どさくさに紛れて妙なことを口走るカタナ使いのわき腹をもう一度今度は強めにどやしつける。だが、クラインの台詞が終わるか終わらないうちに、後ろに下がっていた五人のパーティーメンバーがガシャガシャ駆け寄ってきて、全員我先にと口を開いて自己紹介を始めた。
《風林火山》のメンバーは、全員がSAO以前からの馴染みらしい。クラインは、独力で仲間を一人も欠くことなく守り抜き、攻略組の一角を占めるまでに育て上げたのだ。二年前──このデスゲームが始まった日、俺が怯み、拒んだその重みを、彼は堂々と背負い続けている。
胸中深くに滲む自己嫌悪を吞み下し、振り返ると、俺はアスナに向かって言った。
「……ま、まあ、悪い連中じゃないから。リーダーの顔はともかく」
今度は俺の足をクラインが思い切り踏みつける。その様子を見ていたアスナが、我慢しきれないというふうに体を折るとくっくっと笑いはじめた。クラインは照れたようなだらしない笑顔を浮かべていたが、突然我に返って俺の腕を摑むと、抑えつつも殺気のこもった声で聞いてきた。
「どっどどどういうことだよキリト!?」
返答に窮した俺の傍らにアスナが進み出てきて、
「こんにちは。しばらくこの人とパーティー組むので、よろしく」
とよく通る声で言った。俺は内心で、えっ今日だけじゃなかったの!? と仰天し、クラインたちが表情を落胆と憤怒の間で目まぐるしく変える。
やがてクラインがぎろっと殺気充分の視線を俺に向け、高速歯軋りに乗せて唸った。
「キリト、てンめぇ……」
これはただでは解放されそうもない、と俺が肩を落とした、その時。
先ほど連中がやってきた方向から、新たな一団の訪れを告げる足音と金属音が響いてきた。やたらと規則正しいその音に、アスナが緊張した表情で俺の腕に触れ、ささやいた。
「キリト君、《軍》よ!」
ハッとして入り口を注視すると、果たして現れたのは森で見かけたあの重装部隊だった。クラインが手を上げ、仲間の五人を壁際に下がらせる。例によって二列縦隊で部屋に入ってきた集団の行進は、しかし森で見た時ほど整然とはしていなかった。足取りは重く、ヘルメットから覗く表情にも疲弊の色が見て取れる。
安全エリアの、俺たちとは反対側の端に部隊は停止した。先頭にいた男が「休め」と言った途端、残り十一人が盛大な音とともに倒れるように座り込んだ。男は、仲間の様子に目もくれずにこちらに向かって近づいてきた。
よくよく見ると、男の装備は他の十一人とはやや異なるようだった。金属鎧も高級品だし、胸部分に他の者にはない、アインクラッド全景を意匠化したらしき紋章が描かれている。
男は俺たちの前で立ち止まると、ヘルメットを外した。かなりの長身だ。三十代前半といったところだろうか、ごく短い髪に角張った顔立ち、太い眉の下には小さく鋭い眼が光り、口元は固く引き結ばれている。じろりとこちらを睥睨すると、男は先頭に立っていた俺に向かって口を開いた。
「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」
なんと。《軍》というのは、その集団外部の者が揶揄的につけた呼称のはずだったが、いつから正式名称になったのだろう。そのうえ《中佐》と来た。俺はやや辟易しながら、「キリト。ソロだ」と短く名乗った。
男は軽く頷き、横柄な口調で訊いてきた。
「君らはもうこの先も攻略しているのか?」
「……ああ。ボス部屋の手前まではマッピングしてある」
「うむ。ではそのマップデータを提供して貰いたい」
当然だ、と言わんばかりの男の台詞に俺も少なからず驚いたが、後ろにいたクラインはそれどころではなかった。
「な……て……提供しろだと!? 手前ェ、マッピングする苦労が解って言ってんのか!?」
胴間声で喚く。未攻略区域のマップデータは貴重な情報だ。トレジャーボックス狙いの鍵開け屋の間では高値で取引されている。
クラインの声を聞いた途端男は片方の眉をぴくりと動かし、ぐいと顎を突き出すと、
「我々は君ら一般プレイヤーの解放の為に戦っている!」
大声を張り上げた。続けて、
「諸君が協力するのは当然の義務である!」
──傲岸不遜とはこのことだ。ここ一年、軍が積極的にフロア攻略に乗り出してきたことはほとんどないはずだが。
「ちょっと、あなたねえ……」
「て、てめぇなぁ……」
左右から激発寸前の声を出すアスナとクラインを、しかし俺は両手で制した。
「どうせ街に戻ったら公開しようと思っていたデータだ、構わないさ」
「おいおい、そりゃあ人が好すぎるぜキリト」
「マップデータで商売する気はないよ」
言いながらトレードウインドウを出し、コーバッツ中佐と名乗る男に迷宮区のデータを送信する。男は表情一つ動かさずそれを受信すると、「協力感謝する」と感謝の気持ちなどかけらも無さそうな声で言い、くるりと後ろを向いた。その背中に向かって声をかける。
「ボスにちょっかい出す気ならやめといたほうがいいぜ」
コーバッツはわずかにこちらを振り向いた。
「……それは私が判断する」
「さっきちょっとボス部屋を覗いてきたけど、生半可な人数でどうこうなる相手じゃないぜ。仲間も消耗してるみたいじゃないか」
「……私の部下はこの程度で音を上げるような軟弱者ではない!」
部下、という所を強調してコーバッツは苛立ったように言ったが、床に座り込んだままの当の部下たちは同意しているふうには見えなかった。
「貴様等さっさと立て!」
というコーバッツの声にのろのろ立ち上がり、二列縦隊に整列する。コーバッツは最早こちらには目もくれずその先頭に立つと、片手を上げてサッと振り下ろした。十二人はガシャリと一斉に武器を構え、重々しい装備を鳴らしながら進軍を再開した。
見かけ上のHPは満タンでも、SAO内での緊迫した戦闘は目に見えぬ疲労を残す。あちらの世界に置き去りの実際の肉体はぴくりとも動いていないはずだが、その疲労感はこちらで睡眠・休息を取るまで消えることはない。俺が見たところ、軍のプレイヤーたちは慣れぬ最前線での戦闘で限界近くまで消耗しているようだった。
「……大丈夫なのかよあの連中……」
軍の部隊が上層部へと続く出口に消え、規則正しい足音も聞こえなくなった頃、クラインが気遣わしげな声で言った。まったく人のいい奴だ。
「いくらなんでもぶっつけ本番でボスに挑んだりしないと思うけど……」
アスナもやや心配そうだ。確かにあのコーバッツ中佐という奴の言動には、どこか無謀さを予期させるものがあった。
「……一応様子だけでも見に行くか……?」
俺が言うと、二人だけでなくクラインの仲間五人も相次いで首肯した。
「どっちがお人好しなんだか」と苦笑しながらも、俺も肚を決めていた。ここで脱出して、あとからさっきの連中が未帰還だ、などという話を聞かされたら寝覚めが悪すぎる。
手早く装備を確認し、歩き出そうとした俺の耳に──。
背後で、アスナにひそひそ話しかけるクラインの声が届いた。性懲りも無く、と呆れかけたが、言葉の内容はまったく予想外のものだった。
「あー、そのぉ、アスナさん。ええっとですな……アイツの、キリトのこと、宜しく頼んます。口下手で、無愛想で、戦闘マニアのバカタレですが」
俺はびゅんっとバックダッシュし、クラインのバンダナの尻尾を思い切り引っ張った。
「な、何を言っとるんだお前は!」
「だ、だってよう」
カタナ使いは首を傾けたまま、じょりじょりと顎の無精ひげを擦った。
「おめぇがまた誰かとコンビ組むなんてよう。たとえ美人の色香に惑ったにしても大した進歩だからよう……」
「ま、惑ってない!」
言い返したものの、クラインとその仲間五人、そして何故かアスナまでもがにやにやと俺を見ているので、口をひんまげて後ろを向くことしかできなかった。
おまけにアスナがクラインに、任されました、などと言っている声まで聞こえた。
ずがずがとブーツの底を鳴らし、俺は上階へと続く通路へと脱出した。