ステータスウィンドウに表示された《クレーヴェル》の名を眺めつつ、ナユタは何気なく彼のステータスを確認した。
たちまち彼女は凍りつく。
「……え……何、これ……?」
思わず呻くような声が漏れた。
そこには異常ともいえる数値が並んでいる。
「……あ、あの……探偵さん、これ……?」
「なになに? なゆさん、どうし……うぇあ!?」
隣のコヨミも異常に気づき、声を裏返らせた。
そんな二人の反応を眺めつつ、探偵はあくまで怜悧に微笑んでいる。
ウィンドウに表示された彼のステータス──
レベルはそこそこ上級者のナユタよりも更に五つほど高い。それでいて、ほぼすべての数値が《一桁》に収まっている。要はほとんどレベル1のままといっていい。
その中で唯一、千に迫る数値にまで育っている項目があった。
「あの……《運》だけにステータス全振りって……」
「ちょ……えええー……うわぁ……え、これマジ……? カマイタチどころか、ただのイタチにも負けそう……」
イタチは初心者にとって少しだけ強めの雑魚である。上位のカマイタチは中級者向け、最上位のノロイイタチは上級者向けとされているが、いずれも見た目がそこそこに可愛らしく、ゲーム内ではマスコットキャラのような扱いを受けていた。
そんな相手にも勝てるかどうか怪しい育て方のベテランなど、恐ろしく手の込んだ質の悪い冗談としか思えない。
アスカ・エンパイアのキャラクター育成は、レベルアップによって得たポイントを、筋力や賢さ、素早さ等の任意のステータスへ自在に振り分ける形となっている。
戦闘力の上では、装備の品質による補正がもっとも影響するが、そもそも多くの武器防具類に「装備するために必要な最低限の能力値」
が設定されているため、その数値までステータスを育てなければまず装備すらできない。
つまり、ステータスをまともに育てていない探偵クレーヴェルの装備は、ほぼゴミ同然と見ていい。
啞然とするナユタとコヨミの前で、クレーヴェルは悠々と、見た目だけは上質なコートを羽織り、攻撃力などないに等しい洒落たステッキを手に取った。
「さて──行こうか、お嬢さん方。お気づきの通り、私は頭脳労働専門でね。戦闘は君達に任せるから、頑張ってくれたまえ」
さも当然のように告げ、幸運の探偵は二人の視界で颯爽と身を翻す。
ナユタとコヨミは無言で顔を見合わせた。
宵闇通りのどこかで、ボットのカラスが、人を小馬鹿にしたようなとぼけた鳴き声をあげた。
どこまでも続く田園風景を主体とした幽霊囃子のフィールドは、境界がループしている。
マップの端に到達すると反対側の端に出るため、転送ポイント以外には進入路も脱出路もない。
この転送ポイントはイベントフラグのセーブポイントも兼ねており、アイテムを使って脱出した場合、セーブしていないフラグは消失してしまう。そしてパーティーが全滅した場合には、セーブしたフラグも含めて消失し、クエストの最初からやり直しとなる。
「……というわけで、ヤナギさん。我々の仕事は、敵がでたら逃げ回って生存率を上げることです。万が一、戦闘要員のお嬢さん方が倒れた場合には、見捨てて我々だけでも脱出しなければなりません。そうすることで、パーティーとしてはイベントフラグを引き継げます」
田園を見渡す真夜中の畦道を歩きながら、クレーヴェルは依頼主のヤナギへそんな説明をしていた。
「はあ……それはなんとも、心苦しいと申しますか……」
「一からやり直しになるよりは遥かにましです。難度の高いクエストでは、フラグを維持するためだけの予備メンバーを用意するパーティーもある程ですよ」
この二人の会話を受けて、コヨミがひっそりと肩を落とした。
「……言ってることは完全にその通りなんだけど……すっごい釈然としない……」
ナユタも同意見だったが、一週間という時間の制約がある以上、全滅からのリトライはなるべく避けたい。序盤ならまだしも、クエスト終盤でのタイムロスは精神的にも厳しい。
「……元々、私達とヤナギさんだけで来たと思えば、戦力が私達だけになるのは必然ですし──あの探偵さんも、アイテムの使用くらいはしてくれそうですから……」
この擁護はコヨミの不満を和らげるためのものであって、他力本願な探偵のためのものでは断じてない。
「それにしたってあのステータスはないでしょ。ろくな装備できないじゃん……探偵さん、よくそんなんでゲーム内のガイドとかやってこれたよね?」
コヨミの指摘に、クレーヴェルは涼しい顔で応じた。
「運の数値は、むしろガイドにこそ必須だ。戦闘は助手に任せていると言っただろう? 強さを求めるプレイヤーは山ほどいるから、傭兵として雇うことも難しくない。だが──《運》に特化したプレイヤーはなかなかいないからね。こればかりは自分で上げる必要があった」
「そりゃいないでしょ。だって必然性が……」
「レアアイテムのドロップ率」
ぐ、とコヨミが言葉に詰まった。
「私がいるだけで、パーティー全体のレアアイテムドロップ率が通常値の三倍程度まで上昇する。補正上限が10%だから、それ以上にはならないが……それでもドロップ確率1%のアイテムが3%程度までは上がるし、ランダム生成のマップでは宝物庫の出現率にも影響する。さらには間欠泉や雲海、笠雲、虹等の《絶景》も、パーティーメンバーの運次第で遭遇確率が変動するんだ。ゲーム内の観光ガイドにとっては、何より必須のステータスといえるだろう」
正論ではある。が、やはりどこか釈然としない。
「座敷わらしみたいな人ですね……理由はわかりましたけれど、そこまで極端にしなくてもいいんじゃないですか? たとえば運に八割振って、残りの二割を他に回すとか」
「そんな余裕はない。たった今、〝レアの確率が三倍になる〟と言ったが、それはあくまで今の私のレベルでの話だ。おそらくもっと上がある。もしもこの先、十倍程度まで伸びるようなら……また別の商売ができそうだね」
探偵がくすくすと楽しげに笑った。
「はあ……その時まで、仕様の変更がないといいですね……」
どこまで本気かわからない戯言を冷静にいなし、ナユタは道沿いに建つ小さな祠の前で立ち止まった。
「ここです。さっきコヨミさんからメッセージをもらった後、転送ポイントまでの移動中にこの祠を見つけて……最初に来た時はありませんでしたから、向こうにある神社の賽銭箱か何かが、この《幽霊囃子》のイベントスイッチになっていたんだと思います」
隣に立った探偵も興味深げに祠を眺める。
「なるほど、いかにも何かありそうな風情だ。これは──泣き顔の子供かな?」
納められた石像に向けて、ヤナギが掌を合わせた。
「地蔵や道祖神にしては少々、痛ましい印象ですな……何やら哀れに思えてきます」
ナユタはウィンドウからアイテムを選択する。
「この像の前に、〝ぼたもちがたべたい〟というメモがありました。だからさっき、化け猫茶屋でついでにぼた餅を買ってきたんですが……置いてみますね」
笹にくるまれたぼた餅を、そっと像の正面に供えた。
一行の前で、石像の表情がわずかに動く。
まだ少しぐずるような曖昧な顔つきではあるものの、一応は泣きやみ、供えたぼた餅が霞のように消えた。
「……おお。これで何か、次のイベントが起きるのかな?」
コヨミが周囲を見回す中、どこか遠くから、祭り囃子が聞こえてきた。
軽快な太鼓、甲高い笛、優雅な琴の音色が渾然一体となり、総じて物寂しい旋律となっている。
子供の頃に聞いたわけでもないのに、何故か郷愁を誘われる。
ヤナギが眉をひそめた。
「祭り囃子が……聞こえてきましたな」
クレーヴェルがステッキをくるりと回した。