行き交うプレイヤーは侍や忍、陰陽師など様々だが、特に怪しい要素はない。ただし左右の店舗とそこで働く店員達には、奇妙な装飾や妖怪じみた扮装が目立つ。
鬼や狐の面をつけた者、正真正銘の狐や狸はまだ可愛いほうで、手の目や女郎蜘蛛といった奇抜な妖怪、内臓が露出した落ち武者、全身が黒ずくめの影人間と、子供が見たら泣きそうなキャラクターもそこそこ混ざっている。
そんな中、妙に愛嬌のある毛むくじゃらの毛羽毛現が、はねるような足取りでコヨミに近づき手を引いた。
傍にある店の看板には「らーめん・けうけ軒」とある。
コヨミが苦笑いと共に手を外させた。
「あ、ごめんごめん。今日は別の用事だから。また近いうちねー」
「……まさか常連なんですか」
「うん。いっつもスープに髪の毛が入ってる店……いや、体毛?」
案の定、ろくでもない。
この宵闇通りにある店は、概ね何処かがおかしい。当然、通い詰める側も少々ずれている。
「さて、探偵事務所ってどこだろうね……ええと、なになに……退魔札あり升?」
言葉を覚えたての子供のように、コヨミが視界の看板やのぼりを確認がてら読み始めた。
「升って、字の使い方が昭和ですね」
ナユタもつられて感想を漏らす。ヤナギはこの混沌とした雰囲気に圧倒されたのか、呆然と周囲を見回してばかりで口数が減っていた。
「あ。足裏マッサージだって」
「仮想空間では意味ないですよね、それ」
「おお、ホラー定番の人肉饅頭」
「悪趣味です」
「ショコラ・デ・フランボワーズ」
「すごい場違い感が……」
「個室ビデオ」
「……よく運営の許可が降りましたね」
「間違えた! 狐室ビデオって書いてある」
「それは若干、気になります」
「わんこ熊鍋」
「……わんこそばの亜種でしょうか」
「にゃんこそば」
「隣同士でなにやってるんですか」
「三ツ葉探偵社」
「こんな所で何を調べ……あ!」
「猫神信仰研究会」
「コヨミさん、通り過ぎないでください。ここです」
先導するコヨミの襟首を猫扱いにひっつかみ、ナユタは足を止めさせた。
人一人がやっと通れるほどの狭い入り口に、木製の古びた看板が申し訳程度に掛かっている。
件の事務所はどうやら二階にあるらしい。その先は真っ暗で、木造の急な階段が上へと続いていた。
ヤナギが安堵の笑みを見せる。
「ああ、ここのようです。ありがとうございます、お二方。私一人では、とても辿り着けない場所でした」
「……んー。いや、確かに看板は掛かってるんだけど……」
「……本当にここですか?」
二階を見上げたナユタとコヨミは、窓の向こう側で首吊り死体がゆらゆらと揺れているのに気づいた。
「……また悪趣味ですよね」
「いやまあ、街の景観管理の一環なんだろうけど……」
中の部屋にその光景が反映されているとは限らない。宵闇通りでは雰囲気作りのため、外側に面した窓の装飾が運営側によって設定されている。
ただ、入居者側の装飾が運営側の審査に通れば、部屋の様子がそのまま窓に映ることもある。このあたりは実際に踏み込んでみなければわからない。
「この尋常じゃない怪しさ……ね、なゆさん。これ探偵事務所がどうこう以前に、踏み込むと同時にシークレットクエストが発動したり、って可能性ない? 初心者のお爺ちゃんを一人でつっこませるのは、ちょっと──」
コヨミのそんな懸念に、ナユタも頷きを返す。
「……あの、ヤナギさん。失礼ですが、レベルはまだ1ですよね?」
「はあ。何分にも今日、初めてログインしたもので──チュートリアルというものも、後回しにしております」
ナユタはコヨミと顔を見合わせた。むしろよく化け猫茶屋まで辿り着いたものだと感心する。
「……もし差し支えなければ、私達もこのままご一緒しましょうか?」
老僧の顔がほころんだ。
「これはどうも、とんだご迷惑を……重ね重ね、ご厚意いたみいります」
合掌と共に、彼は深々と頭を垂れる。どうやら内心では腰がひけていたらしい。
頷いたナユタは、左右を板壁に挟まれた暗い階段へするすると踏み込んでいく。
躊躇いも見せず先頭に立つその様子に、背後のコヨミから感嘆の息が漏れた。
「なゆさんのそういうとこ、男らしすぎてほんと惚れそう……」
「後ろのほうが生存率が高いとは限りません。バックアタックは後ろから来ます」
「いや、生存率とかじゃなくてさあ……〝暗いとこ怖い!〟とかそういうのないの? だいたい生存率がどうこうっていうなら、戦巫女って前衛職だから、普通はもっと金属系の防具で固めるからね? 術師系の退魔巫女ならともかく、谷間見えてる爆乳の戦巫女とか、なゆさんぐらいしか知らないよ、私……」
「……見えてないです。ちゃんと下にインナー着てますから、流れで適当なセクハラいれるのやめてください。サイズの設定は……ただのミスです」
アカウントの作成時、体型はアミュスフィアからのスキャンによってある程度まで反映されてしまう。サラシでも巻いてごまかせば良かったのだが、そこまで気が回らなかった。
夏場で薄着だったせいもあり、正確な数字を読みとられたことに気づかずそのままスタートし、周囲の視線に気づいたのは数日後のことである。
その上、アカウントを消してやり直すべきかと迷っている間に、回避性能が高いレア装備、《白南風の小袖》を運良く入手してしまい、データを消すに消せなくなった。
コヨミが唸る。
「いくらインナー着てるっていっても……そのスポーツウェアみたいなぴっちぴちの耐火インナー自体が、もう一般にはエロ装備扱いだからね? シルエットとか半端ないよ?」
「大袈裟です。耐火とか耐電系のインナーウェアって、コヨミさんみたいな忍系の人達にとっても定番装備じゃないですか。速さや身軽さを重視すると、どうしてもこういう装備に行き着きます」
コヨミがナユタの背をつついた。
「それ! なゆさん、そんなに速さ重視ならなんで忍にならなかったの? 職業補正で一番動きが軽くて、攻撃力もそこそこで戦いやすい人気職なのに。戦巫女って〝忍者は装甲が薄すぎてちょっと……〟って人が選ぶ職だよね?」
理由はある。あるにはあるが、少々気恥ずかしい。階段を上りながら、ナユタは小声で応じた。
「その……袴、可愛いかな──って」
たちまちコヨミがうなだれた。
「…………ごめん、男らしいとか言ったの撤回する。なゆさんかわいい。ちゃんと女の子してる……ステータスと効率しか見てない私のほうがよっぽど女子力低かった……」
「……いえ、私も体術寄りの育て方をしていますから、女の子らしさはあんまり──」
「ううん。どこからどう見ても女の子……だって戦闘中のなゆさん、すっごい揺れてるもん……もうたゆんたゆんって……専用の描画エンジン積んでるんじゃないかってくらい……」
「……コヨミさん、ハイライトの消えた目でちょくちょくセクハラいれるの本当にやめてください。普通に反応に困ります」
現実の生活で何か嫌なことでもあったらしい。
階段の上に辿り着いたところで、ナユタは正面を塞ぐ木製の扉を開け放った。
ごくわずかな橙色の明かりが階段側に漏れる。
そこは想像以上に広い空間だった。
天井は妙に高く、空気の流れと声の反響具合がわずかに変わる。
開いた扉の真正面には、一匹の巨大な黒猫がどっしりと座していた。
尋常な大きさではない。
座高は三メートルを優に超え、天井の高さとあいまって重苦しい威圧感を醸している。