1 アインクラッド

13 ①

 先日新たに開通なった七十五層の主街区は古代ローマ風の造りだった。マップに表示された名は《コリニア》。すでに多くの剣士や商人プレイヤーが乗り込み、また攻略には参加しないまでも街は見たいという見物人も詰め掛けて大変な活気を呈している。それに付け加えて今日はまれに見る大イベントが開かれるとあって、転移門は朝からひっきりなしに訪問者の群をき出し続けていた。

 街は、四角く切り出したはくの巨石を積んで造られていた。神殿風の建物や広い水路と並んで特徴的だったのが、転移門の前にそびえ立つ巨大なコロシアムだった。うってつけとばかりにおれとヒースクリフのデュエルはそこで行われることになった。のだが。


「火噴きコーン十コル! 十コル!」

「黒エール冷えてるよ~!」


 コロシアム入り口には口々にわめき立てる商人プレイヤーのてんがずらりと並び、ちようの列をなした見物人にあやしげな食い物を売りつけている。


「……ど、どういうことだこれは……」


 俺はあっけにとられてかたわらに立つアスナに問いただした。


「さ、さあ……」

「おい、あそこで入場チケット売ってるのKoBの人間じゃないか!? 何でこんなイベントになってるんだ!?」

「さ、さあ……」

「ま、まさかヒースクリフのやつこれが目的だったんじゃあるまいな……」

「いやー、多分経理のダイゼンさんのわざだねー。あの人しっかりしてるから」


 あはは、と笑うアスナの前でおれはガックリ肩を落とした。


「……逃げようアスナ。二十層あたりの広い田舎いなかに隠れて畑を耕そう」

「わたしはそれでもいいけど」


 まし顔でアスナが言う。


「ここで逃げたらす──っごい悪名がついてまわるだろうねえ」

「くっそ……」

「まあ、自分でいた種だからねー。……あ、ダイゼンさん」


 顔を上げると、KoBの白赤の制服がこれほど似合わない奴もいるまいというほど横幅のある男が、たゆんたゆんと腹を揺らしながら近づいてきた。


「いやー、おおきにおおきに!!」


 丸い顔に満面の笑みを浮かべながら声をかけてくる。


「キリトはんのお陰でえろうもうけさせてもろてます! あれですなぁ、毎月一回くらいやってくれはると助かりますなぁ!」

だれがやるか!!」

「ささ、控え室はこっちですわ。どうぞどうぞ」


 のしのし歩き始めた男の後ろを、俺は脱力しながらついていった。どうとでもなれという心境だ。

 控え室はとうじように面した小さな部屋だった。ダイゼンは入り口まで案内すると、オッズの調整がありますんで、などと言って消えた。もうつっこむ気にもなれない。すでに観客は満員になっているらしく、控え室にも歓声がうねりながら届いてくる。

 二人きりになると、アスナは真剣な表情になり、両手でぎゅっと俺の手首をつかんだ。


「……たとえワンヒット勝負でもきようこうげきをクリティカルでもらうと危ないんだからね。特に団長の剣技は未知数のところがあるし。危険だと思ったらすぐにリザインするのよ。こないだみたいなしたら絶対許さないからね!」

「俺よりヒースクリフの心配をしろよ」


 俺はにやりと笑ってみせると、アスナの両肩をぽんとたたいた。

 遠雷のような歓声に混じって、闘技場のほうから試合開始を告げるアナウンスがひびいてくる。背中に交差してった二本の剣を同時にすこし抜き、チンと音を立ててさやに収めると俺は四角く切り取ったような光の中へ歩き出した。


 円形のとうじようを囲む階段状の観客席はぎっしりと埋まっていた。軽く千人はいるのではないか。最前列にはエギルやクラインの姿もあり、「れー」「殺せー」などとぶつそうなことをわめいている。

 おれは闘技場の中央に達したところで立ち止まった。直後、反対側の控え室からしんの人影が姿を現した。歓声がひときわ高まる。

 ヒースクリフは、通常の血盟だん制服が白地に赤の模様なのに対して、それが逆になった赤地のサーコートをっていた。よろいたぐいは俺と同じく最低限だが、左手に持った巨大な純白の十字盾が目を引く。どうやら剣は盾の裏側に装備されているらしく、頂点部分から同じく十字をかたどったつかが突き出している。

 俺の目の前まで無造作な歩調で進み出てきたヒースクリフは、周囲の大観衆に目をやると、さすがに苦笑した。


「すまなかったなキリト君。こんなことになっているとは知らなかった」

「ギャラはもらいますよ」

「……いや、君は試合後からは我がギルドの団員だ。任務扱いにさせて頂こう」


 言うと、ヒースクリフは笑いを収め、しんちゆういろひとみから圧倒的な気合をほとばしらせてきた。思わずされ、半歩後退してしまう。俺たちは現実には遠くはなれた場所に横たわっており、二人の間にはデジタルデータのやり取りしかないはずだが、それでもなお殺気としか言いようのない物を感じる。

 俺は意識をせんとうモードに切り替え、ヒースクリフの視線を正面から受け止めた。大歓声が徐々に遠ざかっていく。すでに知覚の加速が始まっているのか、周囲の色彩すら微妙に変わっていくような気がする。

 ヒースクリフは視線を外すと、俺から十メートルほどのきよまで下がり、右手を掲げた。出現したメニューウインドウを、視線を落とさず操作する。しゆんに俺の前にデュエルメッセージが出現した。もちろんじゆだく。オプションはしよげき決着モード。

 カウントダウンが始まった。周囲の歓声はもはや小さな波音にまでミュートされている。

 全身の血流が早まっていく。戦闘を求めるしようどうに掛けたづなをいっぱいに引き絞る。俺はわずかなちゆうちよを払い落とし、背中から二振りの愛剣を同時に抜き放った。最初から全力で当たらねば、とてもかなう相手ではない。

 ヒースクリフも盾の裏から細身の長剣を抜き、ピタリと構えた。

 盾をこちらに向けて半身になったその姿勢は自然体で、無理な力はどこにもかかっていない。敵の初動を読もうとしても迷いを生むだけだと考え、全力で打ち込む覚悟を決める。

 二人ともウインドウには一瞬たりとも視線を向けなかった。にもかかわらず、地をったのは【DUEL】の文字がひらめくのと同時だった。

 おれは沈み込んだ体勢から一気に飛び出し、地面ギリギリをかつくうするように突き進んだ。

 ヒースクリフの直前でくるりと体をひねり、右手の剣を左斜め下からたたきつける。十字盾にげいげきされ、激しい火花が散る。が、攻撃は二段構えだ。右にコンマ一秒遅れで、左の剣が盾の内側へとすべり込む。二刀流突撃技、《ダブルサーキュラー》。

 左の一撃は、敵のわきばらに達する直前で長剣にはばまれ、円環状のライトエフェクトだけがむなしくはじけた。惜しいが、この一撃は開幕の名刺代わりだ。技の余勢できよを取り、向き直る。

 すると今度は、お返しのつもりかヒースクリフが盾を構えて突撃してきた。巨大な十字盾の陰に隠れて、やつの右腕がよく見えない。


「チッ!」


 俺は舌打ちしながら右へのダッシュかいを試みた。盾の方向に回り込めば、初期軌道が見えなくても攻撃に対処する余裕ができるとんだからだ。

 ところが、ヒースクリフは盾自体を水平に構えると──。


「ぬん!」



 重い気合とともに、とがったせんたんで突き攻撃を放ってきた。純白のエフェクト光を引きながら巨大な十字盾が迫る。


「くおっ!!」


 おれとつに両手の剣を交差してガードした。激しいしようげきが全身をたたき、数メートルも吹き飛ばされる。右の剣を床に突いて転倒を防ぎ、空中で一回転して着地する。

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