強気なその台詞とは裏腹に、声は不安を色濃くにじませている。最強剣士でもやっぱりこういうシチュエーションは怖いと見える。まあそれも当然だ、俺だって怖い。
「……ボスモンスターはその守護する部屋からは絶対に出ない。ドアを開けるだけなら多分……だ、大丈夫……じゃないかな……」
自信無さそうに消える語尾に、アスナがとほほという表情で応じる。
「一応転移アイテム用意しといてくれ」
「うん」
頷くと、スカートのポケットから青いクリスタルを取り出した。俺もそれにならう。
「いいな……開けるぞ……」
右腕をアスナに引っ張られたまま、俺は結晶を握りこんだ左手を鉄扉にかけた。現実世界なら今頃掌が汗でびっしょりだろう。
ゆっくりと力を込めると、俺の身長の倍はある巨大な扉は思いがけず滑らかに動き始めた。一度動き出したあとは、こちらが慌てるほどのスピードで左右の扉が連動して開いていく。俺とアスナが息を詰めて見守る中、完全に開ききった大扉はずしんという衝撃と共に止まり、内部に隠していたものをさらけ出した。
──と言っても内部は完全な暗闇だった。俺たちの立つ回廊を満たす光も、部屋の中までは届かないらしい。冷気を含んだ濃密な闇は、いくら目を凝らしても見透かすことができない。
「…………」
俺が口を開こうとした瞬間、突然入り口からわずかに離れた床の両側に、ボッと音を立てて二つの青白い炎が燃え上がった。思わず二人同時にビクリと体をすくませてしまう。
すぐに、少し離れた場所にまた二つ炎が灯った。そしてもう一組。さらにもう一組。
ボボボボボ……という連続音と共に、たちまち入り口から部屋の中央に向かってまっすぐに炎の道ができ上がる。最後に一際大きな火柱が吹き上がり、同時に奥行きのある長方形の部屋全体が薄青い光に照らし出された。かなり広い。マップの残り空白部分がこの部屋だけで埋まるサイズだ。
アスナが緊張に耐えかねたように、俺の右腕にぎゅっとしがみついた。だが俺にもその感触を楽しむ余裕など微塵もない。なぜなら、激しく揺れる火柱の後ろから徐々に巨大な姿が出現しつつあったからだ。
見上げるようなその体軀は、全身縄のごとく盛り上がった筋肉に包まれている。肌は周囲の炎に負けぬ深い青、分厚い胸板の上に乗った頭は、人間ではなく山羊のそれだった。
頭の両側からは、ねじれた太い角が後方にそそり立つ。眼は、これも青白く燃えているかのような輝きを放っているが、その視線は明らかにこちらにひたと据えられているのが解る。下半身は濃紺の長い毛に包まれ、炎に隠れてよく見えないがそれも人ではなく動物のもののようだ。簡単に言えばいわゆる悪魔の姿そのものである。
入り口から、奴のいる部屋の中央まではかなりの距離があった。にもかかわらず俺たちは、すくんだように動けなかった。今までそれこそ無数のモンスターと戦ってきたが、悪魔型というのは初めてだ。色々なRPGでお馴染みと言ってよいその姿だが、こうやって《直》に対面すると、体の内側から湧き上がる原始的な恐怖心を抑えることができない。
おそるおそる視線を凝らし、出てきたカーソルの文字を読む。《The Gleameyes》、間違いなくこの層のボスモンスターだ。名前に定冠詞がつくのはその証である。グリームアイズ──輝く目、か。
そこまで読み取った時、突然青い悪魔が長く伸びた鼻面を振り上げ、轟くような雄叫びを上げた。炎の行列が激しく揺らぎ、びりびりと振動が床を伝わってくる。口と鼻から青白く燃える呼気を噴出しながら、右手に持った巨大な剣をかざして──と思う間も無く、青い悪魔はまっすぐこちらに向かって、地響きを立てつつ猛烈なスピードで走り寄ってきた。
「うわあああああ!」
「きゃあああああ!」
俺たちは同時に悲鳴を上げ、くるりと向き直ると全力でダッシュした。ボスモンスターは部屋から出ない、という原則を頭では判っていても、とても踏みとどまれるものではない。鍛え上げた敏捷度パラメータに物を言わせ、俺とアスナは長い回廊を疾風のごとく駆け抜け、遁走した。