二章 狐の見舞い ⑦

「君まで気落ちしてどうする。ヤナギさんが、我々にこのことをだまっていた理由についても……君ならもう気づいているはずだ」


 ナユタはうなずいた。

 孫の作ったゲームでいつしよに遊ぶナユタたちに、暗い気持ちなど共有してしくはない──あるいは、孫の作品でじゆんすいに楽しむ他のプレイヤーの姿を、かれは実際にそばで見たかったのかもしれない。

 背景にある重い事情を知れば、どうしても自然体ではいられなくなる。

 もっとも──ゆうれいばやが配信停止となった今、ヤナギがあのクエストをプレイできる機会は、おそらくもう来ない。

 今のナユタには、その事実がことさらに重く感じられた。

 そしてヤナギの妻たる寿も、このことをねんしているらしい。


「……ねえ、たんていさん。私には、ゲームのことはよくわからないのですけれど……再配信というのはいつごろ……?」


 かのじよの不安げな声に、クレーヴェルは演技でないしんみような顔で応じた。


「正直に申し上げてわかりません。運営だいですが、今までの例からすると、早くても一ヶ月程度はかかるかと思います」

「一ヶ月……」


 寿の表情が目に見えてくもった。

 ヤナギの体は、そのころまでもたないらしい。こうりやく期限の一週間すら、今のかれにとって確実なゆうではなさそうだった。


「……寿さん。たんていさんを困らせるものじゃないよ……」


 いつの間にか目覚めていたヤナギが、びようしようからくぐもった声をした。

 ゲーム内のかれとはちがい、声は聞き取るのが困難なほどに弱々しい。


「……ヤナギさん」


 ナユタは無意識のうちにまくらもとへ近寄った。


「……わざわざ来ていただき、きようしゆくです。おじようさんは……ナユタさんですな……?」


 そべったまましようするヤナギへ、ナユタはうなずいてみせた。


「はい。ナユタです。コヨミさんは関西にいるので、さすがに来られなかったんですが……ヤナギさんのことを、とても心配していました。クエストの再配信に備えて、はやく元気になってくださいね」


 せいいつぱいの思いでそう告げると、ヤナギは力なくうなずき、せた。


「……ちと、夢を見ていました。くなった孫が出てきまして……何か言いたげなのですが、声が聞こえませんで……どうしたものかとほうにくれていたところ、きつねが出てきてが覚めました。そういえばあのきつねたんてい殿どのに似ていましたな──」


 水を向けられたクレーヴェルがかすかに笑った。


「よくきつねがおとは言われます。稲荷いなりじんじやへ行ったら、通りすがりの他人に拝まれたこともありますよ」


 このじようだんにヤナギもほおゆるめる。


「……わざわざご足労いただき、申し訳ありませんでした。手付け金については後でませますが、事情が事情ですので、らいのほうはもう……」

「そう。ごらいの件です。今日はそれでうかがいました」


 クレーヴェルが態度を改め、みようんだ声を発した。


「昨日はけいやくに至りませんでしたが、もう月曜日まで待つ必要もないでしょう。今の段階で、私とけいやくされるかいなかのご決断をお願いいたします。金額は昨日の条件と同じ──そしてごけいやくいただいた場合には、〝一週間以内のクリア〟に向けて、私が全力をくします。その手段については、こちらにお任せいただきますが──」

「ちょ、ちょっと、たんていさん……!?」


 ナユタは思わず口をはさんだ。

 クエスト、《ゆうれいばや》は配信停止になっている。一週間以内のクリアどころか、今はそもそもプレイすらできない。そのことはかれあくしている。

 クレーヴェルがナユタに片目をつぶってみせた。


「今朝も言った通り──私はまだ。ヤナギさん、貴方あなたにまだゲームをプレイする気力があるのなら、私は全力でそれをえんします。貴方あなたがフルダイブできるじようきようになりだい、可能なら明日にでもこうりやく再開といきましょう」


 事も無げに言うたんていの姿に、ナユタはまいがした。


たんていさん、ですから、かんじんのクエストが……!」


 このてきには答えず、クレーヴェルがナユタをちらりと見た。


「君、明日は学校かな? 春休みにはまだ早いか」

「……午前中で終わりです。試験のへんきやくと補講だけなので、お昼前には家に帰れます。私は部活もやっていませんし」


 たんていが軽く手をたたいた。


「結構。それなら十三時に事務所で待ち合わせよう。ヤナギさんも可能ならぜひおいでください。それから──お二人にはその時点で、しやと《アルバイト》としてのようけいやくを結んでいただきます」

「……え? あの……いや、何言ってるんですか?」


 わけがわからないまま、ナユタはびようしようのヤナギと顔を見合わせる。

 そんな二人をにこやかにながめるクレーヴェルの姿は、どこからどう見ても、人を化かすしようわるきつねそのものだった。





 ねこは神である。

 古代エジプトにはバステトというねこがみがいた。

 きつねも神である。

 全国うらうらに広がる稲荷いなりじんじやは、五穀をつかさど倉稲うかのみたまのかみを祭っており、きつねはその使いとされている。


「……つまりね。ここの二階って、ねこがみさまとお稲荷いなりさんがとなって存在している、神仏習合ならぬにやんしゆうごうさい殿でんなんじゃないかとゆーケモナーだいかんの説が……!」

「……コヨミさんって、たまに私の知らない専門用語を使しますよね。ケモナーってなんですか?」

「……えっと……愛情のはばが通常より広い人たち?」


 ヤナギのいから一夜が明けて、月曜日のたんていしや──

 事務所のソファにすわるナユタとコヨミのとりとめもない会話に、出社したばかりのたんていから苦情が入った。


「私は顔がきつねに似ているというだけで、稲荷いなりじんじやとは関係ない……それより〝十三時に集合〟と伝えたはずだが……今、何時かな?」

「あ、たんていさん、ちーっす。かべに立派な柱時計があるよ? えーと……十一時だね」


 ナユタのひざまくらたんのうしつつ、コヨミがめんどうそうに応じた。

 たんていが目元をさえる。


「パーティーメンバーならかぎを開けられる設定にしていたのがちがいの元か……ナユタ、学校は?」

「午前中だけ、って昨日言いましたよね? 私、学校まで徒歩五分のところに住んでいるので、往復にはほとんど時間がかからないんです」

「……コヨミ、会社は?」

「何? たんていさんとこには〝有給きゆう〟ってがいねんが存在しないの? うわぁ、ブラック……ろうぇつけられないようにね?」


 しつづくえすわりながら、たんていが深々とたんそくした。


「確かに、年度末が近い週の月曜日にその権利を行使できるような職場と比べれば、多少は黒いかもしれないが──こんな急なタイミングでよくしんせいが通ったね」


 たんていの皮肉を受けて、コヨミのがうつろに転じた。


「……ねんどまつ……げつよーび……なゆさん……たんていさんがいぢめる……」

「はいはい。私はコヨミさんの味方ですから。いそがしい時期にお休みとってまでこうりやくを手伝っていただいて、感謝しています」


 コヨミの頭をでてあやしながら、ナユタはたんていを軽くにらんだ。

 クレーヴェルがせきばらいでごまかす。


「……いや、私も別に感謝していないわけじゃないんだが──ここでていても退たいくつだろうから、余所よそへ行ってきたらどうかな? ヤナギ氏が来るまでまだ二時間もある」


 コヨミがナユタのはかまほおをすりよせ、ねこのようにのどを鳴らした。


「あ、お構いなくー。なんかここ、意外に心地ごこちいいんだよねえ……ほのかな紅茶のにおいとか、きつてんみたいだし。他人の目がないから、なゆさんもずかしがらずにひざまくらしてくれるし」


 思うところがないわけではないが、有給きゆうを消費してまで来てくれたコヨミに対し、ナユタとしても多少のじようはやむを得ない。そもそもおたがい、仮想空間におけるにせものの体である。

 たんていが指先で机をたたいた。


「なるほど。ところで、私という他人の存在を忘れていないか?」


 コヨミがしばしかんがむ。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影