一章 三ツ葉の探偵 ⑪

 コヨミと二人だけならば相手の出方を見てもいいが、背後に保護対象が二人いる。敵がこうはんこうげきを持っていた場合、きよめられれば問答無用でこの二人をかされかねない。

 ナユタが城門から城内側へむと同時に、左右のかべに連なる松明たいまつが点灯した。

 その明かりによって、正面に立つ敵の姿が照らし出される。

 そこにいたのは──白いきつねの面をかぶった、小さなわらべだった。

 よろいしやの群、きよだい蜘蛛くもきようぼうおにといったわかりやすい門番を想定していたナユタは、あわててその場に立ち止まる。

 きつねめんわらべは着古したかすりの着物姿だった。足元は裸足はだしで、武器などは持っていない。

 ぽつりとさびしげにくすその姿は、まるで迷子のようだった。


(このクエストの分類は《道連れ》……内部でパーティー以外のプレイヤーに会うことはない。つまりこの子は、敵かNPCのどちらか……)


 そのきわめをつけるため、ナユタはしんちように声をかけた。


「……貴方あなたは、何者ですか」


 きつねめんわらべは、声を出さずにナユタを手招きした。

 どうしたものかと迷いつつ、ナユタは後続をかえる。


たんていさん。呼ばれているみたいですが……」


 視界に同行者たちの姿はなかった。

 入ってきたはずの城門すらなく、いしだたみめたくらやみの道が延々と続いている。


(……ワープゾーン!?)


 先行したナユタのみ、別の場所に飛ばされたらしい。

 反射的にメニューウィンドウを出すが、案の定、通信機能もロックされていた。ギブアップやログアウトは可能だが、仮に全員がそのままだつした場合、ここまで立てたイベントフラグも消失してしまう。

 ナユタはばやはらを決めた。

 どうようするほどのことではない。ここは結局、安全を約束された《お化けしき》のようなものである。

 コヨミたちの動向も気にはなったが、初心者のヤナギはともかく、他二人はそこそこレベルも高い。


(……あ、たんていさんは無理か。あのステータスじゃうさぎにも負けそう──)


 そんなことを考えつつ、ナユタはこのじようきようを楽観視してもいた。

 城内で分断されたということは、バランス調整の観点からして、〝単独で戦えないほどきよくたんに強い敵〟はしばらく出てこないという意味でもある。

 まどうことが前提の「びようとら退たい

のようなクエストはまた別だが、少なくとも仲間と合流するまでは、ボスクラスの敵とそうぐうする可能性は低い。

 これが現実であればりつによってきようられるところだが、いくらリアルでもしよせんはバランス調整されたゲームに過ぎない。

 ──SAOとちがって、〝死ぬ〟ことはない。

 きつねめんわらべが、いつの間にかナユタのそでつかんでいた。


「……おねえちゃん。遊ぼう?」


 面の向こうから、くぐもった幼い声が聞こえた。

 ナユタは首を横にる。


「ごめんね。仲間とはぐれちゃったの。はやく合流して、このクエストをこうりやくしないといけないから」


 相手はNPCである。イベントフラグのために常識的な受け答えをする必要はあるが、過度に気を使う必要はない。

 わらべがナユタを見上げた。


「……遊んでくれないの……?」

「……何をして遊びたいの?」

「かくれんぼ」


 わらべが背を向けてけだした。


(……なるほど。このダンジョンで、あの子を探してつかまえろ、ってことかな──)


 わらべの姿は通路のやみに消える。

 ナユタは改めて周囲を観察した。

 左右は石を積んだかべはさまれている。点在する松明たいまつによってぼんやりと明るいが、はるか先を見通すほどの光量はない。

 足元はいしだたみで、ところどころに血のみがある。

 ──耳をますと、何処どこかで祭りばやたいがかすかに聞こえた。イベントが進めば、また音が大きくなっていくのかもしれない。


「──よし」


 進むかくを決めて、ナユタはうすぐらい通路に視線をえる。

 を閉じ、一呼吸──

 はいに大きく空気をみ、ゆっくりとく。

 そして足取りはしんちように、それでいて迷いはなく、かのじよりんとしてやみに向かい歩き出した。





 城内において、ヤナギは一人、ほうに暮れていた。

 何が起きたのかはよくわかっていない。

 先行したいくさ巫女みこのナユタがとうとつに消え、ろうとしたコヨミが次に消え、たんていが舌打ちをらした直後、気づいた時には一人になっていた。

こわい〟とまでは思わないが、さてどうしたものかと考えあぐねてしまう。

 道中、クレーヴェルからはいくつか助言を受けていた。

 もしはぐれてしまったらメニューから通信機能を使うこと。

 ただしイベント中は通信が使えなくなる可能性もあるため、その時はたんさくを続けるか、あるいはギブアップして街にもどるか、自身で判断すること──

 今、通信機能はロックされている。

 しかし敵の気配はなく、すぐにだつしゆつすべきじようきようとも思えない。

 ヤナギは周囲を見回した。

 そこは大広間である。それもじんじような広さではない。

 足元こそたたみきだが、かべどころか柱の一本さえ見えず、板張りのてんじようが延々とどこまでも続いている。

 くらやみではなくぼんやりと明るいものの、光源らしい光源はない。

 目印になるものが何もなく、全方向にただただやみに広い。

 現実には有り得ない空間に、ぽつんと一人──

 ヤナギは改めてほうに暮れた。


「……じっとしていても仕方ない。歩くかの……」


 ためいき混じりに独りごち、かれきやはんのままでたたみの上を歩き始めた。

 ゲームの中だけに、老眼のえいきようもなく視界はよく見える。動き回ってもあしこしも痛まない。ろうはあるが、それとて若いころに感じていたものと同程度で、つまり老体ゆえのハンデは感じられなかった。

 反射神経だけは若者たちのようにはいかないが、若いころのようにこうしてつうに歩けるだけで、周囲の不気味な様子とは裏腹に、なにやら楽しい心持ちにさえなってしまう。


「……フルダイブ可能なVRMMOとは……なるほど、こうしたものか──」


 たんたんと歩きながら、ヤナギはせる。

 体力の落ちた老人はもちろん、現実世界ではまともに体を動かせない者さえも、この世界では容易に健康体を得られる。

 しよせんはゲーム、体験に過ぎないといってしまえばそれまでだが、人並みの暮らしを送ることすら困難な人々にとって、肉体のかせを意識せずに済むこうした仮想空間の登場は、まさにふくいんだった。

 好きな場所へ行き、好きなものを食べ、好きなことをする──それがどれだけ幸福なことか、健康な人間にはなかなか自覚できない。

 果ての見えない大広間を、ヤナギはただあてもなく歩き続ける。

 たたみへりに沿ってぐに進むうち、その正面へ、不意に小さなひとかげが現れた。

 やみからけ出すようにして、白いきつねの面をかぶったわらべが一人──

 ヤナギは思わず立ちすくんだ。

 しばし呼吸が止まったものの、それはおどろきのためではない。こうした事態が起きることを、心のどこかで期待していた。


「……お……おお……」


 れたうめきは、なみだこそともなわないものの泣き声に近い。

 わらべが血色のせた白い手でヤナギを招く。

 ふらつくようにして歩み寄り、ヤナギはわらべかたつかもうとした。

 ばした手はふるえ、整ったはずの呼吸がまた乱れる。

 きつねめんわらべは、その手が届く寸前に背を向けて走り出した。


「あ……待っておくれ!」


 ヤナギはあわてて追いすがる。

 その耳に、どこからともなくかすかな祭りばやの音がひびき始めた。

 足から力がけ、視界がぐらりとゆがむ。


「……う……?」


 くらみにも似たかんの後、立ち止まってしまったヤナギは、しやくじようたよりにどうにかひざを落とさずみとどまった。

 少しはなれた暗がりで、かえった少年がきつねの面を外す。

 ──仮面の下にあったのは、ヤナギの見知った顔だった。

 きよが遠く、はっきりと見えたわけではない。だが、ヤナギにちがえる理由はなかった。


「……きよふみ……?」


 わらべの名を呼びながら、ヤナギはふらふらと後を追う。

 きつねめんわらべは無限の大広間をけていく。

 くらやみにその姿が消えてもなお、ヤナギはただひたすらに、見えないかれを追いかけ続けた。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影