1 アインクラッド

12 ②

 俺は──ソロプレイヤーのキリトは、この世界で生き残るために、ほかのプレイヤー全員を切り捨てた人間だ。二年前、すべてが始まったあの日に、たった一人の友人に背を向け、見捨てて立ち去ったきようものだ。

 そんな俺に、仲間を──ましてやそれ以上の存在を求める資格などない。

 俺はすでに、そのことを取り返しのつかない形で思い知らされている。同じあやまちは二度と犯さない、もうだれの心も求めないと、俺は固く誓ったはずだ。

 なのに。

 こわった左手は、どうしてもアスナの肩からはなれようとしない。触れあう部分から伝わる仮想の体温を、どうしても引きがすことができない。

 巨大な矛盾と迷い、そして名づけられない一つの感情を抱えながら、おれはごく短く答えた。


「……わかった」


 こくり、と肩の上でアスナがうなずいた。


 翌日。

 俺は朝からエギルの雑貨屋の二階にシケ込んでいた。揺りにふんぞり返って足を組み、店の不良在庫なのだろう奇妙な風味のお茶をげんすする。

 すでにアルゲード中──いや、多分アインクラッド中が昨日の《事件》で持ちきりだった。

 フロア攻略、新しい街へのゲート開通だけでも充分な話題なのに、今回はいろいろオマケがあったからだ。いわく《軍の大部隊を全滅させたあく》、曰く《それを単独げきした二刀流使いの五十連撃》……。尾ひれが付くにもほどがある。

 どうやって調べたのか、俺のねぐらには早朝から剣士やら情報屋が押しかけてきて、脱出するのにわざわざ転移結晶を使うハメになったのだ。


「引っ越してやる……どっかすげえ田舎いなかフロアの、絶対見つからないような村に……」


 ブツブツつぶやく俺に、エギルがにやにやと笑顔を向けてくる。


「まあ、そう言うな。一度くらいは有名人になってみるのもいいさ。どうだ、いっそ講演会でもやってみちゃ。会場とチケットの手はずはオレが」

「するか!」


 叫び、俺は右手のカップをエギルの頭の右横五十センチをねらって投げた。が、み付いた動作によって投剣スキルが発動してしまい、かがやきながら猛烈な勢いですっ飛んだカップは、部屋の壁に激突してだいおんきようき散らした。

 幸い、建物本体はかい不能なので、視界に【Immortal Object】のシステムタグが浮かんだだけだったが、家具に命中したら粉砕していたに違いない。


「おわっ、殺す気か!」


 大げさにわめく店主に、ワリ、と右手を上げて俺は再び椅子に沈み込んだ。

 エギルは今、俺が昨日のせんとうで手に入れたお宝をかんていしている。時々奇声を上げているところを見ると、それなりに貴重品も含まれているらしい。

 下取りしてもらった売上げはアスナと山分けすることにしていたが、そのアスナは約束の時間を過ぎてもさっぱり現れない。フレンドメッセージを飛ばしておいたのでここに居ることはわかっているはずだが。

 昨日は、七十四層主街区の転移門で別れた。アスナはギルドに休暇届けを出してくると言って、KoB本部のある五十五層グランザムに向かった。クラディールとのこともあるし、俺も同行しようかと申し出たのだが、笑顔でだいじようと言われては引き下がるしかなかった。

 すでに待ち合わせの時刻から二時間が経過している。ここまで遅れるからには何かあったのだろうか。やはり無理矢理にでもついて行くべきだったか。込み上げてくる不安を抑えこむように茶を飲み干す。

 おれの前の大きなポットが空になり、エギルのかんていがあらかた終了したころ、ようやく階段をトントンと駆け上ってくる足音がした。勢いよく扉が開かれる。


「よ、アスナ……」


 遅かったじゃないか、という言葉を俺はみ込んだ。いつものユニフォーム姿のアスナは顔をそうはくにし、大きな目を不安そうに見開いている。両手を胸の前で固く握り、二、三度くちびるめたあと、


「どうしよう……キリト君……」


 と泣き出しそうな声で言った。


「大変なことに……なっちゃった……」



 新しくれた茶を一口飲み、ようやく顔に血の気が戻ったアスナはぽつりぽつりと話しはじめた。気をかせたエギルは一階の店先に出ている。


「昨日……あれからグランザムのギルド本部に行って、あったことを全部団長に報告したの。それで、ギルドの活動お休みしたいって言って、その日は家に戻って……。今朝のギルド例会で承認されると思ったんだけど……」


 俺と向かい合わせのに座ったアスナは、視線を伏せてお茶のカップを両手で握り締めながら言った。


「団長が……わたしの一時脱退を認めるには、条件があるって……。キリト君と……立ち会いたい……って……」

「な……」


 いつしゆん理解できなかった。立ち会う……とはつまりデュエルをするということだろうか。アスナの活動休止がどうしてそんな話になるのか?

 その疑問を口にすると、


「わたしにもわかんない……」


 アスナはうつむいて首を振った。


「そんなことしても意味ないっていつしようけんめい説得したんだけど……どうしても聞いてくれなくって……」

「でも……めずらしいな。あの男が、そんな条件出してくるなんて……」


 脳裏に、彼の姿を思い浮かべながらつぶやく。


「そうなのよ。団長は、だんギルドの活動どころか、フロア攻略の作戦とかもわたしたちに一任してぜんぜん命令とかしないの。でも、何でか今回に限って……」


 KoBの団長は、その圧倒的なカリスマで己のギルドどころか攻略組ほぼ全員の心をしようあくしているが、意外にも指示命令のたぐいはほとんど発さない。おれも、対ボスせんとうで何度も肩を並べたが、無言で戦線を支え続けるその姿には敬服せずにはいられないものがある。

 そんな男が今回に限って異論を差し挟み、しかもその内容が俺とのデュエルとは、いったいどういうことなのか。

 首をひねりつつも、俺はアスナを安心させるべく言った。


「……ともかく、一度グランザムまで行くよ。俺が直接談判してみる」

「ん……。ごめんね。迷惑ばっかりかけちゃうね……」

「何でもするさ。大事な……」


 言葉を探してちんもくする俺を、アスナがじっと見つめる。


「……攻略パートナーのためだからな」


 少しだけ不満そうにくちびるとがらせたが、アスナはようやくほのかな笑顔を見せた。

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