1 アインクラッド

10 ①

 俺とアスナは迷宮区の中ほどに設けられた安全エリア目指して一心不乱に駆け抜けた。途中何度かモンスターにターゲットされたような気がするが、正直構っていられなかった。

 安全エリアに指定されている広い部屋に飛び込み、並んでかべぎわにずるずるとへたり込む。大きく一息ついてお互い顔を見合わせると、


「……ぷっ」


 どちらともなく笑いがこみ上げてきた。冷静にマップなりで確認すれば、やはりあの巨大あくが部屋から出てこないのはすぐに判ったはずだが、どうしても立ち止まる気にはならなかったのだ。


「あはは、やー、逃げた逃げた!」


 アスナは床にぺたりと座り込んで、愉快そうに笑った。


「こんなにいつしようけんめい走ったのすっごい久しぶりだよ。まぁ、わたしよりキリト君のほうがすごかったけどね!」

「…………」


 否定できない。ぜんとした俺の表情を眺めながら散々くすくす言い続けたアスナは、ようやく笑いを収めると、


「……あれは苦労しそうだね……」


 と表情を引きめた。


「そうだな。パッと見、武装は大型剣ひとつだけど特殊こうげきアリだろうな」

「前衛に堅い人を集めてどんどんスイッチして行くしかないね」

「盾装備のやつが十人は欲しいな……。まあ、当面は少しずつちょっかい出して傾向と対策って奴を練るしかなさそうだ」

「盾装備、ねえ」


 アスナが意味ありげな視線でこちらを見た。


「な、なんだよ」

「君、なんか隠してるでしょ」

「いきなり何を……」

「だっておかしいもの。普通、片手剣の最大のメリットって盾持てることじゃない。でもキリト君が盾持ってるとこ見たことない。わたしの場合は細剣のスピードが落ちるからだし、スタイル優先で持たないって人もいるけど、君の場合はどっちでもないよね。……あやしいなぁ」


 図星だった。確かにおれには隠している技がある。しかし今まで一度として人前では使ったことがない。

 スキル情報が大事な生命線だということもあるし、またその技を知られることは、俺と周囲の人間とのあいだにさらなるかくぜつを生むことになるだろうと思ったからだ。

 だが、この女になら──知られても、構わないだろうか……。

 そう思って口を開こうとした時、


「まあ、いいわ。スキルのせんさくはマナー違反だもんね」


 と笑われてしまった。機先を制された格好で俺は口をつぐむ。アスナは視線をちらりと振って時計を確認し、目を丸くした。


「わ、もう三時だ。遅くなっちゃったけど、お昼にしましょうか」

「なにっ」


 たんに色めき立つ俺。


「て、手作りですか」


 アスナは無言ですました笑みを浮かべると、手早くメニューを操作し、白革の手袋を装備解除して小ぶりなバスケットを出現させた。この女とコンビを組んで確実に良かったことが、少なくとも一つはあるな──とらちな思考を巡らせたしゆんかん、じろりとにらまれてしまう。


「……なんか考えてるでしょ」

「な、なにも。それより早く食わせてくれ」


 むー、という感じでくちびるとがらせながらも、アスナはバスケットから大きな紙包みを二つ取り出し、一つをおれにくれた。慌てて開けると中身は、丸いパンをスライスして焼いた肉や野菜をふんだんに挟み込んだサンドイッチだった。しように似た香ばしいにおいが漂う。たんに俺は猛烈な空腹を感じて、物も言わず大口を開けてかぶりついた。


「う……うまい……」


 二口みくち立て続けにかじり、夢中で飲み込むと素直な感想が口をついて出た。アインクラッドのNPCレストランで供される、どこか異国風の料理に外見は似ているが味付けが違う。ちょっと濃い目のあまからさは、まがうことなく二年前までひんぱんに食べていた日本風ファーストフードと同系列の味だ。あまりのなつかしさに思わず涙がこぼれそうになりながら、俺は大きなサンドイッチを夢中でほおりつづけた。

 最後のひとかけらを飲み込み、アスナの差し出してくれた冷たいお茶を一気にあおって俺はようやく息をついた。


「おまえ、この味、どうやって……」

「一年の修行とけんさんの成果よ。アインクラッドで手に入る約百種類の調味料が味覚再生エンジンに与えるパラメータをぜ~~~んぶ解析して、これを作ったの。こっちがグログワの種とシュブルの葉とカリム水」


 言いながらアスナはバスケットからびんを二つ取り出し、片方の栓を抜いて人差し指を突っ込んだ。どうにも形容しがたい紫色のどろりとした物が付着した指を引き抜き、言う。


「口あけて」


 ぽかんとしながらも、反射的にあんぐりと開けた俺の大口をねらって、アスナがぴんと指先をはじいた。どろぴしゃっと飛び込んできたしずくの味に、俺は心底きようがくした。


「……マヨネーズだ!!」

「で、こっちがアビルパ豆とサグの葉とウーラフィッシュの骨」


 最後のはどくポーションの原料だった気がしたが、確認する間もなく、再び口に液体の弾が命中した。その味に、俺は先刻を大きく上回るしようげきを感じた。間違いなくしようの味そのものだ。感激のあまり、思わず眼前のアスナの手をつかまえて指をぱくりとくわえてしまう。


「ぎゃっ!!」


 悲鳴とともに指を引き抜いたアスナはぎろりとこちらをにらんだが、俺のほうづらを見て軽く吹き出した。


「さっきのサンドイッチのソースはこれで作ったのよ」

「…………すごい。かんぺきだ。おまえこれ売り出したらすっごくもうかるぞ」


 正直、俺には昨日のラグー・ラビットの料理よりも今日のサンドイッチのほうがうまく感じられた。


「そ、そうかな」


 アスナは照れたような笑みを浮かべる。


「いや、やっぱりだめだ。おれの分が無くなったら困る」

「意地汚いなあもう! 気が向いたら、また作ってあげるわよ」


 最後のひと言を小声で付け足すと、アスナは横に並んだ俺の肩に、ほんの少しだけ自分の肩を触れさせた。ここが死地のただなかだということも忘れてしまうような、おだやかなちんもくが周囲に満ちる。

 こんな料理が毎日食えるなら節を曲げてセルムブルグに引っ越すかな……アスナの家のそばに……などと不覚にも考え、危うく実際にそれを口にしかけた時。

 不意に下層側の入り口からプレイヤーの一団がよろいをガチャガチャ言わせながら入ってきた。俺たちはしゆんかんてきにパッとはなれて座りなおす。

 現れた六人パーティーのリーダーを一目見て、俺は肩の力を抜いた。男は、この浮遊城でもっとも古い付き合いのカタナ使いだったのだ。


「おお、キリト! しばらくだな」


 俺だと気付いて笑顔で近寄ってきた長身の男と、腰を上げてあいさつを交わす。


「まだ生きてたか、クライン」

「相変わらずあいのねえ野郎だ。めずらしく連れがいるの……か……」


 荷物を手早く片付けて立ち上がったアスナを見て、カタナ使いは額に巻いたしゆの悪いバンダナの下の目を丸くした。


「あー……っと、ボス戦で顔は合わせてるだろうけど、一応紹介するよ。こいつはギルド《ふうりんざん》のクライン。で、こっちは《血盟だん》のアスナ」


 俺の紹介にアスナはちょこんと頭を下げたが、クラインは目のほかに口も丸く開けて完全停止した。


「おい、何とか言え。ラグってんのか?」


 ひじでわき腹をつついてやるとようやく口を閉じ、すごい勢いで最敬礼気味に頭を下げる。


「こっ、こんにちは!! くくクラインという者です二十四歳独身」

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