1 アインクラッド

12 ③

 最強の男。生きる伝説。せい等々。血盟騎士団のギルドリーダーに与えられた二つ名は片手の指では足りないほどだ。

 彼の名はヒースクリフ。俺の《二刀流》がちまたで口のにのぼる以前は、約六千のプレイヤー中、唯一ユニークスキルを持つ男として知られていた。

 十字をかたどった一対の剣と盾を用い、攻防自在の剣技を操るそのスキルの名は《神聖剣》。俺も何度か間近で見たことがあるが、とにかく圧倒的なのはその防御力だ。彼のHPバーがイエローゾーンにおちいったところを見た者はだれもいないと言われている。大きな被害を出した五十層のボスモンスター攻略戦において、ほうかい寸前だった戦線を十分間単独で支えつづけたいつは今でも語り草となっているほどだ。

 ヒースクリフの十字盾を貫く矛なし。

 それはアインクラッドで最も堅固な定説のひとつなのだ。

 アスナと連れ立って五十五層に降り立った俺は、言いようのないきんちようかんを味わっていた。無論ヒースクリフと剣を交える気などない。アスナのギルド一時脱退を認めてくれるようたのむ、目的はそれだけだ。

 五十五層の主街区グランザム市は、別名《鉄の都》と言われている。ほかの街が大抵石造りなのに対して、街を形作る無数の巨大なせんとうは、すべて黒光りする鋼鉄で作られているからだ。や彫金が盛んということもあってプレイヤー人口は多いが、街路樹のたぐいはまったく存在せず、深まりつつある秋の風の中では寒々しい印象を隠せない。

 俺たちはゲート広場を横切り、みがきぬかれた鋼鉄の板を連ねてリベット留めした広い道をゆっくり進んだ。アスナの足取りが重い。これから起こることを恐れているのだろうか。

 立ち並ぶ尖塔群の間をうように十分ほど歩くと、目の前にひときわ高い塔が現れた。巨大な扉の上部から何本も突き出す銀のやりには、白地に赤の十字を染め抜いた旗が垂れ下がって寒風にはためいている。ギルド血盟だんの本部だ。

 アスナはすこし手前で立ち止まると、塔を見上げた。


「昔は、三十九層の田舎いなかまちにあったちっちゃい家が本部でね、みんな狭い狭いっていつも文句言ってたわ。……ギルドの発展が悪いとは言わないけど……この街は寒くてきらい……」

「さっさと用を済ませて、なんか暖かいものでも食いに行こうぜ」

「もう。君は食べることばっかり」


 笑いながら、アスナは左手を動かし、きゅっとおれの右手の指先を軽く握った。どぎまぎする俺を見ることなく数秒間そのままでいたが、「よし、充電完了!」と手をはなすと、そのまま広い歩幅で塔へ向かって歩いていく。俺は慌てて後を追った。

 幅広の階段を昇った所にある大扉は左右に開け放たれていたが、そのりようわきには恐ろしく長い槍を装備した重装甲の衛兵が控えていた。アスナがブーツのびようを鳴らしながら近づいていくと、衛兵たちはガチャリと槍をささげて敬礼した。


「任務ご苦労」


 ビシリと片手で返礼する仕草といい、さつそうとした歩き方といい、ほんの一時間前にエギルの店でしょんぼりしていた彼女と同一人物とは思えない。俺はおそるおそるアスナの後に続いて衛兵の脇を通り抜け、塔に足をみ入れた。

 街並みと同じく黒い鋼鉄で造られた塔の一階は、大きな吹き抜けのロビーになっていた。人はだれもいない。

 街以上に冷たい建物だという印象を抱きつつ、様々な種類の金属を組み合わせたせいなモザイク模様の床を横切って行くと、正面に巨大なせん階段があった。

 金属音をホールにひびかせながら階段を昇っていく。筋力パラメータが低い者なら絶対途中でへばってしまうだろう高さだ。いくつもの扉の前を通りすぎ、どこまで昇るのか心配になってきたころ、ようやくアスナは足を止めた。目の前には無表情な鋼鉄の扉。


「ここか……?」

「うん……」


 アスナが気乗りしない様子でうなずく。が、やがて意を決したように右手をあげると扉を音高くノックし、答えを待たず開け放った。内部からあふれた大量の光に、俺は目を細めた。

 中は塔の一フロアを丸ごと使った円形の部屋で、壁は全面透明のガラス張りだった。そこから差し込む灰色の光が、部屋をモノトーンに染め上げている。

 中央には半円形の巨大な机が置かれ、その向こうに並んだ五脚のに、それぞれ男が腰掛けていた。左右の四人には見覚えがなかったが、中央に座る人物だけは見間違えようがなかった。せいヒースクリフだ。

 外見にはまるで威圧的な所はない。二十代半ばだろうか、学者然とした、いだようにとがった顔立ち。ひいでた額の上に、鉄灰色の前髪が流れている。長身だがせ気味の体をゆったりしたしんのローブに包んだその姿は、剣士というよりは、この世界には存在しないはずのじゆつのようだ。

 だが、特徴的なのはその目だった。不思議なしんちゆういろひとみからは、たいしたものを圧倒する強烈な磁力が放出されている。会うのは初めてではないが、正直される。

 アスナはブーツを鳴らして机の前まで行くと、軽く一礼した。


「お別れのあいさつに来ました」


 その言葉にヒースクリフはかすかに苦笑し、


「そう結論を急がなくてもいいだろう。彼と話させてくれないか」


 そう言ってこちらを見据えた。おれもフードをはずしてアスナのとなりまで進み出る。


「君とボス攻略戦以外の場で会うのは初めてだったかな、キリト君」

「いえ……前に、六十七層の対策会議で、少し話しました」


 自然と敬語になってしまいつつ答える。

 ヒースクリフは軽くうなずくと、机の上で骨ばった両手を組み合わせた。


「あれはつらい戦いだったな。我々も危うく死者を出すところだった。トップギルドなどと言われても戦力は常にギリギリだよ。──なのに君は、我がギルドの貴重な主力プレイヤーを引き抜こうとしているわけだ」

「貴重なら護衛の人選に気を使ったほうがいいですよ」


 ぶっきらぼうな俺の台詞せりふに、机のみぎはしに座っていたいかつい男が血相変えて立ち上がろうとした。それを軽く手で制し、


「クラディールは自宅できんしんさせている。迷惑をかけてしまったことは謝罪しよう。だが、我々としてもサブリーダーを引き抜かれて、はいそうですかという訳にはいかない。キリト君──」


 ヒースクリフはひたとこちらを見据えた。金属の光沢をもつ両眼から、強烈な意思力が噴き上げてくる。


「欲しければ、剣で──《二刀流》で奪いたまえ。私と戦い、勝てばアスナ君を連れていくがいい。だが、負けたら君が血盟だんに入るのだ」

「…………」


 俺はこのなぞめいた男が少しだけ理解できたような気がしていた。

 結局この男も、剣でのせんとうられた人間なのだ。その上、自分の技に絶対の自信を持っている。脱出不可能のデスゲームにとらわれてなお、ゲーマーとしてのエゴを捨てきれない救いがたい人種。つまり、俺と似ている。

 ヒースクリフの言葉を聞いて、今までだまっていたアスナがまんしきれないというように口を開いた。


「団長、わたしは別にギルドを辞めたいと言ってるわけじゃありません。ただ、少しだけはなれて、色々考えてみたいんです」


 なおも言いつのろうとするアスナの肩に手を置き、おれは一歩前に進み出た。正面からヒースクリフの視線を受け止める。半ば勝手に口が開く。


「いいでしょう、剣で語れと言うなら望むところです。デュエルで決着をつけましょう」




「も──!! ばかばかばか!!」


 再びアルゲード、エギルの店の二階。様子を見ようと顔を出した店主を一階にり落としておいて、俺は必死にアスナをなだめていた。


「わたしががんばって説得しようとしたのに、なんであんなこと言うのよ!!」


 俺の座る揺りひじかけにちょこんと腰を乗せ、小さなこぶしでぽかぽかたたいてくる。


「悪かった、悪かったってば! つい売り言葉に買い言葉で……」


 拳をつかまえ、軽く握ってやるとようやくおとなしくなったが、かわりにぷくっとほおふくらませる。ギルドでの様子とギャップがありすぎて、笑いがこみあげてくるのを苦労してみ込む。


だいじようだよ、いちげき終了ルールでやるから危険はないさ。それに、まだ負けると決まったわけじゃなし……」

「う~~~……」


 肘掛の上ですらりと長い脚を組み、アスナがうなる。


「……こないだキリト君の《二刀流》を見た時は、別次元の強さだって思った。でもそれは団長の《神聖剣》もいつしよなのよね……。あの人の無敵っぷりはもうゲームバランスを超えてるよ。正直どっちが勝つかわかんない……。でも、どうするの? 負けたらわたしがお休みするどころか、キリト君がKoBに入らなきゃならないんだよ?」

「考えようによっちゃ、目的は達するとも言える」

「え、なんで?」


 少しの努力でこわる口を動かし、俺は答えた。


「その、俺は、あ……アスナといられれば、それでいいんだ」


 以前なら逆さに振っても出てこないような言葉だ。アスナはいつしゆんきょとんと目を丸くしたが、やがてぼっと音がしそうなほどに頰を赤くし、なぜかそこを再び膨らませると椅子から降りてまどぎわに歩いていってしまった。

 背を向けて立つアスナの肩越しに、夕暮れのアルゲードの活気に満ちたざわめきがわずかに流れ込んでくる。

 言ったことは正直な気持ちだったが、ギルドに所属するのはやはり抵抗がある。以前一度だけ所属した、今は存在しないギルドの名を思い出して、胸の奥に鋭い痛みを覚える。

 まあ、簡単に負ける気はないさ……と俺は胸の中でつぶやき、椅子からはなれてアスナのとなりに立った。しばらくして、右肩に、ぽすっと軽く頭が預けられた。

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