二章 狐の見舞い ⑥

 窓の向こうにはうすぐもりの春空が広がっていたが、他に見えるのは付近の高層ビルや道路ばかりで、ちようぼうもさほど良くはない。

 特別室がまっていたのか、それともヤナギが質素なしようぶんなだけなのか──おそらくは後者だろうと、ナユタは見当をつけた。

 病室でかのじよたちむかえたのは、薬でねむるヤナギと、にこやかな老妻だった。


「あらあら、まあまあ……この人ったら、こんな年になってこんなお若くてれいなお友達ができるなんて……うらやましいわあ。はじめまして、なぎの妻の寿と申します」


 着物姿のろうは、じやのないやわらかなみで来客の二人をこうに見つめた。


「ええと……お二人は、お付き合いをされているのかしら?」


 あいさつもそこそこに飛んできたばくだんを、たんていが冷静に処理する。


「いえ。かのじよはヤナギさんの道案内をしたえんで、ゲームのこうりやくを手伝ってくれている学生です。私とも昨日、初めて会ったばかりでして」


 寿がまるで子供のように首をかしげる。


「あら、そうなの? とてもお似合いだからてっきり──失礼いたしました。まあ……条例とかあるものね? 対外的には、ね?」


 誤解を改める気はないらしい。

 客商売らしいあいの良さで、寿はナユタににっこりと笑いかける。


「それにしてもおじようさん、本当にれいねえ……この人ったら、ゲームの中で若い子をナンパしてたの? この年までうわなんてしたことなかったのに、おばあちゃん、ショックだわあ──」


 あまりにおどけたその物言いに、ナユタはしようを返した。


「いえ、ヤナギさんが道に迷っていらしたので、わたしたちから声をおかけしたんです。その後はわたしたちが勝手に、何かお手伝いできればと思いまして……」


 寿がくすりと笑った。


「この人、昔からそういうところがあるの。なんだか知らないけれど、いいタイミングでいろんな方に助けていただけて……妻の私が言うことでもないけれど、ごろの行いがいいのかしら? ま、この人の最大の幸運は、私みたいなてきおくさんとけつこんできたことなんですけれどね?」


 茶目っ気たっぷりにのろけるあたり、ふうなかきわめて良好らしい。

 寿はにこにこと笑い、世間話を続ける。


「おじようさんも、けつこん相手はしんちように選ぶのよ? あ、でもしんちようすぎてもだめ。第一印象でぴんとくることなんてそうそうないし、かんぺきな相手なんていないんだから。とりあえず顔が好みだったらある程度のことはまんできるはずだから、このたんていさんみたいな方は割と優良物件よ? 年が少しくらいはなれていたって、六十、七十になれば大差ないの。私だってていしゆより一回りも年下で……」

「──失礼、本当にそういう関係ではありませんので、ごようしやください。私はまだたいされたくありません」


 顔合わせ早々に会話のペースをにぎられたたんていが、徒労に終わりそうな弁明を切り上げてどうにか本題に入る。


「さっそくですが、ヤナギさんのご容態はいかがでしょうか? いつしよにゲームをしていたもう一人の仲間も、とても心配していまして──」


 コヨミを出しにして、かれは自然に会話をつないだ。

 ベッドのヤナギはてんてきしたままねむっている。

 その顔はゲームの中よりもかなりやつれ、体も一回り縮んで見えた。

 寿微笑ほほえみ、ヤナギの骨張った手をそっとでた。


だいじようです。今はお薬でねむっているけれど、もうじき起きますわ。ごめんなさいね、急に来ていただいて……本当は私が出向くべきなんだけれど、この人のそばにいてあげたかったし、ゲームのこともちょっとよくわからなくて。ぶいあーる……えぬえぬおーでしたっけ……?」


 たんていが小声で応じる。


「VRMMOです。バーチャル・リアリティ・マッシヴリィ・マルチプレイヤー・オンライン──要するに、現実とまがうほどにリアルな空間をたいにした、大規模で、なおかつ多人数が同時に遊ぶオンラインゲームのことです。私はそこで観光案内の真似まねごとをしています」


 SAO事件にからむワイドショー等で散々にやりだまにあげられ、このりやくしようもすっかり国内に定着したが、そういった番組を見ない層にまではさすがにしんとうしていない。

 寿は困ったように首をかしげた。


「難しいお話ねえ……ごめんなさい、やっぱり私にはよくわからなくて。でも、なぎみなさんにとても感謝していました。昨日の夜も、めずらしく楽しそうで……今朝、そのゲームの配信停止の知らせを見るまでは、本当に元気だったの。改めて……ご心配とごめいわくをおかけして、申し訳ありません」


 おんな顔にあきらめとさびしさをただよわせ、ろうは深々と頭を下げた。

 ──かのじよはもう、はんりよの死が近いことを知っている。そして相応のかくも決めている。

 ナユタはを閉じ、ゆっくりと息を吸った。

 ここから先の話はおそらく重いものになる。

 ちんもくを破ったのはたんていの声だった。


「……一つ、うかがってもよろしいですか? ヤナギさんは、どうしてそこまで──あのクエストにこだわっているのでしょうか」

「くえすと……?」


 寿が首をかしげる。ゲーム系の用語とは、やはりえんがないらしい。


「失礼、クエストというのは、くだんの《ゆうれいばや》のことです。ほうしゆうの額といい、何かよほどの事情があるのではとお見受けしました」


 寿せた。


「……なぎからは、なんと?」

「何もうかがっていません。ただ……ある程度、想像はついています」


 クレーヴェルはわずかなしゆんじゆんを見せた後、ことさらに声をひそめた。


「プライバシーに立ち入るようできようしゆくですが……あの《ゆうれいばや》は、あなた方のご家族──おそらくはお孫さんが制作されたものです。そしてその方は、残念ながらもうおくなりになっている……そうですね?」


 たんていの静かな声は確信に満ちていた。

 ナユタもかれと同じ推論を得ている。

 今回の《アスカ・エンパイア》のイベント、《百八のかい》は、ユーザーからのおうさくによって成り立っていた。

 当然ながら、それらのおうさくには制作者がいて、その制作者には家族がいる。

 孫がけんめいに制作したゲームのてんまつを、死ぬ前に見届けたい──死期の近いヤナギを初めてのVRMMOにてた動機は、そんな家族として当たり前の、ごく人間らしい感情だったのだろう。

 そんなヤナギがゲームのこうりやくを見ず知らずのたんていなどにらいしている時点で、その制作者が今、自らゲーム内を案内できない状態にあることも想像がつく。

 何より──ゲームの中で会ったヤナギは、どこかかなしげな、放っておけない気配をただよわせていた。

 寿うつむいたまま、そっとハンカチを口元へえる。


「……お察しの通りです。昨年の十二月──わたしたちの孫のきよふみくなりました。まだ十代で……わたしたちの半分どころか、四分の一も生きていないのに……ほとんど学校にも通えず、長いとうびようの末、息を引き取りました──」


 ナユタは何も言えない。孫をうしなった老人にかけられる言葉など、若いかのじよには思いつかない。

 ナユタがうっすらと事情に感づいたのは、《ゆうれいばや》に現れた城の門前で、コヨミが「小学校の修学旅行で日光へ行った」

ことに触れた時だった。

 あの時、ヤナギは「修学旅行」という単語にどうようしていた。その理由について、ナユタはかのじよなりにいくつかの可能性を推測したが、うち一つがどうやら的中していたらしい。

 事情が事情だけに、当たったところでうれしくはない。

 クレーヴェルがまゆをひそめた。


「……つらいことを聞くようですが……お孫さんは自分の死期が近いことを、もうだいぶ前から理解されていたようですね?」


 寿はゆっくりとうなずく。


「ええ。《ゆうれいばや》は、きよふみが制作した最初で最後の作品です。あの子は──死ぬ前にどうしても、自分の生きたあかしのこしたかったのね。運営の方から採用のれんらくが届いた時は本当にうれしそうで、みんなが遊べるようになる日を楽しみにしていたのですが……あの子の体は、もう限界だったんだと思います」


 その声はかすれていた。

 ナユタはつい、痛ましくなりうつむいてしまう。

 たんていがナユタのかたを軽くたたいた。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
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