もちろん本物の猫ではなく、丸々とした二頭身の体で座禅を組み、前足を禅定印、後足を結跏趺坐の形に仕上げた、いわば黒塗りの仏像に近い置物だった。
安置されている薄暗い空間も、商店街の二階というよりは寺社の本堂に近く、それこそワープゾーンで飛ばされたかのような錯覚さえ抱く。
金色に塗られた大きな眼は特に慈愛には満ちておらず、煩悩を振り払う強さもなければ、衆生を救おうなどという大それた意志もまったく感じられないが、猫らしいあざとさだけは存分に表現されていた。
後ろに背負った光背は肉球型、台座は猫缶型、周囲に吊られた灯籠は毛糸玉型と、細部のこだわりにも抜かりがない。
黒い猫大仏とも呼ぶべき異形の座像を前に、ナユタ達は立ちすくむ。
「……え。何ですか、これ?」
「わお……ありがたやー。ありがたやー」
ナユタが戸惑い、とりあえずとばかりにコヨミが拝む中、ヤナギが暗がりに立て札を見つけた。
「右側が猫神信仰研究会、左側が三ツ葉探偵社……どうやらこの二階で分かれているようです。この猫の像は、エントランスのオブジェといったところでしょうか──」
見れば左右にそれぞれ扉がある。
右側の扉には爛々と眼を見開いた猫の彫刻が施され、左側の扉には【営業中】と書かれた小さな木札がぽつりと掛かっていた。
右の扉は可愛さを通り越して明らかに禍々しい。
俯いて眼を閉じ、一呼吸をおいた後で、ナユタは迷わず左の扉をノックする。
「──鍵は開いている。入りなさい」
若い男の、妙に澄んだ声が室内から響いた。
探偵は概ね二種類に分けられる。
一方は、その仕事を金銭のためと割り切ってこなす、いわばリアリストの探偵。
そしてもう一方は、物語に登場する探偵への憧れから、自身もその職を選んでしまったロマンチストの探偵。
見分け方は容易い。
前者の探偵は探偵に見えない。宣伝担当や営業担当を除いて顔出しも控え、街の雑踏に埋没し、浮気調査や身辺調査を的確に遂行する。
後者の探偵は形から入る。仕立てのいい背広や絣の着物、特注のステッキにお気に入りのパイプ──探偵らしく見えさえすれば、小道具はなんでもいい。彼らはまず見た目から探偵であることを主張し、自分を目立たせながら売り込んでいく。
そして案の定、ナユタ達の前に現れた三ツ葉探偵社の主は、圧倒的なまでに〝後者〟だった。
ワイシャツとポーラータイ、ベストまではまだいい。システム的には〝探偵〟などという職はないが、こうした洋装は一応、着替え用のアイテムとしてキヨミハラでも売られている。
しかしいくら容易に手に入るとはいえ、壁にかかったインバネスコートと鹿撃ち帽に至っては、明らかに世界一有名な某名探偵のコスプレにしか見えない。
本を隙間なく詰め込んだ書棚、化学の実験器具を収めたガラス棚、古びた骨格標本に年代物の蓄音機と、雰囲気作りにも余念がない。
そもそもゲームの中だけに、装飾品の本などはおそらく中身が白紙である。本棚から取り出せるかどうかすら怪しい。
化学の実験などももちろん意味をなさないし、蓄音機から流れてくるBGMに至ってはネットラジオの競馬中継だった。
本日土曜の第六レースは二枠二番、九番人気のニクキュウカイザーが勝ったらしい。
その結果を確認した後で、青年探偵は機嫌よく、蓄音機型ラジオ端末のスイッチを切る。
ランプの明かりの下、飴のような光沢を放つマホガニーの机の向こう側で、この部屋の主たる彼は優雅な微笑を見せた。
「こんな場末の事務所へようこそ、お客人。私は探偵のクレーヴェルと申します。隣の猫大仏については気にしないように。猫神信仰研究会の連中が勝手に設置したものです。彼らはどうも──得体が知れなくて困ります」
探偵クレーヴェルの声音は演者のように澄んでいた。
細身だが容姿は悪くない。客を値踏みするようなその視線は、どこか狐を思わせる。
(……
「狐の嫁入り」
の化け狐に、こんな感じの人がいたような……?)
数日前にコヨミと組んでクリアしたクエストを、ナユタはふと思い返した。
そのクエストに登場した化け狐は、さすがに洋装ではなかったものの、切れ長の眼に細面の色気立つような美青年だった。
面食いのコヨミはやたらと興奮していたが、生憎とナユタの趣味ではなく、敵と判明した時点で躊躇いなく成敗しコンボボーナスも獲得している。
一連の流れを見ていたコヨミからは「……なゆさんはイケメンに恨みでもあるの……?」と真顔で問われたが、特にそういった闇は抱えていない。
クレーヴェルと名乗った探偵は、淀みない口調で話し続ける。
「さて、ヤナギさん。貴方の御依頼については、ついさっき届いた仲介者からのメールで概ね把握しています。旅先でフルダイブできないから、道案内もできなくて申し訳ないと、しきりに恐縮していまして……直接ご連絡いただければ、こちらからキヨミハラまでお迎えにあがったのですが」
年代物のソファに腰掛けたヤナギが、苦笑いとともに頭を垂れた。
「いえ、私も散歩がてら、まず一人でこのゲームの中を見て回りたかったものですから。ただ、この年で本当に道に迷ってしまうとは想定外でした。こちらのお嬢さん方に助けていただかなければ、今頃まだ迷子だったはずです」
コヨミがドヤ顔で胸を張った。
「まー、困った時はお互い様ってことで! ……あ、ついでに探偵さんにも興味あったし、詐欺とかだったら止めないといけないし、場合によっちゃガチの警察引き渡し案件になるのかなぁ……とか」
そこそこ失礼な彼女の歯に衣着せぬ物言いに、探偵が含み笑いを漏らした。
「詐欺とは手厳しい。が、疑われる理由はわかる。実のところ──うちは〝探偵業〟ではなく〝観光業〟として運営側の認可を受けていてね。RPGで、看板は酒場なのに中身は人材派遣会社になっている例がちょくちょくあるだろう? あんな感じだよ」
ナユタは首を傾げた。オンラインゲームの探偵業も怪しいが、観光業もかなり怪しい。
「観光業……? VRMMOでですか?」
「意外かな? 英語圏の顧客からはそこそこ好評だ。日本への観光旅行は時間も金もかかるから、和風のゲームで手軽にその気分を味わいたい、というニーズがそれなりにある。なにせアミュスフィアは優秀だからね。グルメを味わい、温泉につかり、ニンジャに興奮して桜を愛でる──それこそ実体験と変わらない。〝晴天確実でしかも渋滞しない富士登山〟なんていう、現実では難しい類の体験さえできる。で、私は通訳兼ガイドとして、顧客が希望するクエストに同行したり、あるいは街や店、各地の名所の案内を務めているわけだ」
どこからともなく現れた二足歩行の黒い猫又が、ナユタ達の前に紅茶を置いていった。化け猫茶屋で使っているのと同じ仕様の業務用ボットらしい。
紅茶に角砂糖を落としながら、クレーヴェルは自己紹介を兼ねた雑談を続ける。
「客は海外ばかりじゃない。国内の企業関係者からも、数は多くないがたまに仕事の依頼がくる。普段はゲームをまったくしない立場の方々が、コラボレーション企画やらゲーム市場への進出のために内部の視察をしたい──とかね」
クレーヴェルの視線が壁の一隅に向いた。そこには、今回の《百八の怪異》でのコラボレーションを発表している有名飲料メーカーのポスターが貼られている。