1 アインクラッド

15 ①

「……どういうことだ」


 おれはゴドフリーに小声で尋ねた。


「ウム。君らの間の事情は承知している。だがこれからは同じギルドの仲間、ここらで過去の争いは水に流してはどうかと思ってな!」


 ガッハッハ、と大笑するゴドフリーをぼうぜんと眺めていると、クラディールがのっそりと進み出てきた。


「…………」


 全身をきんちようさせて、どんな事態にも対処できるよう身構える。街区圏内とはいえ、この男だけは何をするかわからない。

 だが、俺の予想を裏切ってクラディールは突然ぺこりと頭を下げた。ボソボソした聞き取りにくい声が、垂れ下がった前髪の下から流れる。


「先日は……ご迷惑をおかけしまして……」


 俺は今度こそ腹の底からおどろいて、口をぽかんと開けた。


「二度と無礼なはしませんので……許していただきたい……」


 陰気な長髪に隠れて表情は見えない。


「あ……ああ……」


 俺はどうにかうなずいた。一体何があったのだろう。人格改造手術でもしたのか。


「よしよし、これで一件落着だな!!」


 再びゴドフリーがでかい声で笑った。に落ちないどころではない、絶対に何か裏があると思ったが、うつむいたままのクラディールの顔からは感情を読み取ることができない。SAOにおける感情表現は、誇張的な反面微妙なニュアンスを伝えにくいのだ。やむなくこの場は納得したことにしておいて、警戒を切らないよう自分に言い聞かせる。

 しばらくすると残り一人の団員もやってきて、俺たちは迷宮区目指して出発することになった。歩き出そうとした俺を、ゴドフリーの野太い声が引き止める。


「……待て。今日の訓練は限りなく実戦に近い形式で行う。危機対処能力も見たいので、諸君らの結晶アイテムはすべて預からせてもらおう」

「……転移結晶もか?」


 俺の問いに、当然と言わんばかりに頷く。俺はかなりの抵抗を感じた。クリスタル、特に転移用のものは、このデスゲームにおける最後の生命線と言ってよい。俺はストックを切らせたことは一度も無かった。拒否しようと思ったが、ここでまた波風を立てるとアスナの立場も悪くなるだろうと考え言葉をみ込む。

 クラディールと、もう一人の団員がおとなしくアイテムを差し出すのを見て、おれもしぶしぶ従った。念の入ったことで、ポーチの中まで確認される。


「ウム、よし。では出発!」


 ゴドフリーの号令に従い、四人はグランザム市を出てはるか西の彼方かなたに見える迷宮区目指して歩き出した。


 五十五層のフィールドは植物の少ない乾いた荒野だ。俺はとっとと訓練を終わらせて帰りたかったので迷宮まで走っていくことを主張したが、ゴドフリーの腕の一振りで退けられてしまった。どうせ筋力パラメータばかり上げてびんしようをないがしろにしているのだろう、とあきらめて荒野を歩きつづける。

 何度かモンスターにそうぐうしたが、こればかりは悠長にゴドフリーの指揮に従う気にならず、すべて一刀のもとに切り倒した。

 やがて、いくつめかの小高い岩山を越えた時、眼前に灰色の岩造りの迷宮区がその威容を現した。


「よし、ここで一時休憩!」


 ゴドフリーが野太い声で言い、パーティーは立ち止まった。


「…………」


 一気に迷宮を突破してしまいたかったが、異を唱えてもどうせ聞き入れられまいとため息をつき、手近の岩の上に座り込む。時刻はそろそろ正午を回ろうとしていた。


「では、食料を配布する」


 ゴドフリーはそう言うと、革の包みを四つオブジェクト化し、一つをこちらに放ってきた。片手で受け取り、さして期待もせず開けると、中身は水のびんとNPCショップで売っている固焼きパンだった。

 本当ならアスナの手作りサンドイッチが食えるはずだったのに、と内心で不運をのろいながら、瓶の栓を抜いて一口あおる。

 その時ふと、一人はなれた岩の上に座っているクラディールの姿が目に入った。やつだけは包みに手も触れていない。垂れ下がった前髪の奥から、奇妙なくらい視線をこちらに向けている。

 いったい、何を見ている……?

 突然、冷たいせんりつが全身を包んだ。奴は何かを待っている。それは……多分──。

 俺はとっさに水の瓶を投げ捨て、口にある液体の感触もき出そうとした。

 だが、遅かった。不意に全身の力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。視界の右隅に自分のHPバーが表示される。そのバーは、だんは存在しないグリーンに点滅する枠に囲まれている。

 間違いない。どくだ。

 見れば、ゴドフリーともう一人の団員も同様に地面に倒れ、もがいている。俺はとつに、ひじから下だけはどうにか動く左手で腰のポーチを探ろうとしてせんりつした。どく結晶も転移結晶も、ゴドフリーに預けたままだ。回復用のポーションがあるにはあるが毒には効果がない。


「クッ……クックックッ……」


 おれの耳にかんだかい笑い声が届いた。岩の上でクラディールが両手で自分の体を抱え、全身をよじって笑っていた。落ちくぼんださんぱくがんに、見覚えのある狂喜の色がありありと浮かんでいる。


「クハッ! ヒャッ! ヒャハハハハ!!」


 こらえ切れないというふうに天を仰いでこうしようする。ゴドフリーがぼうぜんとした顔でそれを眺めながら、


「ど……どういうことだ……この水を用意したのは……クラディール……お前……」

「ゴドフリー!! 速く解毒結晶を使え!!」


 俺の声に、ゴドフリーはようやくのろのろとした動作で腰のパックを探り始めた。


「ヒャ────ッ!!」


 クラディールは奇声を上げると岩の上から飛び出し、ゴドフリーの左手をブーツでり飛ばした。その手からむなしく緑色の結晶がこぼれ落ちる。クラディールはそれを拾い上げ、さらにゴドフリーのパックに手を突っ込んでいくつかの結晶をつかみ出すと自分のポーチに落としこんだ。

 万事休すだ。


「クラディール……な、何のつもりだ……? これも何かの……訓練なのか……?」

「バァ────カ!!」


 まだ事態をあくできず見当はずれのことをつぶやくゴドフリーの口を、クラディールのブーツが思い切り蹴り飛ばした。


「ぐはっ!!」


 ゴドフリーのHPバーがわずかに減少し、同時にクラディールを示すカーソルが黄色から犯罪者を示すオレンジに変化した。だが、それは事態に何らえいきようを与えるものではない。こんな攻略完了層のフィールドを都合よく通りがかる者などいるはずがないからだ。


「ゴドフリーさんよぉ、鹿だ馬鹿だと思っていたがあんた筋金入りの筋肉脳味噌ノーキンだなぁ!!」


 クラディールの甲高い声が荒野にひびく。


「あんたにも色々言ってやりたいことはあるけどなぁ……オードブルで腹いっぱいになっちまっても困るしよぉ……」


 言いながら、クラディールは両手剣を抜いた。せた体をいっぱいに反らせ、大きく振りかぶる。分厚い刀身に、ぎらりと陽光がすべる。


「ま、まてクラディール! お前……何を……何を言ってるんだ……? く……訓練じゃないのか……?」

「うるせえ。いいからもう死ねや」


 き捨てるような台詞せりふと同時に無造作に剣が振り下ろされた。鈍い音がひびき、ゴドフリーのHPバーが大きく減少した。

 ゴドフリーはようやく事態の深刻さに気付いたらしく、大声で悲鳴を上げ始めた。だが、いかにも遅すぎた。

 二度、三度、かがやきと共に剣がひらめくたびHPバーは確実に減りつづけ、とうとう赤い危険域に突入した所でクラディールは動きを止めた。

 さすがに殺すまではしないのか、とおれが思ったのもつか。クラディールは逆手に握った剣を、ゆっくりとゴドフリーの体に突き立てた。HPがじわりと減少する。そのまま剣に体重をかけていく。


「ぐあああああああ!!」

「ヒャハアアアアア!!」

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