二章 狐の見舞い ③

 コヨミがぶるりとかたふるわせ、たんていあきれたように目元をさえた。


「……いや。うん……そうじゃなくてさー……」

「……君、一人でそこを進んでいったわけだよね? たんたんと話しているが、よくギブアップせずにけたものだ。ふるなんてそもそも入ろうという気にならないだろうに」


 二人のこの反応が、ナユタにはもう一つぴんとこない。同行者を守る必要がない分、かのじよにとってはむしろ気楽な散策だった。


「そんなに強い敵は出ませんでしたよ? たおしたのはおに蜘蛛ぐもが二体とがいこつしやが五体。りようへい蝙蝠こうもりは数えてませんが、どっちもせいぜい十数体くらいだと思います。金色のうろこへびおんなも見かけましたけれど、とくしゆ設定のレア敵だったみたいでげられました」


 戦果としては悪くないが、まんできるほどのものでもない。

 コヨミがナユタの背中をそっとでた。


「……なゆさん、こわかったら無理しないでいいんだよ? お姉さんになんでも話してね? あとこわくなくても〝キャーコワーイ〟とか言っとけば世間の男くらいならだませるから……もうこの際、〝自分の美しさがこわい〟とか〝まんじゅうこわい〟とかそういうのでもいいから……」


 子供に言い聞かせるようなさとし方だったが、内容はいつも通り少々おかしい。


「いえ、だって、実際にケガしたりとか事故にったりって可能性はないわけですし……いくら私だって本物のろうとかふるだったらそれなりにこわいです。コヨミさんのほうは、どんなじようきようでどんなゆうれいを見たんですか?」


 プリンを味わいながら、コヨミが泣きそうな顔に転じた。


「私はねー……なんかやたらでっかいてんに飛ばされたの……で、ひそんでいた半魚人の不意打ちでやられちゃったんだけど、その直前、湯気の向こうで……」


 かのじよはわずかに鼻をすすった。


「……二ヶ月前に死んだ、ブラインシュリンプのリンちゃんが……浴衣ゆかた着ておどってた」

「………………すまない。もう一度たのむ」


 聞きちがいと思ったのか、たんていが真顔で問いかけた。

 コヨミは悲しげにうつむく。


「ブラインシュリンプ……粉みたいなかんそうらんを塩水につけるとするヤツ。最初は見えないくらい小さいけど、うまく育てると一センチくらいまで大きくなるの……ミジンコと似たようなあつかいだけど、かんそうらんの状態だと数年単位で保存がいて──」


 たんていがしらさえた。


「熱帯魚のえさになるアレか……? 知識としては知っている。スプーン一ぱいで数百ぴきにもなるを、単体で、しかも名前をつけて飼育していたのか……?」


 コヨミはこくりとうなずき、しんみりと遠いをした。


「人間サイズまできよだいするとさすがにキモかったけど……でも、元気そうな姿を見られてちょっとうれしかったかなあ……」


 ナユタは反応に困った。どことなくいい話のように語っているが、あまりそうは思えない。


「あの……かわいいんですか? それ」

「や。別にかわいくはない。全然」


 意外にドライだった。

 よくわからないしゆだが、コヨミがおかしいのは今にはじまったことでもない。

 気を取り直したたんていが姿勢を正した。


「ともあれ、これではっきりした。あのクエストに登場する《ゆうれい》は、プレイヤーそれぞれの、現実世界でのくなった知人……あるいはペットというケースもありそうだが、いずれにしても、本来はゲームの中にデータとして存在しない、個人情報に由来するものだ。まさに《ゆうれい》だね。少なくとも──過去のクエストで、こんな事例は聞いたことがない」

「……だけど、本物のゆうれいなんて有り得ません」


 まゆをひそめるナユタに、たんていがからかうようなしようを見せた。


「確かに。とはいえ、実体がないという点では、ゆうれいとVRMMO内のNPCには似通った部分がある。しんれい現象と呼ばれる事例の中には、脳内の電気信号が見せるまぼろし、ある種の誤作動が相当数ふくまれているという説もあるし……今回の《ゆうれい》も、そうした〝おくから作られたまぼろし〟を、脳を通じて見せられた可能性が高い」


 ナユタはうなずいた。かのじよの推論もたんていとほぼ近い。

 ゆうれいが知り合いの姿をしている以上、合理的に考えれば、プレイヤーの《おく》を、ゲーム内の素材としてリアルタイムに流用されたと見るのがとうだった。

 コヨミがプリンをむさぼりながらうわづかいになる。


「……ん? え? いや、それって……まずくない? あの、ほら……人権とかプライバシーのアレとか、そっち方向に……ヤバいよね?」


 たんていが深々とたんそくする。


「そう。〝個人のおくぬする〟に等しいこうだ。法整備がおくれているせいでグレーゾーンではあるが、仮にそうした仕組みだった場合、アスカ・エンパイアの自主的なりん規定にもはんしている。そく配信停止に至った最大の理由がだろう。一方で、もっと根本的な疑問もある。個々のおくみと、ゲームに対するほぼリアルタイムでの反映──〝そんなことが本当に可能なのか〟という疑問だ」

「……技術的に不可能?」


 ナユタもしゆで《ザ・シード》を使っている。あくまで素人しろうとレベルながら、VRMMOの制作に関わる知識も多少は持ち合わせている。

 去年は《百八のかい》へのおうも目指していたが、ちゆうばんまってしまい完成させることができず、結局は断念した。

 そのかのじよの知識に照らして、こうした技術の成功例はまだ聞いたことがない。

 クレーヴェルが切れ長のきつねのように細めた。


「不可能とまでは言わない。かやあきひこのような天才になら可能だろうし、ザ・シードの中に、もうそうした機能がかくれている可能性さえある。あのプログラムパッケージはまだふたの開ききっていないパンドラの箱だ。ただ……〝現時点で〟、〝不特定多数のプレイヤーそれぞれに対応する形で〟、〝おくみ、ゲーム内にそく反映させる〟なんて技術が、こんな形であっさりと実現している可能性はきわめて低い。しかも〝運営のしんをくぐりけて、それらを実行する〟というオマケつきだ。つうに考えれば無理がある。今回のけは、もっと単純で……なおかつ、トリッキーなものだと推測している」


 たんていの話のちゆうから、コヨミのがぐるぐると回り、見開いたままでしようてんを失い始めた。

 かのじよに難しい話は通じない。

 となりから手を回してその耳をふさいでやりながら、ナユタは声をひそめる。


「……VRMMOを利用したおくぬすって、要するにじんもんようの技術ですよね? たとえばこのクエストがデータを集めるためのテストケースだったりとか、そういう可能性は……」


 たんていが片目をつぶった。


「おもしろい発想だが、その可能性ははいじよしていい。そんな危ない技術をこんな形で外へ流出させるメリットがないし、逆に注意かんや問題提起が目的なら、もっと目立つ形でアピールする。くわしいことは、もう少し調べてみないとわからないが──それより今の問題はヤナギ氏だね。今はよこはまこうほく総合病院に入院中らしい。ヤナギ氏のおくがたも私から聞きたいことがあるようだし、いがてら行ってくる。悪いが先にログアウトさせてもらおう」


 クレーヴェルが残りの豆かんをかきこみ、席を立とうとした。


よこはま……こうほく総合病院?)


 ナユタはその病院を知っていた。

 呼び止めるより早く、反射的にたんていうでつかむ。

 そんな自分の行動に少しおどろきながら、かのじよたんていをじっと見上げた。


「あの……私もおいに行っていいですか? その病院、うちからもすぐ近くなんです。電車で三十分もかかりません」


 地域くつの──というよりは国内でも有数の大病院である。

 メディキュボイドと呼ばれるりようようの大型フルダイブ機器をいち早く試験導入したことでも知られており、難病のかんじやも多く入院していた。

 ナユタも以前、交通事故でをした際にしばらく入院したことがある。

 かのじよがメディキュボイドを使用する機会はさすがになかったが、院内でアミュスフィアのレンタルがあり、多くのかんじやひまつぶしにそれらを使用していた。

 あるいはヤナギも、そうした立場なのかもしれない。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影