1 アインクラッド

8 ①

 迷宮区へと続く森の小路は、昨夕の不気味さがうそのようにほのぼのとした空気に包まれていた。こずえすきから差し込む朝の光が金色の柱をいくつも作り出し、その隙間をれいちようがひらひらと舞う。残念ながら実体のないビジュアル・エフェクトなので、追いかけても捕まえることはできないが。

 柔らかくしげった下草を、さくさくと小気味良い音を立ててみしめながら、アスナがからかうように言った。


「それにしても君、いっつも同じ格好だねえ」


 う、と言葉に詰まりながらおれは自分の体を見下ろした。古ぼけた黒のレザーコートに、同色のシャツとパンツ。金属防具はほとんどない。


「い、いいんだよ。服にかける金があったら、少しでもうまい物をだなぁ……」

「その黒ずくめは、何か合理的な理由があるの? それともキャラ作り?」

「そ、そんなこと言ったらあんただって毎度そのおめでたい紅白……」


 言いかけながら、俺はいつものくせで何気なく周囲のさくてきスキャンを行った。モンスターの反応はない。だが──。


「仕方ないじゃない、これはギルドの制服……、ん? どうしたの?」

「いや……」


 さっと右手を上げ、俺はアスナの言葉をさえぎった。索敵可能範囲ぎりぎりにプレイヤーの反応があったのだ。後方に視線を集中すると、プレイヤーの存在を示す緑色のカーソルがいくつも連続的に点滅する。

 犯罪者プレイヤーの集団である可能性はない。連中は確実に自分たちよりレベルの低い獲物をねらうので、最強クラスのプレイヤーが集まる最前線に姿を現すことはごくまれであるし、何より一度でも犯罪行為を犯したプレイヤーは、かなりの長期間カーソルの色が緑からオレンジに変化するからだ。俺が気になったのは集団の人数と並び方だった。

 メインメニューからマップを呼び出し、可視モードにしてアスナにも見えるように設定する。周辺の森を示しているマップには、俺の索敵スキルとの連動によってプレイヤーを示す緑の光点が浮かびあがった。その数、十二。


「多い……」


 アスナの言葉にうなずく。パーティーは人数が増えすぎると連携が難しくなるので、五、六人で組むのが普通だ。


「それに見ろ、この並び方」


 マップのはし近くを、こちらに向かってかなりの速度で近づいてくるその光点の群れは、整然とした二列縦隊で行進していた。危険なダンジョンでならともかく、たいしたモンスターのいないフィールドでここまできっちりした隊形を組むのはめずらしい。

 仮に、集団を構成する者たちのレベルさえわかればその正体もある程度推測できるのだが、見ず知らずのプレイヤー同士ではレベルはおろか名前すらもカーソルに表示されない。安易な《PK》──プレイヤーを防ぐためのデフォルト仕様だが、こういう場合は直接目視して、その装備からレベルを推測することが必要となる。

 おれはマップを消し、アスナをちらりと見た。


「一応確認したい。そのへんに隠れてやり過ごそう」

「そうね」


 アスナもきんちようしたおもちでうなずいた。俺たちは道を外れて土手をい登り、背丈ほどの高さに密集したかんぼくの茂みを見つけてその陰にうずくまった。道を見下ろすことのできる絶好の位置だ。


「あ……」


 不意にアスナが自分の格好を見下ろした。赤と白の制服は緑の茂みの中でいかにも目立つ。


「どうしよ、わたし着替え持ってないよ……」


 マップの光点の集団はすでにかなりの近さにまでにくはくしていた。そろそろ可視範囲に入る。


「ちょっと失敬」


 俺は自分のレザーコートの前を開くと。みぎどなりにうずくまるアスナの体を包み込んだ。アスナはいつしゆんじろっと俺をにらんだが、おとなしく自分の体がすべてコートに隠れるようにした。黒のぼろコートは、見栄えは悪いが隠蔽ハイデイングボーナスが高い。ここまでいんぺい条件を満たせば、よほど高レベルのさくてきスキルで走査しないかぎり発見することは難しい。


「な、たまにはこのいつちようも役に立つだろ」

「もう! ……シッ、来るよ!」


 アスナはささやいて指をくちびるの前に立てた。いっそう体を低くした俺たちの耳に、ざっざっという規則正しい足音がかすかに届きはじめた。

 やがて、曲がりくねった小道の先からその集団が姿を現した。


 全員が剣士クラスだ。おそろいの黒鉄色ガンメタの金属よろいに濃緑のせんとうふく。全て実用的なデザインだが、先に立つ六人の持った大型のシールドの表面には、特徴的な城の印章がほどこされている。

 前衛六人の武装は片手剣。後衛六人は巨大な斧槍ハルバード。全員ヘルメットのバイザーを深く降ろしているため、その表情を見て取ることはできない。一糸乱れぬ行進を見ていると、まるで十二人のまったく同じNPCがシステムによって動かされているように思えてくる。

 もはや見間違いようがない。彼らは、基部フロアを本拠地とする超巨大ギルド、《軍》のメンバーだ。かたわらのアスナもそれを察したらしく、身を硬くして息を詰めている気配が伝わってくる。

 彼らは決して一般プレイヤーに対して敵対的な存在ではない。それどころか、フィールドにおける犯罪行為の防止を最も熱心に推進している集団であると言ってよい。ただ、その方法はいささか過激で、犯罪者フラグを持つプレイヤー──カーソルの色から《オレンジプレイヤー》と通称される──を発見次第問答無用でこうげきし、投降した者を武装解除して、本拠であるこくてつきゆうろうごくエリアに監禁しているという話だ。投降せず、だつにも失敗した者の処遇に対する恐ろしいうわさも、まことしやかに語られている。

 また、常に大人数のパーティーで行動し狩場を長時間独占してしまうこともあって、一般プレイヤーの間では《軍》には極力近づくな、という共通認識が生まれていた。もっとも、連中は主に五十層以下の低層フロアでの治安維持と勢力拡大を図っているため、最前線で見かけることはまれだったのだが──。

 おれたちが息をひそめて見守るなか、十二人の重武装戦士は、よろいの触れ合う金属音と重そうなブーツの足音をひびかせながら整然とした行進で眼下の道を通過し、深い森の木々の中に消えていった。

 現在SAOのしゆうじんとなっている数千人のプレイヤーは、発売日にソフトを入手できたことだけを見ても筋金入りのゲームマニアだと思っていい。そしてゲームマニアというのは間違いなく《規律》という言葉からは最も縁遠い人種だ。二年が経過するとは言え、あそこまで統制の取れた動きをするというのは尋常ではない。おそらく《軍》の中でも最精鋭の部隊なのだろう。

 マップで連中がさくてき範囲外に去ったことを確認すると、おれとアスナはしゃがみこんだまま、ふうと息をき出した。


「……あのうわさ、本当だったんだ……」


 俺のコートにくるまったまま、アスナが小声でつぶやいた。


「噂?」

「うん。ギルドの例会で聞いたんだけど、《軍》が方針変更して上層エリアに出てくるらしいって。もともとはあそこもクリアを目指す集団だったのよね。でも二十五層攻略の時大きな被害が出てから、クリアよりも組織強化って感じになって、前線に来なくなったじゃない。それで、最近内部に不満が出てるらしいの。──で、前みたいに大人数で迷宮に入って混乱するよりも、少数精鋭部隊を送って、その戦果でクリアの意思を示すっていう方針になったみたい。その第一陣がそろそろ現れるだろうって報告だった」

「実質プロパガンダなのか。でも、だからっていきなりとうそうに来てだいじようなのか……? レベルはそこそこありそうだったけどな……」

「ひょっとしたら……ボスモンスター攻略をねらってるのかも……」

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