自分一人でしか挑戦できない《肝試し》。
同時にクエスト入りしたパーティーメンバーとしか遭遇しない《道連れ》。
制限人数の範囲内で、他プレイヤーもいる空間に振り分けられる《鉢合わせ》。
人数の制限がなく、理論上は全プレイヤーが一カ所に集まることも可能な《天地万象》。
あやかし横丁の多くの店舗は、行列を避ける目的で《鉢合わせ》に分類されている。
コヨミにトラウマを植えつけた
「屛風の虎退治」は一人用の《肝試し》、ナユタが先程まで探索していた
「幽霊囃子」
や、これから挑戦予定の「かごめ、かごめ」はパーティーメンバーのみ参加の《道連れ》に該当していた。
このシステムがあるために、自ら会おうとしなければ、たとえ常連同士でもなかなか飲食店内で顔をあわせることはない。
他方、客が少なく見えるためか、たまたま狭い店内で居合わせた見知らぬプレイヤーと妙な縁が生まれることもある。
ナユタとコヨミもつい二ヶ月前、この化け猫茶屋がオープンしたばかりの頃に知り合った。
店員の猫又が注文した商品を取り違え、ナユタの豆かんをコヨミに、コヨミのわらび餅をナユタに運んできてしまったことがきっかけである。
これは単純なミスではなく、猫又のキャラ付けのために、あらかじめ一定確率で発生するようにプログラムとして仕組まれた動きだったらしい。以降もちょくちょく同じ現象が発生しており、もはや店内ではお約束となっている。
そのたびに謝るでもなく、不思議そうに首を傾げてスルーする店員の猫又は、猫耳をつけた看板娘──などではなく、二足歩行するリアルな猫達だった。
黒猫、三毛猫、虎縞、ロシアンブルーにスコティッシュフォールド、マンチカンと様々な種が揃っており、揃いの法被をまとった姿は愛らしいものの、基本的に無愛想かつ気まぐれで、仕事をさぼって居眠りをしていることも多い。たまに我が物顔で客の膝上を占拠することさえある。
言葉はまったく喋らず、注文を取りに来て品物を持ってくるだけの配膳係だが、奥の厨房では老成した仙人のようなノルウェージャンが黙々と和菓子を製作しているという怪しい目撃情報もあった。
仮想空間では猫アレルギーの心配もないとあって、この猫達を目当てに訪れる客もそこそこ多い。
ナユタとコヨミもそれぞれ猫を目当てにここを訪れ、そのまま意気投合して以降、頻繁にパーティーを組むようになった。
からからと戸が開き、新たな客が訪れた。
出迎えの黒猫がとてとてとナユタ達の脇を駆けていく。
「失礼、道をお尋ねしたいのですが──」
入ってきたのは旅姿の老僧だった。
頭に編み笠、足下には脚絆、手には錫杖という出で立ちだが、つまりは僧侶の初期装備といっていい。
ここから戦士系なら僧兵や破戒僧、術士系なら虚無僧や僧正へと派生していくが、侍や忍といった花形の職に比べ、やや地味な印象は否めない。おまけに老人ともなると、プレイヤー世代の偏りも影響してかなり珍しい。
アスカ・エンパイアでは、キャラクターの登録時にアミュスフィアによる生体スキャンを行っているため、キャラクターには概ね実際の姿が反映される。
顔立ちはある程度まで変化させられるし、体型も服の内側に詰め物をするなどして変えることは可能だが、世代や性別まで変えることは難しい。
近年、高齢世代向けのVRMMO普及策として、「寝台列車の旅」
や
「登山」
「釣り」
「田舎暮らし」など、ゲーム要素の薄い体験型コンテンツも人気を博している。高齢者の多くはそちらへ流れており、あえて戦闘がメインのゲームに参加する層はまだ少数派だった。
肉体的なハンデは装備やステータスで補えても、反射神経だけはどうにもならない。そして多くの場合、この反射神経が勝敗を分ける鍵になってしまう。
ゆっくりと編み笠を外す老僧は、いかにも朴訥とした印象だった。様になりすぎていて、ゲームのプレイヤーというより時代劇の脇役にさえ見える。
その老僧の足下で、法被姿の黒猫がじっと彼を見上げた。
見下ろす老僧はやや戸惑いながら声を発する。
「……猫……? ええと……これは……失礼、言葉はわかりますかな? ちと道を──」
コヨミがすかさず立ち上がった。
「おじーちゃん、その子達は無人のAIだから、そういう難しい受け答えはできないよ! どこに行きたいの? わかる場所なら案内してあげる」
ゲームの中とはいえ、人助けに物怖じしない彼女の性格は、内気なナユタにとって尊敬の対象だった。
ナユタも老僧に視線を向ける。
「あやかし横丁ははじめてですか? この街は、道の途中に普通にワープゾーンがあったりしますから……目的地が登録施設ならナビゲーション機能が使えるはずですが、非登録の場所でしょうか?」
若い娘二人に声をかけられた老僧は、驚いたように言葉を詰まらせたものの、すぐにここが現実とは違う空間だと思い出したらしい。
老僧がにこやかに一礼し、ナユタ達の席に歩み寄った。
「いや、かたじけない。私はヤナギと申します。お気づきの通り、まだ新参者でして……この近隣にあるはずの《三ツ葉探偵社》という探偵事務所を探しているのですが、何かご存知でしょうか?」
「あ、私はナユタです。こちらの忍がコヨミさんで……ええと……探偵事務所、ですか?」
問い返しつつ、ナユタは思わずコヨミと顔を見合わせた。
「コヨミさん、知ってます?」
「いやぁ、初耳……探偵事務所とか、世界観が違うような……おじーちゃん、それ本当にこのアスカ・エンパイアでの話?」
ザ・シードの拡散以降、零細規模の作品も含め、今も多くのゲームが生まれ続けている。その中には探偵が登場する物ももちろんあるだろうが、和風の世界観が売りのアスカ・エンパイアにおいて、システム的にはそうした職業は存在しない。
「はあ、そのはずです。ほとんど趣味のような形でやられているとのことでしたが……失礼、ご存知ないようでしたら……」
老僧が辞去しようとするのを、コヨミが慌てて呼び止めた。
「待って待って! 心当たりないわけじゃないから! ナビに登録されてなくて、この近所で個人がそういうことに使わせてもらえそうな場所っていうと──」
「……まあ、普通に考えてあそこですよね」
ナユタもすぐに思い当たる。
あやかし横丁の裏町、通称
「宵闇通り」
──
表通りよりも店舗の賃料が格段に安く、多くの個人が営利非営利問わず趣味の店を開いている怪しげな区画である。
祭りの日に露店が並ぶ商店街をイメージした──とは運営側の見解だが、そこにホラー要素が加味されてどうにも混沌とした界隈になっており、印象としてはむしろ闇市に近い。
店舗数が多い上に入れ替わりも激しいため、ナビゲーションにはいちいち登録されていないが、妙な品物やサービスを扱う店が大量にある。
「……おじーちゃん、その事務所があるのって、もしかして《宵闇通り》ってところじゃない?」
「まさにそこです。この近所だと思うのですが……」
老僧の顔が安堵したようにほころんだ。
コヨミが椅子から飛び降りる。
「よっし! じゃ、なゆさん、クエストの前にちょっとご案内しちゃおっか?」
「はい。異存ありません」
実のところ、初心者には少々わかりにくい場所でもある。行き方を説明するよりも案内したほうが早い。
二人は席を立ち、メニューウィンドウから支払いの項目を選んだ。
店員の猫又が、二股に分かれた尻尾をのんびりと揺らしつつ、年代物のレジスターを器用に扱い会計処理を済ませる。