二章 狐の見舞い ④

 クレーヴェルはすうしゆんちんもくを経て、ナユタから視線をらした。


「もしもこうしんなら、やめておいたほうがいい……と、私は思う。理由はわかるだろう? あそこは死を間近にひかえたかんじや終末期医療ターミナルケアについても定評がある。あのご老人も──おそらくはだ」


 ナユタははっとした。

 一週間というクリアまでの期限。

 法外なほうしゆう

 そして、家族がメールを代筆せざるを得ないじようきよう──

 この三点から推測される事態は、たんていでなくとも容易に察せられる。

 コヨミがかすかにうめいた。


「……そっか……おじいちゃんってば、だからあんなに急いで──」


 ナユタはに力をめ、改めてたんていえる。


「だったらなおさらです。ヤナギさんご自身の口から、私にもまだ協力できることがあるのかどうか──直接、確かめたいと思います」


 今度はあまり間をおかずに、クレーヴェルがうなずいた。


「わかった。それなら同行するといい。待ち合わせは病院えきの改札口。面会時間は午後からだろうから、正午に来てくれ」


 あっさりと要求が通ったことに、ナユタは逆に面食らった。


「……意外に話が早くてびっくりしました。守秘義務とか持ち出されて、もっといやがられるかと思ったんですが……」


 立ち上がったクレーヴェルがコートのすそひるがえした。


「私とヤナギ氏はまだけいやくすらしていないから、守秘義務も何もない──というのはただのくつだが、そもそも君たちは大事な協力者だ。要望はなるべく受け入れる。こちらは助けてもらう立場だし、場合によっては、まだ協力してもらうこともあるだろう」


 コヨミが鼻をすすりあげた。


「ううー……わ、私も行きたいっ……けどっ……!」

「君はどこからアクセスしているんだ?」

「……………………おおさかっす」


 みように遠い。日帰りも無理ではないが、往復の交通費が三万円ほどにもなる。

 ナユタはとなりからコヨミの手をにぎった。


「コヨミさんには、むしろこのまま待機していてもらったほうがいいと思います。急にログインしてしい用事ができるかもしれませんし、日帰りでおいはさすがに厳しいでしょう?」


 コヨミがけんに力をめつつうなずいた。


「そだね……明日からつうに会社だし……なゆさん、ヤナギさんによろしくね? ……あとたんていさん、リアルなゆさんに手ぇだしたらブっ殺すから。ていうか社会的にまつさつするから。女子高生相手に何かやらかしたらガチで通報待った無しなんで、くれぐれも自制してね? おおさかじん特有のフリじゃないからね? 私、出身はしまだし、そういうお約束通じないから。後から〝じようだんでしたー〟じゃ済まないじようきようにがっつりむよ?」


 にこにことあい良く、しかしだけは全く笑わず、コヨミがささやかなおどしをかけた。

 クレーヴェルがつかれたようにがしらさえる。


「……そんな可能性は考えもしなかったが……すまない、やはり同行は断っていいかな? じやつかんじんな身の危険を感じつつある。なんというか、えんざいてきな意味で」

「正午に改札口で待っています。少しくらいのこくは構いませんが、すっぽかされたらコヨミさんに〝もてあそばれた〟って泣きつきますね」


 ナユタが真顔で告げると、クレーヴェルは観念したようにてんじようあおいだ。


「……理解した。もうすでんでいたか──一応、待ち合わせ時の目印を決めておこう。私は灰色の背広で、かべを背にたんまつながめているはずだ。かみの色は黒だが、顔つきは今の私とそう変わらないから見ればわかるだろう。着いたらメールを送ってくれてもいい」

「私は……服装は決めていませんが、目立たない格好でいくと思います。目印となると文庫本くらいしか……」


 コヨミがナユタのむなもとをじっとぎようした。


「目印……」

「コヨミさん。それ以上、何か言ったらコヨミさんとの付き合い方を改めます」


 たちまちコヨミは真一文字に口を閉ざし、その後、もくもくとプリンアラモードをほおり始めた。

 難しい話は苦手なかのじよだが、ぎわちがえないかしこさは持ち合わせている。

 ナユタとコヨミは、現実でも一度だけ会ったことがある。

 つい先月、コヨミが上司の出張に付き合って上京した際に、半日ほどの空き時間を使い、二人でスイーツ店に入った。

 コヨミはこの時まで、ナユタの胸を「ゲーム用に盛ったにせもの」と思いこんでいたらしい。

 それがまぎれもない本物だと知ったしゆんかんかのじよはかつてないほどしんけんに「悪い男にだけは引っかからないように」


「むしろ声をかけてくるのは全員悪いヤツだから相手にしないように」と、少々行き過ぎの助言をくれたものである。

 実際の所、ナユタ自身はけいかいしんが強いほうだと自覚している。

 そんな自分がいのためとはいえ、じようあやしいたんていと二人きりで会おうとしていることに、かのじよしんこんわくしていた。

 乗りかかった船、という感もあるし、一プレイヤーとして、まだこうりやくあきらめたくないという思いもある。

 だが、何より大きな動機は──


(《ゆうれい》なんて、見ちゃったせいかな……)


 つい昨日、ナユタもを見た。

 ゲームのデータとしては存在しないはずの、身近な故人によく似たゆうれい──

 先ほどコヨミたちにも話した通り、ちらりと見かけた程度で、きようはほとんど感じなかった。そもそも本物のゆうれいだなどとも思っていない。

 ただ──こわくはなかったが、そのゆうれいを見て、かつて味わったこわいほどの〝さびしさ〟を思い出してしまった。

 このさびしさを早く忘れるためにも、今は何か行動の指針がしい。このままうつうつと何もせずにいたら、明日以降まで気がってしまいそうだった。

 調べ物があるというクレーヴェルが一足先に店を出た後、コヨミがスプーンを片手にいきらした。


「ヤナギさん、だいじようかな……昨日知り合ったばっかの人に、こんなこと言うのは変かもしれないけど……元気になってしいよね」

「──そうですね」


 それが難しい願いだということは、ナユタもうすうす感じている。でなければ、「一週間以内に」などという要求はなかなか出てこない。


(でもさすがに、配信停止じゃどうしようも……)


 今は入院しているヤナギの病状が気にかかる。期限さえもう少し延びれば、運営による調整後の再配信が間に合うかもしれない。

 ナユタは、たんていが空にした豆かんのうつわをじっと見つめた。

 かなうことなら、ヤナギにもその味を知ってしい──そんな思いが、ふとのうをかすめた。





 日曜の正午。

 ざつとうの中、改札を出てすぐに、ナユタは〝たんてい〟の姿を見つけた。

 背後のかべにもたれ、たんまつの画面をながめながら、物思いにふけるスーツ姿の美青年──

 ひとちがいの可能性はほぼない。かみの色が銀から黒に変わっただけで、かれは顔立ちもふんもほぼゲーム内のままだった。

 近くを通りすぎる女性たちいつしゆん気をとられる程度には、その立ち姿はみように絵になっている。

 ただしそれは、単純にえがいいという話ではない。

 青年の存在感はどことなくようかいたぐいを連想させる。

 目立たないようで目立つ。

 格好だけはサラリーマン風だが、ただよう清潔感がやけににんげんばなれしているせいで、異質さをかくし切れていない。

 要するに、現代社会にもうと苦心している化けきつねのようだった。

 女性ばかりでなく子供たちまでもが、不思議そうにその姿をぎようしていく。かれらの目に、たんていの姿はようかいのように見えているにちがいない。


(……たんていには向いてないんじゃないかなあ、あの人……)


 こうなどしようものなら、あっという間にけんしそうだった。

 声をかける前に、ナユタはさっと自分の姿をチェックする。

 茶色いながそでのニットに黒のロングスカートはいかにも地味だが、いだからとな格好をけたわけではない。私服はおおむねこんな具合で、外でははだしゆつを極力ひかえている。

 コヨミからは「逆に男受けする格好」などとからかわれたが、派手な服装はどうにも落ち着かない。表情がかたすぎて似合わない上に、そもそもインドア派であまり遊び歩くことがなく、着る機会もほとんどない。

 かみぐしで少しだけ整え直し、ナユタはクレーヴェルの前へ静かに立った。


たんていさん、はじめまして。ナユタです」

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ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
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