。


「とりあえずお前もGMコールしてみろよ。システム側で落としてくれるかもよ」

「試したけど、反応ねぇんだよ。ああっ、もう五時二十五分じゃん! おいキリトよう、ほかにログアウトする方法って何かなかったっけ?」


 情けない顔で両手を広げるクラインの言葉に──。

 俺は、浮かべていた微笑をふとこわらせた。理由のない不安のようなものが、ひやりと背中を撫でた気がしたからだ。


「ええと……ログアウトするには……」


 つぶやきながら考える。

 この仮想世界ゲームからだつし、現実世界の自分の部屋に戻るためには、メインウインドウを開き、ログアウトボタンに触れ、右側に浮かぶ確認ダイアログのイエスボタンを押すだけでいい。実に簡単だ。しかし──同時に、それ以外の方法を、俺は知らない。

 自分よりかなり高いところにあるクラインの顔を見上げ、俺はゆっくりと首を左右に振った。


「いや……ないよ。自発的ログアウトをするには、メニューを操作する以外の方法はない」

「んなバカな……ぜってぇ何かあるって!」


 おれの回答を拒否するかのようにわめき、クラインは突然大声を出した。


「戻れ! ログアウト! 脱出!!」


 しかし当然何も起こらない。SAOにその手のボイスコマンドは実装されていない。

 なおもあれこれ唱え、しまいにはぴょんぴょんジャンプまで始めたクラインに、俺は押し殺した声で呼びかけた。


「クライン、だ。マニュアルにも、その手のきんきゆう切断方法は一切載ってなかった」

「でもよ……だって、鹿げてるだろ! いくらバグったって、自分の部屋に……自分の体に、自分の意志で戻れないなんてよ!」


 くるりと振り向き、ぼうぜんとした顔でクラインが叫んだ。それには、俺もまったく同感だった。

 馬鹿げてる。ナンセンスだ。だがそれは確かな事実だ。


「おいおい……うそだろ、信じられねぇよ。今、ゲームから出られないんだぜ、オレたち!」


 わははは、とやや切迫したひびきのある笑い声を上げ、クラインは早口で続けた。


「そうだ、マシンの電源を切りゃいいんだ。それか、頭から《ギア》を引っぺがすか」


 見えない帽子を脱ごうとするように額に手を触れさせるクラインに、俺は再びかすかな不安が戻ってくるのを感じながら、静かに言った。


「できないよ、どっちも。俺たちは今、生身の……現実の体を動かせないんだ。《ナーヴギア》が、俺たちの脳から体に向かって出力される命令を、全部ここで……」


 指先で後頭部の下、えんずいをとんとたたく。


「……インタラプトして、このアバターを動かす信号に変換してるんだからな」


 クラインは押しだまり、のろのろと手を下ろした。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ2の書影
ソードアート・オンライン28 ユナイタル・リングVIIの書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ ミステリ・ラビリンス 迷宮館の殺人の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズの書影
ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジーの書影
ソードアート・オンライン27 ユナイタル・リングVIの書影
ソードアート・オンライン26 ユナイタル・リングVの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ8の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ7の書影
ソードアート・オンライン25 ユナイタル・リングIVの書影
ソードアート・オンライン24 ユナイタル・リングIIIの書影
ソードアート・オンライン23 ユナイタル・リングIIの書影
ソードアート・オンライン22 キス・アンド・フライの書影
ソードアート・オンライン21 ユナイタル・リングIの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ6の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ5の書影
ソードアート・オンライン20 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン19 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン18 アリシゼーション・ラスティングの書影
ソードアート・オンライン17 アリシゼーション・アウェイクニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ4の書影
ソードアート・オンライン16 アリシゼーション・エクスプローディングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ3の書影
ソードアート・オンライン15 アリシゼーション・インベーディングの書影
ソードアート・オンライン14 アリシゼーション・ユナイティングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ2の書影
ソードアート・オンライン13 アリシゼーション・ディバイディングの書影
ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジングの書影
ソードアート・オンライン11 アリシゼーション・ターニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ1の書影
ソードアート・オンライン10 アリシゼーション・ランニングの書影
ソードアート・オンライン9 アリシゼーション・ビギニングの書影
ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイトの書影
ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオの書影
ソードアート・オンライン6ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン5ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン4フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン3フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン2アインクラッドの書影
ソードアート・オンライン1アインクラッドの書影