1 アインクラッド

12 ①

「……くん! キリト君ってば!!」


 悲鳴にも似たアスナの叫びに、おれの意識は無理やり呼び戻された。頭を貫く痛みに顔をしかめながら上体を起こす。


「いててて……」


 見渡すと、そこは先ほどのボス部屋だった。まだ空中を青い光のざんが舞っている。意識を失っていたのは数秒のことらしい。

 目の前に、ぺたりとしゃがみこんだアスナの顔があった。泣き出す寸前のようにまゆを寄せ、くちびるめている。


「バカッ……! ちやして……!」


 叫ぶと同時にすごい勢いで首にしがみついてきたので、俺はきようがくのあまり頭痛も忘れて眼を白黒させた。


「……あんまり締め付けると、俺のHPがなくなるぞ」


 どうにか冗談めかしてそう言うと、アスナは真剣に怒った顔をした。直後、口に小さなびんを突っ込まれてしまう。流れ込んでくる、緑茶にレモンジュースを混ぜたような味の液体は回復用のハイ・ポーションだ。これであと五分もすれば数値的にはフル回復するだろうが、全身のけんたいかんは当分消えないだろう。

 アスナはおれびんの中身を飲み干したのを確認すると、くしゃっと顔をゆがめ、その表情を隠すように俺の肩に額を当てた。

 足音に顔を上げると、クラインがえんりよがちに声を掛けてきた。


「生き残った軍の連中の回復は済ませたが、コーバッツとあと二人死んだ……」

「……そうか。ボス攻略でせいしやが出たのは、六十七層以来だな……」

「こんなのが攻略って言えるかよ。コーバッツの鹿野郎が……。死んじまっちゃ何にもなんねえだろうが……」


 き出すようなクラインの台詞せりふ。頭を左右に振ると太いため息をつき、気分を切り替えるようにいてきた。


「そりゃあそうと、オメエ何だよさっきのは!?」

「……言わなきゃダメか?」

「ったりめえだ! 見たことねえぞあんなの!」


 気付くと、アスナを除いた、部屋にいる全員がちんもくして俺の言葉を待っている。


「……エクストラスキルだよ。《二刀流》」


 おお……というどよめきが、軍の生き残りやクラインの仲間のあいだに流れた。

 通常、様々な武器スキルは系統だった修行によって段階的に習得することができる。例えば剣なら、基本の片手直剣スキルがある程度まで成長して条件を満たすと、新たな選択可能スキルとして《細剣》や《両手剣》などがリストに出現する。

 当然の興味を顔に浮かべ、クラインがき込むように言った。


「しゅ、出現条件は」

わかってりゃもう公開してる」


 首を横に振った俺に、カタナ使いも、まぁそうだろなあとうなる。

 出現の条件がはっきり判明していない武器スキル、ランダム条件ではとさえ言われている、それがエクストラスキルと呼ばれるものだ。身近なところでは、クラインの《カタナ》も含まれる。もっともカタナスキルはそれほどレアなものではなく、きよくとうをしつこく修行していれば出現する場合が多い。

 そのように、十数種類知られているエクストラスキルのほとんどは最低でも十人以上が習得に成功しているのだが、俺が持つ《二刀流》と、ある男のスキルだけはその限りではなかった。

 この二つは、おそらく習得者がそれぞれ一人しかいない《ユニークスキル》とでも言うべきものだ。今まで俺は二刀流の存在をひた隠しにしていたが、今日から俺の名が二人目のユニークスキル使いとしてこうかんに流れることになるだろう。これだけの人数の前でろうしてしまっては、とても隠しおおせるものではない。


「ったく、みずくせぇなあキリト。そんなすげえウラワザだまってるなんてよう」

「スキルの出し方がわかってれば隠したりしないさ。でもさっぱり心当たりがないんだ」


 ぼやくクラインに、おれは肩をすくめて見せた。

 言葉にいつわりはない。一年ほど昔のある日、何気なくスキルウインドウを見たら、いきなり《二刀流》の名前が出現していたのだ。きっかけなど見当もつかない。

 以来、俺は二刀流スキルの修行は常に人の目がない所でのみ行ってきた。ほぼマスターしてからは、たとえソロ攻略中、モンスター相手でもよほどのピンチの時以外使用していない。いざという時のための保身という意味もあったが、それ以上に無用な注目を集めるのがいやだったからだ。

 いっそ俺のほかに早く二刀流を持ったやつが出てこないものかと思っていたのだが──。

 俺は指先で耳のあたりをきながら、ぼそぼそ言葉を続けた。


「……こんなレアスキル持ってるなんて知られたら、しつこく聞かれたり……いろいろあるだろう、その……」


 クラインが深くうなずいた。


「ネットゲーマーはしつ深いからな。オレは人間ができてるからともかく、ねたそねみはそりゃああるだろうなあ。それに……」


 そこで口をつぐむと、俺にしっかと抱きついたままのアスナを意味ありげに見やり、にやにや笑う。


「……まあ、苦労も修行のうちと思って頑張りたまえ、若者よ」

「勝手なことを……」


 クラインは腰をかがめて俺の肩をポンとたたくと、振り向いて《軍》の生存者たちのほうへと歩いていった。


「お前たち、本部まで戻れるか?」


 クラインの言葉に一人が頷く。まだ十代とおぼしき男だ。


「よし。今日あったことを上にしっかり伝えるんだ。二度とこういうぼうをしないようにな」

「はい。……あ、あの……がとうございました」

「礼なら奴に言え」


 こちらに向かって親指を振る。軍のプレイヤーたちはよろよろと立ち上がると、座り込んだままの俺とアスナに深々と頭を下げ、部屋から出ていった。回廊に出たところで次々と結晶を使いテレポートしていく。

 その青い光が収まると、クラインは、さて、という感じで両手を腰に当てた。


「オレたちはこのまま七十五層の転移門をアクティベートして行くけど、お前はどうする? 今日の立役者だし、お前がやるか?」

「いや、任せるよ。おれはもうヘトヘトだ」

「そうか。……気をつけて帰れよ」


 クラインはうなずくと仲間に合図した。六人で、部屋の奥にある大扉のほうに歩いて行く。その向こうには上層へとつながる階段があるはずだ。扉の前で立ち止まると、カタナ使いはヒョイと振り向いた。


「その……、キリトよ。おめぇがよ、軍の連中を助けに飛び込んでいった時な……」

「……なんだよ?」

「オレぁ……なんつうか、うれしかったよ。そんだけだ、またな」


 まったく意味不明だ。首をかしげる俺に、クラインはぐいっと右手の親指を突き出すと、扉を開けて仲間といつしよにその向こうへ消えていった。

 だだっ広いボス部屋に、俺とアスナだけが残された。床から噴き上げていた青い炎はいつの間にか静まり、部屋全体に渦巻いていたよううそのように消え去っている。周囲には回廊と同じような柔らかな光が満ち、先ほどのとうこんせきすら残っていない。

 まだ俺の肩に頭を乗せたままのアスナに声をかける。


「おい……アスナ……」

「…………怖かった……君が死んじゃったらどうしようかと……思って……」


 その声は、今まで聞いたことがないほどかぼそくふるえていた。


「……何言ってんだ、先に突っ込んで行ったのはそっちだろう」


 言いながら、俺はそっとアスナの肩に手をかけた。あまりあからさまに触れるとハラスメントフラグが立ってしまうが、今はそんなことを気にしている状況ではないだろう。

 ごく軽く引き寄せると、右耳のすぐ近くから、ほとんど音にならない声がひびいた。


「わたし、しばらくギルド休む」

「や、休んで……どうするんだ?」

「……君としばらくパーティー組むって言ったの……もう忘れた?」


 その言葉を聞いたたん

 胸の奥底に、強烈な渇望としか思えない感情が生まれたことに、俺自身がきようがくした。

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