舟形の器に盛られたプリンアラモードを、クレーヴェルがナユタ達の前に押しだした。
運が良いのか悪いのか、もはやよくわからない。
化け猫茶屋では珍しいこの特製スイーツを前に、コヨミが子供のように眼を輝かせた。
「まじで!? わーい、いっただっきまーす!」
遠慮なくプリンにスプーンを突き刺し、周囲の生クリームを添えて一口頰張るや、彼女は満面の笑みを見せた。
「うまっ!? 何これうまっ! ド・ロタ・ボー・パーラーの最高級イツマーデンプリン超えてるっ! なゆさんなゆさん、ほら食べてみなって!」
目の前にスプーンを差し出され、ナユタは流されるままにプリンを口にいれた。
甘すぎずさっぱりとした舌触りながら、カスタードの風味は濃厚で、カラメルのほろ苦さが味の深みとなって確かに美味しい。
──が、ナユタは寒天のほのかな甘みと歯応えのほうが好みでもある。
同時に、その味をまだ知らないらしいクレーヴェルを少しだけ気の毒にも感じた。
ナユタはまだ手をつけていない豆かんをクレーヴェルの前へ置き直す。
「それじゃ、探偵さんには私の豆かんを代わりに──どうぞ」
クレーヴェルが切れ長の目をわずかに細めた。
「君が注文したものだろう。いいのか?」
「私はいつも食べていますから。お気遣いなく」
コヨミがナユタへ甘えるようにもたれかかった。
「だったらなゆさん、プリンも豆かんも私と半分こしよ? それならお互いに両方食べられるし。はい決定ー」
そのまま口元に、カットしたスイカを差し出される。
この餌付けを素直に受け入れながら、ナユタは真顔で探偵に向き直った。
「……さて、クレーヴェルさん。今後の話ですが……」
「……もう? もうちょっと現実逃避してようよ……」
コヨミが隣でぽつりと囁いたが、そうもいかない。
ヤナギからの依頼は、クエスト《幽霊囃子》を一週間以内にクリアすること──
肝心のクエストが配信停止になってしまった今、ナユタ達にできることは何もない。
大手のゲーム情報サイト、MMOトゥデイにも続報はまだなく、公式からの情報発信も途絶えている。
「配信停止になったクエストが、修正を経て再配信されるまでには、早くても半月──通常なら一ヶ月程度はかかります。ヤナギさんの依頼は……残念ながら、もう達成不可能です」
この事実は認めないわけにいかない。どう足搔いたところで、そもそも配信されていないクエストをプレイする手段はない。
クレーヴェルが狐のような顔でくすりと嗤った。
「まったく、困った話だね。こういう事態は私も想定していなかったが、ひとまずはヤナギ氏からの連絡を待とう。依頼を破棄するか、それとも時期をずらして再配信を待つか、あるいは……ヤナギ氏の〝本当の目的〟を教えてもらい、それに対応するか、だね」
コヨミがハムスターのようにメロンをかじりながら、器用に首を傾げた。
「本当の目的? クエストのクリアじゃなくて?」
クレーヴェルが眼を伏せた。
「昨日、君も疑問に思っただろう? 〝こんなクエストのクリアに百数十万円も出すなんて、普通じゃない〟──その通りだ。しかし、ヤナギ氏は大金を出してでも早急にクリアしたい何らかの事情を抱えている。その内容によっては──ただクエストをクリアする以外にも、彼の望みを叶える手段があるかもしれない。そういう話だ」
コヨミが逆側に首を傾げ直した。
「えーと……そもそもヤナギさんって、どうしてクエストクリアしたいのかな?」
探偵が豆かんを口にいれた。
「──ん。これは確かに旨い……実のところ、ある程度まで想像はついている。ただ、本人のプライバシーに関わることだし、確認もとらずに私が無責任な推論を述べるわけにはいかない。ヤナギ氏から直接、聞いたほうがいいだろう。赤の他人である我々に、それを話すかどうかの判断も含めて──結局は彼次第だ」
もったいぶっているわけではないらしい。クレーヴェルの口調には、これまでよりも真摯な響きがあった。
ナユタも無遠慮に踏み込む気はない。人にはそれぞれ、抱えている事情がある。
コヨミが要領を得ない顔で、カットされたスイカをしゃくしゃくとかじった。
「よくわかんないけど、まだ諦めないってことでいいのかな?」
「私としては諦めないつもりだけれど、結局のところ、すべては依頼主の意向次第かな」
クレーヴェルが不意にメニューウィンドウを開いた。何かメッセージが届いたらしい。
「噂をすれば、さっそくヤナギ氏から……いや。違う──これは……」
クレーヴェルの目つきがわずかに険しさを増した。
「どうしたんですか? もしかして依頼の破棄とか……?」
ナユタが身を乗り出すと、探偵は逆に身を引かせた。
「ヤナギ氏のご家族からだ。ヤナギ氏が体調不良でログインできないため、こちらに来られないと……可能なら直に会って詳しい話を聞きたいと、そんな代筆のメールが来ている。記名は抜けているが、文面からして奥方のようだな」
ゲーム内から送られたメッセージではなく、転送されてきた電子メールらしい。
ナユタは思わずコヨミと顔を見合わせた。
「体調不良でログインできないって……ヤナギさん、何かあったんでしょうか?」
「奥さんからのメールって……ま、まさか運営が配信停止を決めた苦情って、ヤナギさんとこが発端とか……? 〝おじーちゃんが調子悪くなったのはゲームのせいだ!〟みたいな……」
高齢者がゲームの直後に体調を崩し、家族がそのことについて運営側に苦情を送る──行為の是非はさておき、ありえそうな事例ではある。
だが、クレーヴェルは即座に首を横に振った。
「それはない。運営に届いた苦情の内容については、昨夜のうちに確認済みだ。どうも我々よりも少し早く、城内への進入に成功した他のパーティーがいたらしい。で……その中の一人が、データとしては存在しないはずの《幽霊》に驚いて気絶し、アミュスフィアの安全装置が働いて強制ログアウトに追い込まれた。傍にいた家族が慌てて救急車を呼び、その後、病院側から運営にも連絡がいって──安全性を確認するために緊急配信停止、という流れだったと聞いている。倒れたのは二十代の大学生らしい」
ナユタは少なからず驚いた。
運営からの発表はそこまで詳しい内容に触れられていない。特に報道されたわけでもなく、ネット上の噂も「本物の幽霊が出たらしい」
程度にとどまっている。
「そんな詳しい情報、一体どこから……?」
探偵は事も無げにこの問いを受け流した。
「商売柄、情報源はいろいろあってね。ついでに、配信停止に至った本当の理由は苦情のせいじゃなく……苦情をきっかけに、運営側が審査時の見落としに気づいたせいだ。あの《幽霊》は彼らにとっても想定外だったらしい」
コヨミが唸る。
「想定外の幽霊かあ……あのさ、ヤナギさんが来てから話そうと思ってたんだけど、二人はどこに飛ばされて何を見たのか、聞いてもいい?」
クレーヴェルが鷹揚に頷いた。
「私は城の天守閣に飛ばされた。目の前に現れたのは、かつて死んだ友人……同期の仲間だ。その後、狐面をつけた童が出てきて、道案内を頼んだんだが──直後に奇襲をかけてきた女郎蜘蛛に、善戦むなしく倒された」
「……探偵さんのステータスで善戦とか、明らかに噓ですよね?」
ナユタの突っ込みに、クレーヴェルは薄笑いを浮かべたのみだった。
切り替えて、彼女も自身の進行状況を話し始める。
「私が最初に飛ばされたのは、飛び込んだ通路がそのまま前後に延びたような場所でした。やっぱり狐面の子が出てきて、〝かくれんぼをして遊ぼう〟っていわれて──その後、彼を探しながら、地下牢とか古井戸の底の通路を探索して、イベントアイテムっぽいものをいくつか見つけて、ちょうど近くに出口もあったので一時離脱した次第です」
コヨミとクレーヴェルが、信じ難い生き物を見るような眼をナユタに向けた。
「地下牢……」
「古井戸……」
「はい。知った顔の幽霊らしき人影も出てきましたけれど、ちらりと見えた程度なので、あまり印象には残りませんでした。罠はいくつかありましたけれど、ダメージ系よりびっくり系が中心ですね。一人ずつ分断されたのは厄介でしたが、攻略難度そのものはさほど高くないと思います」