二章 狐の見舞い ⑤

 ささやくように声をかけて一礼する。

 たんまつから顔をあげたクレーヴェルは、あいさつも返さないうちにまゆをひそめた。


「……おどろいた。君、ゲーム内と容姿が変わらないのか」

「……いえ。たんていさんほどではないと思いますが。もう目印とからないですよね?」


 いくさ巫女みこのナユタは、少なくともしようがまるでちがう。スーツ姿のかれのほうがよりゲーム内の印象とも近い。

 たんていはまじまじとえんりよな視線をナユタに向けた。


「──君はもしかして、いい所のおじようさんなのか?」

「いいえ。ただのいつぱん家庭です。どうしてですか」

「姿勢がいい。ことづかいもしっかりしているし、うわついたところがない。世間いつぱんの高校生とはふんちがう」


 められたのかあやしまれたのか、みようなところではある。


「関係あるかどうかわかりませんが、母が元婦警で、父と兄がそろって警察官です」

「……なつとくした。そういうご家庭か」


 じやつかんけんせいめて、ナユタは正直に話した。

 たんていは病院に向けてそそくさと歩き出す。

 ガードレールで区切られた歩道はせまく、向かいからも歩行者が来るために並んでは歩きにくい。必然的に、ナユタはたんていの数歩後ろへと続いた。


「親兄弟そろってということは、君もそっちの道へ進むのかな?」

「いえ。私はつうに大学へ行って、いつぱんぎように就職するつもりです。警察は大変そうですし、体を動かすのも苦手なので」


 身もふたもない言い方をすれば、単純に胸が重い。はしみは大の苦手で、最近は体育の授業すら苦戦している。かのじよがゲームの中でことさらに身軽さを求めるのは、現実世界における不満の裏返しでもあった。

 そんな事情を知らないクレーヴェルは、ピントのずれた訳知り顔でうなずく。


けんめいだ。あのかいわいは向き不向きが大きい。上下関係の厳しい体育会系に慣れていればともかく、君みたいに物静かなタイプは苦労するだろう」

「……くわしそうですね? 警察にお知り合いでも?」

「そこそこ多い。商売がら、ね──ああ、たんていぎようのことじゃないよ」


 背広の内ポケットからめいが出てきた。

 受け取ったナユタは、ここで初めてクレーヴェルの本名を知る。


「……クローバーズ・ネットワークセキュリティ・コーポレーション……だいひようとりしまりやくしやちようくれかいせい……社長?」


 この若さで社長となると、たんてい以上にさんくさい。

 ナユタの冷たいまなしに気づいたのか、クレーヴェルはかたをすくめ言い訳を始めた。


かたきだけだ。仲間と立ち上げたセキュリティ関係のベンチャーぎようなんだが、私が一番、口が上手うまいものだから、流れでそういうことになった」

「はあ……社長さんがゲームで遊んでいて、会社はだいじようなんですか……?」


 余計なこととは知りつつ、つい口にしてしまう。当初の予定では明日以降、クレーヴェルはヤナギのためにほぼ二十四時間態勢でこうりやくにあたると明言していた。


「その点は問題ない。たんていぎよう、観光業での収入も会社の利益として計上しているし、要するにこれも業務のいつかんだ。ゲームを通じて知り合ったきやくもそれなりに多い。むしろやめると新規きやくかくとくに支障がでる。口コミというのは案外、鹿にできないから」


 どうやらかれの観光案内には、将来のきやくかくとくするための営業活動という側面もあるらしい。


「つまり、私にとってはヤナギ氏とそのご家族も重要なきやく候補なんだが──君はかれじようについて、もう何か気づいているのかな?」


 ナユタは首を横にった。


「あのほうしゆうが本気なら、〝お金持ちなんだろうな〟くらいです。後は……おもち関係の知識からして、料理人とか研究者、先生とかの可能性は考えましたが、たぶんちがうとも思っています」


 かえったクレーヴェルがを細めた。

 ちょうどいいタイミングで赤信号につかまり、二人は立ち止まる。


「そう判断した理由は?」

「そもそも私のかんなんてあてになりませんから。いて言えば話し方です。こしが低いのに気品があって、育ちも良さそうで──商売人の話し方、って印象でした。それも自己主張が強い創業者タイプじゃなくて、周囲にはいりよしながら伝統を守る二代目、三代目……時代劇なら、大きな商家のごいんきよとか似合いそうですよね」


 たんていあきれたように息をいた。


「──あてにならないどころか、君のかんぶんせきはかなり精度が高い。確かにかれは、ある老舗しにせのごいんきよ──あの《なぎりゆうぜんどう》の現会長だよ」


 ナユタは耳を疑った。

 クレーヴェルが差し出したけいたいたんまつには、なぎのホームページが表示されていた。

 会長あいさつけいさいされた写真の顔立ちは、確かにゲーム内で見たヤナギとよく似ている。

 日本各地のデパートに売場を確保しているなぎりゆうぜんどうは、業界の大手老舗しにせだった。

 定番商品の〝やなぎもち〟は、に果物の風味を練りんだもちで、その種類はりん柚子ゆずももかんどうさらに季節限定のさくらんぼや西瓜すいかかきくりなどにわたる。

 一箱に八種の味がわされており、価格もごろとあって、長くファンに愛されているいつぴんだった。

 土産みやげの定番商品だけに、当然、ナユタも一度や二度でなく食べたことがある。

 信号が青に変わり、二人は横断歩道を歩き出す。

 まわりに他の通行人はいないが、たんていは心持ち声をひそめた。


なぎりゆうぜんどうの五代目にして現会長、なぎていいち──それがヤナギ氏の現実での姿だ。若いころには職人としてもうでるったらしいし、数年前まではせいけい専門学校の理事も務めていた。厳密には料理人でも教師でもないが、それに近いという点までふくめて、君のかんおそろしい精度で的中している。警察官の血筋かな?」

「ただのぐうぜんです。それより……ヤナギさんの正体を、たんていさんはいつ知ったんですか」


 目的地の病院を遠くに認めつつ、ナユタはクレーヴェルの横顔をうかがった。

 たんていは素知らぬ顔で微笑ほほえむ。


「私は最初から知っていた。ちゆうかいしやから〝くれぐれも失礼がないように〟と念をされた時点で、らいにんじようかくにんしたからね。ただ……かれがどうして《ゆうれいばや》にこだわっているかについては、まだ聞いていない。それをこれからかくにんしにいく」

「……あらかた、予想はついていますよね?」


 クレーヴェルがたんそくを返した。


「ああ。君も感づいていそうだが、言わなくていい。おそらく、今日……これから説明を受けることになるだろう」


 ナユタは無言でうなずいた。

 たんていがついでのように付け足す。


「そういえば、ヤナギ氏の容態が悪化したのは、ログアウトの直後ではなく……《配信停止》の一報を見た直後だったそうだよ。よほどショックだったんだろうね」


 そのしゆんかんのヤナギのらくたんを思うと、どうにもやりきれない。

 やがて二人はよこはまこうほく総合病院の正面に着いた。

 日曜日だけに外来のかんじやはいないが、い客がちらほらと正面げんかんから入っていく。

 かれらの後に続きながら、ナユタはまた、そっとクレーヴェルの横顔を見上げた。

 いかに印象が化けきつねのようだとはいえ、まさか本物のようかいではない。

 ただその点を差し引いても──かれすずやかな何故なぜくうきよで、どことなくがらのようにも見えていた。





 ヤナギの病室は、ごくせまい個室だった。

 シングルサイズの電動ベッドが一つと、い客がすわるための積み重ね可能なまるが三つ。他にはこれといった家具もなく、りんしつとのかべり程度のうすさしかない。

 道中の情報からVIP用の特別室を想像していたナユタは、ついひようけしてしまう。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影