クレーヴェルは数瞬の沈黙を経て、ナユタから視線を逸らした。
「もしも好奇心なら、やめておいたほうがいい……と、私は思う。理由はわかるだろう? あそこは死を間近に控えた患者の終末期医療についても定評がある。あのご老人も──おそらくはそういうことだ」
ナユタははっとした。
一週間というクリアまでの期限。
法外な報酬。
そして、家族がメールを代筆せざるを得ない状況──
この三点から推測される事態は、探偵でなくとも容易に察せられる。
コヨミがかすかに呻いた。
「……そっか……お爺ちゃんってば、だからあんなに急いで──」
ナユタは眼に力を込め、改めて探偵を見据える。
「だったら尚更です。ヤナギさんご自身の口から、私にもまだ協力できることがあるのかどうか──直接、確かめたいと思います」
今度はあまり間をおかずに、クレーヴェルが頷いた。
「わかった。それなら同行するといい。待ち合わせは病院最寄り駅の改札口。面会時間は午後からだろうから、正午に来てくれ」
あっさりと要求が通ったことに、ナユタは逆に面食らった。
「……意外に話が早くてびっくりしました。守秘義務とか持ち出されて、もっと嫌がられるかと思ったんですが……」
立ち上がったクレーヴェルがコートの裾を翻した。
「私とヤナギ氏はまだ契約すらしていないから、守秘義務も何もない──というのはただの屁理屈だが、そもそも君達は大事な協力者だ。要望はなるべく受け入れる。こちらは助けてもらう立場だし、場合によっては、まだ協力してもらうこともあるだろう」
コヨミが鼻をすすりあげた。
「ううー……わ、私も行きたいっ……けどっ……!」
「君はどこからアクセスしているんだ?」
「……………………大阪っす」
微妙に遠い。日帰りも無理ではないが、往復の交通費が三万円ほどにもなる。
ナユタは隣からコヨミの手を握った。
「コヨミさんには、むしろこのまま待機していてもらったほうがいいと思います。急にログインして欲しい用事ができるかもしれませんし、日帰りでお見舞いはさすがに厳しいでしょう?」
コヨミが眉間に力を込めつつ頷いた。
「そだね……明日から普通に会社だし……なゆさん、ヤナギさんによろしくね? ……あと探偵さん、リアルなゆさんに手ぇだしたらブっ殺すから。ていうか社会的に抹殺するから。女子高生相手に何かやらかしたらガチで通報待った無しなんで、くれぐれも自制してね? 大阪人特有のフリじゃないからね? 私、出身は島根だし、そういうお約束通じないから。後から〝冗談でしたー〟じゃ済まない状況にがっつり追い込むよ?」
にこにこと愛想良く、しかし眼だけは全く笑わず、コヨミがささやかな脅しをかけた。
クレーヴェルが疲れたように目頭を押さえる。
「……そんな可能性は考えもしなかったが……すまない、やはり同行は断っていいかな? 若干、理不尽な身の危険を感じつつある。なんというか、冤罪的な意味で」
「正午に改札口で待っています。少しくらいの遅刻は構いませんが、すっぽかされたらコヨミさんに〝もてあそばれた〟って泣きつきますね」
ナユタが真顔で告げると、クレーヴェルは観念したように天井を仰いだ。
「……理解した。もう既に詰んでいたか──一応、待ち合わせ時の目印を決めておこう。私は灰色の背広で、壁を背に端末を眺めているはずだ。髪の色は黒だが、顔つきは今の私とそう変わらないから見ればわかるだろう。着いたらメールを送ってくれてもいい」
「私は……服装は決めていませんが、目立たない格好でいくと思います。目印となると文庫本くらいしか……」
コヨミがナユタの胸元をじっと凝視した。
「目印……」
「コヨミさん。それ以上、何か言ったらコヨミさんとの付き合い方を改めます」
たちまちコヨミは真一文字に口を閉ざし、その後、黙々とプリンアラモードを頰張り始めた。
難しい話は苦手な彼女だが、引き際を間違えない賢さは持ち合わせている。
ナユタとコヨミは、現実でも一度だけ会ったことがある。
つい先月、コヨミが上司の出張に付き合って上京した際に、半日ほどの空き時間を使い、二人でスイーツ店に入った。
コヨミはこの時まで、ナユタの胸を「ゲーム用に盛った偽物」と思いこんでいたらしい。
それが紛れもない本物だと知った瞬間、彼女はかつてないほど真剣に「悪い男にだけは引っかからないように」
「むしろ声をかけてくるのは全員悪いヤツだから相手にしないように」と、少々行き過ぎの助言をくれたものである。
実際の所、ナユタ自身は警戒心が強いほうだと自覚している。
そんな自分が見舞いのためとはいえ、素性の怪しい探偵と二人きりで会おうとしていることに、彼女自身も困惑していた。
乗りかかった船、という感もあるし、一プレイヤーとして、まだ攻略を諦めたくないという思いもある。
だが、何より大きな動機は──
(《幽霊》なんて、見ちゃったせいかな……)
つい昨日、ナユタもそれを見た。
ゲームのデータとしては存在しないはずの、身近な故人によく似た幽霊──
先ほどコヨミ達にも話した通り、ちらりと見かけた程度で、恐怖はほとんど感じなかった。そもそも本物の幽霊だなどとも思っていない。
ただ──怖くはなかったが、その幽霊を見て、かつて味わった怖いほどの〝寂しさ〟を思い出してしまった。
この寂しさを早く忘れるためにも、今は何か行動の指針が欲しい。このまま鬱々と何もせずにいたら、明日以降まで気が滅入ってしまいそうだった。
調べ物があるというクレーヴェルが一足先に店を出た後、コヨミがスプーンを片手に溜め息を漏らした。
「ヤナギさん、大丈夫かな……昨日知り合ったばっかの人に、こんなこと言うのは変かもしれないけど……元気になって欲しいよね」
「──そうですね」
それが難しい願いだということは、ナユタも薄々感じている。でなければ、「一週間以内に」などという要求はなかなか出てこない。
(でもさすがに、配信停止じゃどうしようも……)
今は入院しているヤナギの病状が気にかかる。期限さえもう少し延びれば、運営による調整後の再配信が間に合うかもしれない。
ナユタは、探偵が空にした豆かんの器をじっと見つめた。
叶うことなら、ヤナギにもその味を知って欲しい──そんな思いが、ふと脳裏をかすめた。
日曜の正午。
雑踏の中、改札を出てすぐに、ナユタは〝探偵〟の姿を見つけた。
背後の壁にもたれ、端末の画面を眺めながら、物思いにふけるスーツ姿の美青年──
人違いの可能性はほぼない。髪の色が銀から黒に変わっただけで、彼は顔立ちも雰囲気もほぼゲーム内のままだった。
近くを通りすぎる女性達が一瞬気をとられる程度には、その立ち姿は妙に絵になっている。
ただしそれは、単純に見栄えがいいという話ではない。
青年の存在感はどことなく狐狸妖怪の類を連想させる。
目立たないようで目立つ。
格好だけはサラリーマン風だが、漂う清潔感がやけに人間離れしているせいで、異質さを隠し切れていない。
要するに、現代社会に溶け込もうと苦心している化け狐のようだった。
女性ばかりでなく子供達までもが、不思議そうにその姿を凝視していく。彼らの目に、探偵の姿は妖怪のように見えているに違いない。
(……探偵には向いてないんじゃないかなあ、あの人……)
尾行などしようものなら、あっという間に露見しそうだった。
声をかける前に、ナユタはさっと自分の姿をチェックする。
茶色い長袖のニットに黒のロングスカートはいかにも地味だが、見舞いだからと華美な格好を避けたわけではない。私服は概ねこんな具合で、外では肌の露出を極力控えている。
コヨミからは「逆に男受けする格好」などとからかわれたが、派手な服装はどうにも落ち着かない。表情が硬すぎて似合わない上に、そもそもインドア派であまり遊び歩くことがなく、着る機会もほとんどない。
髪を手櫛で少しだけ整え直し、ナユタはクレーヴェルの前へ静かに立った。
「探偵さん、はじめまして。ナユタです」