一章 三ツ葉の探偵 ⑫

 たんてい、クレーヴェルは城の天守閣にいた。

 持ち前の強運はこんな時にも発揮されたらしく、眼下には月明かりを受けて銀色にかがやいなの波、彼方かなたにはゆきしようを残した山々のりようせん、夜空には満天の星にえた月のかがやきと、見事な絶景が一面に広がっている。

 ホラーテイストのクエストには似合わぬせいれつなその美しさには、制作者のこだわりが感じられた。


(……とつにゆうまえの地上から見えた景色とは、地形からして別物のようだが──)


 この天守から見える景色は、おそらくは特別に設定されたものである。仮にここからかぎなわなどを用いて外へ下りたとして、向かった先がさきほどのフィールドにつながっているとは限らない。

 もっとも、目的がだつしゆつではなくあくまで〝たんさく〟である以上、あえてそれをためす必要もない。ついでにかぎなわなども持っていない。

 強制的に仲間と分散させられたことは予想外だったが、たとえぜんめつしてもこのクエストはやり直しがきく。SAOとはちがい、ゲームオーバーが死に直結しない。

 ──ゲームオーバーが、死に直結しない。

 クレーヴェルは深々と息を吸う。

 このことを意識するたびに、かれうつうつたる重苦しさにつぶされそうになる。

 クレーヴェルもかつて、そのゲームにとらわれていた。

 当時のことは思い出したくもないが、同時に決して忘れたくもない。

 およそ一万人がVRMMOの世界からログアウトできなくなり、そのうちの四千人あまりが死亡した。

 せいしやの親族もふくめれば、数万、数十万におよぶ人々の人生をゆがめた、悪夢のような犯罪だった。

 クレーヴェルが今、ここでこうして〝たんてい〟などに興じている理由にも、この事件が関係している。


(あんな事件は、もう二度と──)


 ──今、考えるべきことでもない。

 よどみかけた思考をえ、たんていは改めて天守閣をわたした。

 ややうすぐらいが、あしもとに迷うほどではない。

 てんじようからつるされた複数のちようちんに照らされ、いたきのゆかあめいろこうたくを放っている。

 注意深くあたりを観察しつつ、耳をますと──

 何処どこからともなく、不意に祭りばやの音色が聞こえた。

 たんていはふとまいを覚える。くらりと視界がいつしゆんれ、体から不自然に力がけた。


(なんだ……? 状態異常ではなさそうだが……)


 毒やならすぐにわかるが、これといって不快感はない。

 頭を軽くったひように、部屋のすみを黒いひとかげがかすめた。

 クレーヴェルは立ち止まり、らす。

 すうしゆんまえまでだれもいなかったはずの場所に、《だれか》が立っている。

 ホラーではありがちな演出でもあり、その意味では予測はんないの現象といってつかえない。

 ただ──やみもれた後ろ姿に、みような点がある。

 かれのシルエットは、クレーヴェルの知る〝ある人物〟にそっくりだった。

 和風の《アスカ・エンパイア》内ではめずらしい、西洋風の分厚いプレートメイルを身につけ、かれはまるで行き先に迷うように、ぼんやりとそこにくしている。

 歩み寄ることすらできず、クレーヴェルはその場にこうちよくした。

 ──プレートメイルの男が、ゆっくりと横を向く。

 表情こそやみの中でややぼやけていたが、他人の空似という可能性を完全にはいじよできる程度には、おもかげうりふたつだった。


何故なぜ……何故なぜ、〝かれ〟がここにいる……?)


 そこにいたのは、この場に決しているはずのない人間だった。

 おどろきつつも、クレーヴェルは取り乱さない。かれはあくまで平静を保っている。

 ただしその平静さは、「事態をあくできない」

がゆえの、にも近しいしろものではあった。

 自分がゲームをプレイしているのか、それともねむって夢を見ているだけなのか──それすらあやしく感じられる。

 青年の口から、かたまりのような黒い血がごぽりとあふれた。

 よろいの首筋、かたどうまわりなどのすきからも、やみしんしよくするような印象をともなって、大量の血があふれていく。

 クレーヴェルは取り乱さない。

 決して──取り乱さない。

 かれゆうれいなど信じない。それらしきものがもし見えたとしたら、それはだれかの作ったまがものか、あるいは脳が見せるげんかくたぐいだとわきまえている。


(そう、げんかく……あるいはだ。やつであるはずはない。しかし……)


 ──青年の姿はあまりに忘れがたく、ちがえなどは断じて有り得ない。

 重ねて、クレーヴェルは取り乱さない。

 だからかれは考えることができる。

 仮に事態をあくできず、感覚がしていたとしても、パニックにはならず、いくつかの〝推測〟をたてることができる。

 そうしてかれが導き出した可能性の一つは、あまり質のいい解答ではなかった。


(まさか、このクエストは……まずい。運営に気づかれたら……!)


 みするクレーヴェルの視界で、青年のあしもとに血がまり、黒く真円をえがいて広がり始めた。

 まりはそのまま底なしのぬまと化し、かれの身をゆかしたへとんでいく。

 とつろうとしたクレーヴェルのすそを、後ろからだれかがつかんだ。

 かえると──かすりの着物を着た《きつねめんわらべ》と、視線がこうさくした。

 城へのとつにゆうまえいつしゆんだけ見えたあの幼いわらべが、今、間近でクレーヴェルのコートをつまんでいる。

 意識をらされたのはいつしゆんのことで、クレーヴェルはすぐさま、しずみゆく青年に視線をもどした。


(……いない……?)


 そこにもう、〝かれ〟はいなかった。

 しずんだにしては早すぎる。まりもない。視線をずらしたいつしゆんすきと見るのが正しい。

 そもそも仮想空間だけに、この程度の消失は不思議でもなんでもない。

 青年の消えたゆかめんぎようしつつ、クレーヴェルはきつねめんわらべに声をかけた。


「──君。私はさつきゆうに、ヤナギ氏と共にこのクエストをクリアしなければならない。分散した仲間のところへ案内してくれ。君は──このクエストの中において、《敵》ではないんだろう?」


 仮に敵であるならば、クレーヴェルはとっくに不意打ちを受けている。

 きつねめんわらべが不思議そうに首をかしげた。

 このわらべは、もちろんゆうれいなどではない。ただのAI──それもおそらくは、このクエストの内部において案内人の役割を受け持つ存在だった。

 わらべは無言でクレーヴェルのすそはなし、すべるような足取りで天守閣のはしへと向かった。

 その先には階下へ下りるための階段がある。

 はしに近い急な角度だが、わらべふみいたを無視し、階下へ音もなく飛び降りた。

 クレーヴェルも後に続く。

 このままわなへと導かれる可能性ももちろんあるが、そのわなえることがクリアの条件であるならば、このわらべまぎれもなくクエストの案内人だった。


(……この段階で雑魚ざこからまれようものなら、私はだつらくだろうが……)


 運以外のステータスがじんじようでなく低いクレーヴェルにとって、そこが一つのなやみ所ではある。

 かれねんを裏付けるように、階下のてんじようでがさごそと何かがうごめいた。

 急階段を下りきって見上げた視界に、蜘蛛くもの半身を持つ花魁おいらん姿すがたの女が現れる。

 逆さまにてんじようへ張り付き、かのじよけた口元からきばのぞかせ、にたりと笑った。


「……じよろう蜘蛛ぐも……か」


 クレーヴェルはステッキの先で、コツコツと軽くゆかたたく。これは思案する時のくせである。

 熟達したプレイヤーにとっては、さほどこわい相手ではない。

 ──が、少なくともクレーヴェルのステータスでかなう相手でもない。

 たおさなければきつねめんわらべの後を追えないが、たおすのはおそらく難しい。退路はのない天守閣のみである。

 ──つまりは、どうしようもない。

 たんていは軽く額をはたき──

 やり直しのきく仮想の《死》に向けて、後ろ向きかつ破れかぶれの一歩をした。

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ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
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