運悪くリザードマンの集団に遭遇してしまい、俺たち八人が最上部の回廊に到達した時には安全エリアを出てから三十分が経過していた。途中で軍のパーティーに追いつくことはなかった。
「ひょっとしてもうアイテムで帰っちまったんじゃねぇ?」
おどけたようにクラインが言ったが、俺たちは皆そうではないだろうと感じていた。長い回廊を進む足取りが自然と速くなる。
半ばほどまで進んだ時、不安が的中したことを知らせる音が回廊内を反響しながら俺たちの耳に届いてきた。咄嗟に立ち止まり耳を澄ませる。
「あぁぁぁぁぁ…………」
かすかに聞こえたそれは、まちがいなく悲鳴だった。
モンスターのものではない。俺たちは顔を見合わせると、一斉に駆け出した。敏捷力パラメータに優る俺とアスナがクラインたちを引き離してしまう格好になったが、この際構っていられない。青く光る濡れた石畳の上を、先ほどとは逆の方向に風の如く疾駆する。
やがて、彼方にあの大扉が出現した。すでに左右に大きく開き、内部の闇で燃え盛る青い炎の揺らめきが見て取れる。そしてその奥で蠢く巨大な影。断続的に響いてくる金属音。そして悲鳴。
「バカッ……!」
アスナが悲痛な叫びを上げると、更にスピードを上げた。俺も追随する。システムアシストの限界ぎりぎりの速度だ。ほとんど地に足をつけず、飛んでいるに等しい。回廊の両脇に立つ柱が猛烈なスピードで後ろに流れていく。
扉の手前で俺とアスナは急激な減速をかけ、ブーツの鋲から火花を撒き散らしながら入り口ギリギリで停止した。
「おい! 大丈夫か!」
叫びつつ半身を乗り入れる。
扉の内部は──地獄絵図だった。
床一面、格子状に青白い炎が噴き上げている。その中央でこちらに背を向けて屹立する、金属質に輝く巨体。青い悪魔ザ・グリームアイズだ。
禍々しい山羊の頭部から燃えるような呼気を噴き出しながら、悪魔は右手の斬馬刀とでもいうべき巨剣を縦横に振り回している。まだHPバーは三割も減っていない。その向こうで必死に逃げ惑う、悪魔と比べて余りに小さな影。軍の部隊だ。
もう統制も何もあったものではない。咄嗟に人数を確認するが、二人足りない。転移アイテムで離脱したのであればいいが──。
そう思う間にも、一人が斬馬刀の横腹で薙ぎ払われ、床に激しく転がった。HPが赤い危険域に突入している。どうしてそんなことになったのか、軍と、俺たちのいる入り口との間に悪魔が陣取っており、これでは離脱もままならない。俺は倒れたプレイヤーに向かって大声を上げた。
「何をしている! 早く転移アイテムを使え!!」
だが、男はさっとこちらに顔を向けると、炎に青く照らし出された明らかな絶望の表情で叫び返してきた。
「だめだ……! く……クリスタルが使えない!!」
「な……」
思わず絶句する。この部屋は《結晶無効化空間》なのか。迷宮区で稀に見られるトラップだが、ボスの部屋がそうであったことは今まで無かった。
「なんてこと……!」
アスナが息を吞む。これではうかつに助けにも入れない。その時、悪魔の向こう側で一人のプレイヤーが剣を高く掲げ、怒号を上げた。
「何を言うか……ッ!! 我々解放軍に撤退の二文字は有り得ない!! 戦え!! 戦うんだ!!」
間違いなくコーバッツの声だ。
「馬鹿野郎……!!」
俺は思わず叫んでいた。結晶無効化空間で二人居なくなっているということは──死んだ、消滅したということだ。それだけはあってはならない事態なのに、あの男は今更何を言っているのか。全身の血が沸騰するような憤りを覚える。
その時、ようやくクラインたち六人が追いついてきた。
「おい、どうなってるんだ!!」
俺は手早く事態を伝える。クラインの顔が歪む。
「な……何とかできないのかよ……」
俺たちが斬り込んで連中の退路を拓くことはできるかもしれない。だが、緊急脱出不可能なこの空間で、こちらに死者が出る可能性は捨てきれない。あまりにも人数が少なすぎる。俺が逡巡しているうち、悪魔の向こうでどうにか部隊を立て直したらしいコーバッツの声が響いた。
「全員……突撃……!」
十人のうち、二人はHPバーを限界まで減らして床に倒れている。残る八人を四人ずつの横列に並べ、その中央に立ったコーバッツが剣をかざして突進を始めた。
「やめろ……っ!!」
だが俺の叫びは届かない。
余りに無謀な攻撃だった。八人で一斉に飛び掛っても、満足に剣技を繰り出すことができず混乱するだけだ。それよりも防御主体の態勢で、一人が少しずつダメージを与え、次々にスイッチしていくべきなのに。
悪魔は仁王立ちになると、地響きを伴う雄叫びと共に、口から眩い噴気を撒き散らした。どうやらあの息にもダメージ判定があるらしく、青白い輝きに包まれた八人の突撃の勢いが緩む。そこに、すかさず悪魔の巨剣が突き立てられた。一人がすくい上げられるように斬り飛ばされ、悪魔の頭上を越えて俺たちの眼前の床に激しく落下した。
コーバッツだった。
HPバーが消滅していた。自分の身に起きたことが理解できないという表情のなかで、口がゆっくりと動いた。
──有り得ない。
無音でそう言った直後、コーバッツの体は、神経を逆撫でするような効果音と共に無数の断片となって飛散した。余りにもあっけない消滅に、俺の傍らでアスナが短い悲鳴を上げる。
リーダーを失った軍のパーティーはたちまち瓦解した。喚き声を上げながら逃げ惑う。すでに全員のHPが半分を割り込んでいる。
「だめ……だめよ……もう……」
絞り出すようなアスナの声に、俺はハッとして横を見た。咄嗟に腕を摑もうとする。
だが一瞬遅かった。
「だめ────ッ!!」
絶叫と共に、アスナは疾風の如く駆け出した。空中で抜いた細剣と共に、一筋の閃光となってグリームアイズに突っ込んでいく。
「アスナッ!」
俺は叫び、やむなく抜剣しながらその後を追った。
「どうとでもなりやがれ!!」
クラインたちがときの声を上げつつ追随してくる。
アスナの捨て身の一撃は、不意を突く形で悪魔の背に命中した。だがHPはろくに減っていない。
グリームアイズは怒りの叫びと共に向き直ると、猛烈なスピードで斬馬刀を振り下ろした。アスナは咄嗟にステップでかわしたが、完全には避けきれず余波を受けて地面に倒れこんだ。そこに、連撃の次弾が容赦なく降り注ぐ。
「アスナ───ッ!!」