彼は自らの動揺に気づいた直後、その演技力を駆使して平静を装う。
「……何故、そんなことを私に聞くのかな?」
「私には……わからないんです。VR技術に一番詳しかったはずの彼が、どうしてあんな大量虐殺を起こしたのか。大勢の人間が不幸になるとわかっていたはずなのに──数千人の命を奪って、その命に関わる数万人の遺族の人生を歪めてまで、一体何をしたかったんだろう、って──」
クレーヴェルが真顔に転じた。
狐のような彼の眼に、一瞬だけ狂気に近い歪な光が宿る。
「……その答えがどんなものであれ──私は、彼を決して許さない」
淡々と澄んだ声音で話しながら、クレーヴェルは机の上で指を組んだ。
「私は彼を心の底から軽蔑している。もしもまだ生きていたとしたら、この手で殺したいほど憎んでもいる。自らの偏った理想のために大量虐殺を犯した彼は、権力を守るために罪を犯した歴史上の大量虐殺者達と、本質的な部分ではさして変わらない。わかっていて行為に及んだ時点で、罪の意識が希薄だったことも推測できる。よく科学者が、自らの研究成果を兵器に転用されて苦悩するという話を見かけるが──彼の場合は他人に転用されたわけではなく、自らの意志で罠を仕掛け、故意に不特定多数の殺害に及んだ。到底、擁護できる要素はない」
これまでの飄々とした彼からは想像もつかない頑なな反応に、ナユタは戸惑った。
膝の上ではコヨミも固まっている。クレーヴェルの迫力に吞まれ、その口からいつもの軽口が出てこない。
声こそ冷静で、怒鳴り散らしているわけでもないが、それゆえに異様な凄みを感じてしまう。
祟りをなす狐がそうするように、クレーヴェルの細い眸には憎悪の光が明確に宿っていた。
「……茅場晶彦という男についてどう思うかと問われれば──私の答えは単純だ。〝唾棄すべき、独りよがりの大量虐殺者〟。彼が何をしたかったのかなど、考えるだけ無駄だよ。それがどんな回答であろうと、家族や友人の死という現実の前では、ただの馬鹿げた戯言にしかなり得ない」
彼のそんな怒りを目の当たりにして、ナユタは気づく。
「探偵さんは……SAOサバイバーなんですね」
クレーヴェルの真顔がいつもの薄笑いに転じた。
「……君は私より探偵に向いていそうだ。よく気づいたね? 確かに私は、かつてあのゲームに囚われていた」
彼の怒りには、憎悪の対象を明確に知る者ならではの信念が宿っていた。
クレーヴェルはおそらく、茅場晶彦という男を──あるいは、ソードアート・オンラインの中で茅場が扮していたヒースクリフというキャラクターを、個人的に知っている。
──その意味で、茅場という人間を名前だけしか知らないナユタとは少し違っていた。
張りついたような彼の笑顔が初対面から胡散臭く見えた理由についても、彼女はようやく理解する。
彼は笑顔の時も笑ってなどいない。
表情を笑顔と同じ形にしているだけで、そこに宿った感情は明らかに別物だった。
固まっていたコヨミが、ナユタの膝から恐る恐る起きあがった。
「わ、わお……SAOサバイバーの人って初めて見た……」
「人を珍獣みたいに言わないでくれ。世の中に六千人ほどいるわけだから、そう珍しいものでもないだろう」
クレーヴェルがいつもの飄々とした声でからかったが、コヨミは表情を曇らせる。
「そっか……探偵さん、大変だったんだね……胡散臭いとか言ってゴメン。そんな目に遭ったら……そりゃ人間不信にもなるよね……」
「……別に人間不信になったつもりはないんだが……そもそも私は生還できたわけだし、大変だったのは亡くなった人々のほうだよ。私が《幽霊囃子》の中で見た同期の幽霊というのも──アインクラッドで死んだ友人でね」
ナユタの心臓に、ちくりと痛みが走った。
探偵が目を伏せる。
「──ご丁寧に、当時の金属鎧のままで出てきた。違和感もあったが……データとしては存在しないはずの、あの《幽霊》の正体と仕組みを見定めないことには、運営も再配信に動けない。昨日、病院でも話した通り、そこが我々の狙い目だ。探偵としての矜持にかけて──ヤナギ氏からの依頼は、きちんと成功させてみせる」
いつになく真剣な彼の声に、ナユタは力強く頷いた。
再配信には、早くとも一ヶ月程度はかかる。
この一ヶ月とは即ち、クエストの調査と修正のために必要な時間だった。
その〝調査〟を、誰が行うのか──
クレーヴェルは今回、そこに眼をつけた。
配信停止直後から、彼は自らの人脈を駆使して動き回り、調査に携わるテストプレイヤーの派遣元として、《クローバーズ・ネットワークセキュリティ・コーポレーション》を売り込むことに成功したらしい。
詳しい経緯はわからないが、彼には運営側との太いパイプがあるという。
〝そもそも《アスカ・エンパイア》の運営は、我が社にとって大事な取引先の一つだ。これまでに培ってきた信頼と実績もある。それと……ヤナギ氏の存在も利いたな。個人的に親交のある偉い人が結構な浪花節でね。事情を話したら二つ返事で我々をねじ込んでくれた〟
つい昨日、クレーヴェルは詐欺師のように軽やかな口調でそんな説明をした。
見舞いに行く前にあらかたの話をつけておいたらしいが、つまりは亡くなったヤナギの孫の件で事実確認をする前に、推論の段階で運営側と交渉を進めていたことになる。
先方の検証方針が固まる前にいち早く、という焦りもあったのだろうが、その動きの早さにはナユタも舌を巻くばかりだった。
彼の目論見は奏功し、ナユタ達はこれから、クレーヴェルの会社に雇われて《幽霊囃子》の調査を兼ねたテストプレイに挑む。
「……それにしても、よく外部の私達を調査に使う許可がおりましたよね。こういうのって社内だけで検証するものだと思ってました」
ナユタの指摘に探偵が頷いた。
「もちろん《アスカ・エンパイア》の運営側にも検証チームがいる。だが、彼らは基本的に来週以降に配信される新規クエストのチェックで忙しい。こうした突発的なトラブルへの対応までは手が回りにくい。だからトラブル対応班もいるんだが、彼らも常に複数のトラブル処理を抱えていて暇ではないから、なんだかんだで再配信まで時間がかかってしまう。かといって、経費とセキュリティの問題もあるからうっかり外部委託もしにくい。日頃から取引のあるセキュリティ関係会社が〝タダ同然でいいから手伝わせて欲しい〟と土下座して頼めば、こうした案件ならどうにか無理が通るということさ」
「……したの? 土下座?」
コヨミが小声で問うと、クレーヴェルは珍しく苦笑いを見せた。
「行動としてはしていないけれど、気分的にはね。運営側に借りができた。とはいえ、向こうにとっても悪い話じゃない。プレイヤーに何か問題が起きても責任はこちらにあるという契約だし、うまくいけば再配信までの期間を短縮できる。ただ、君達も守秘義務は守ってくれ。これから見聞きするものについては他言無用だ。ナユタに関してはあまり心配していないが、コヨミ……君は口が軽そうだから」
コヨミがぶんむくれて異議を唱える。
「なにおう。確かに軽いけど、本当に言っちゃダメなことは言わないよ? なゆさんの3サイズとか、ブラのカップとか」
「それを言ったらもう膝枕してあげません」
コヨミが即座に口を閉ざした。叱られるとわかっていて口にするあたり、彼女もなかなか懲りない。
ちょうどそこへノックの音が重なる。
「失礼、ヤナギです。予定より早いのですが──」
クレーヴェルが机から立った。
待ち合わせは十三時だが、まだ正午にもなっていない。
「まったく、気の早い方々だ……ヤナギさん、他の二人も何故か来ています。どうぞお入りください」
扉を開けた老僧は、編み笠を小脇に抱え深々と一礼した。