二章 狐の見舞い ⑪

たんていさんの事務所って、《ここ》とおとなりどうなわけですが……たんていさんがした後にかれらが来たんですか? それとも、かれらを追いかけてたんていさんがこの物件を借りたとか?」


 ぐうぜんという可能性はさすがに考えにくい。

 この問いへの答えだいで、かれと運営側の関係、あるいはきよかんを推測することができる。

 クレーヴェルはうすわらいを見せた。


「なかなかみようなところを聞くね。実のところ……ほぼ同時、と言っておこう。私にとってかれらは大事な取引先の一つ。かれらにとって私は便利な使い走りの一人──め私は、とらを借るきつねといったところだ」


 じようだんなのか本気なのか、今一つよくわからないが、深い関係ではあるらしい。

 白い通路はナユタの想定よりも短かった。

 角を曲がってすぐに視界が開け、かのじよはその先の光景にどうもくする。

 目の前には、あやかし横丁にはそぐわない近代的な明るいオフィス空間があった。

 広さは体育館ほどもある。

 ガラス張りのてんじようには真っ青な美しい空が映し出され、その下で働く十人ほどの職員たちみなゆうをもって仕切られた作業スペースで専用のコンソールに向き合っていた。

 しようは様々だが、しのびさむらいそうへい花魁おいらんなど、《アスカ・エンパイア》の仕様に沿ってはいる。そのまま街へ出てもかんはない。

 そしてかれらの他にも、AIで動くボットのねこたちがそこかしこで大量に動き回っていた。

 仕事を手伝っているのかかんしようようなのか、一目見ただけでは判断がつかないが、ざっと見て三十ぴき以上はいる。

 さらにオフィスのすみには、広いたいのような空きスペースがあり、そこにはゲーム内に登場するボスキャラの3Dモデルが立体表示されていた。

 ボスの見た目や動きのチェックを行っているらしく、コマ送りで動いては静止ともどしをかえしている。

 コヨミがあつにとられた様子でナユタのうでつかんだ。


「私、こーいうの見たことある……SF映画に出てくる未来の研究所だ……! で、ゾンビが発生してパニックになるヤツ!」

「印象は近いですけれど……ここの場合は、要するにゲームの開発室でしょうか?」

「いや、開発はしていないよ」


 すぐとなりにいつの間にか、ねこがらな中年男が立っていた。

 かんぬししようぞくをまとってはいるが、丸眼鏡のおくはどうにもねむたげで、神職らしいげんなどはじんもない。

 かれは自然にナユタたちの会話へみ、のんびりと世間話のように話し続ける。


「ここでやってるのは、あくまで各種調査、調整とエラーの検証だけ──あとたまにトラブル対応とかも回ってくるけれど、要するに雑務の処理係だ。メインの開発は別の部署でやっている」


 かんぬしの男はくたびれた声でぼやいた。


「仮想空間だから、せめてオフィスのえだけはと思って立派にしたんだが、実際にはまどぎわ部署でね。特におどろくようなもんはなんもない──や、くれ君。ひさしぶり」


 ねこの中年男が、クレーヴェルに片手をあげてみせた。

 たんていはあくまでゆうに一礼する。


「お世話になります、とらさん。ようつうの具合はいかがですか」


 中年男が老人のように笑った。


「あんまり良くもないねえ。ま、ここじゃ痛みも出ないのはがたい──で、こちらのご老人がうわさのヤナギさんで、おじようさんたちがアルバイトの戦力だね?」


 とらと呼ばれた男が、まじまじとコヨミを見た。


「……くれ君、まずくないか。中学生のバイトは労働基準法に引っかかる」

「……よーし、おっちゃん、いい度胸だ。こうりやくコミュニティにあることないことんでえんじようさせっぞコラ」


 コヨミがにっこりとあい良く微笑ほほえんだ。ナユタの前ではみように子供ぶってあまえるかのじよだが、赤の他人からどもあつかいされると高確率でキレる。

 とらはぶるりとかたふるわせ、白髪しらがまじりの頭をなおに下げた。


「……すまん。うちのむすめと近いとしごろに見えたからつい。あー……開発部システム管理課、《百八のかい》エラー検証室、室長のとらです。あと副業で、ねこがみしんこうの司祭もやっているけれど……ああ、ご苦労さん」


 とらあしもとにとてとてと歩み寄ったとらねこが、何かの書類をかれわたした。


「予定より早いが、何時間かかるかわからん案件だし、おくれるよりはいい。いくつか説明したいこともあるから、さっそく仕事にかかろう。ついてきなさい」

「は。おそります──」


 ヤナギが深々と頭を下げた。

 たちまちとらが苦笑いを見せる。


「あ、いえ、これはどうも……こちらこそきようしゆくです。どうもえらい人へのごあいさつに慣れていないもので、失礼があったらすみません。入社以来、いつかんして技術畑でして」


 年上の経営者相手には、さすがに口調が改まった。

 たんていが小声でフォローをいれる。


とらさんは《アスカ・エンパイア》の……おおにいえば〝守護者〟の一人です。ご本人はまどぎわなどとおつしやいましたが、むしろこの部署はみ寺ですね。各部署で困ったことがあると、ここに泣きつくのが慣例になっているようです」


 とらが鼻で笑った。


いたおべんちゃらはよしなさいって……結局、めんどくさいやつかいごとしつけられるだけの弱い立場なんだから」


 ナユタたちを空きスペースの一角に導きながら、とらは深々とたんそくした。


「まあ……今回の《百八のかい》は、確かに油断できないイベントではあるんだ。ウィルスやバックドアをんだクエストもそこそことう稿こうされてきた。もちろん選考段階ではねたはずなんだが、のがしがあったんじゃないかと、上層部が神経質になるのは仕方ない。ま、すわってください」


 とらに言われるまま、ナユタたちは打ち合わせ用の白いテーブルを囲む。


「実際にのがしがあったということですか? 今回の《ゆうれい》は、そちらにとって想定外なんですよね」

「うん、おじようさんのおつしやる通り。私は選考に関わっていないからくわしいけいは知らないけれど、想定外だったからこんなさわぎになっている。ただ──」


 とらががりがりと頭を引っかいた。


「……どうなのかなぁ。私が言うとまえってやつになるが、うちの選考チームはそこそこゆうしゆうなはずなんだ。クエストの中でプレイヤーの〝おくみ〟なんてやらかしていたら、機械にも人にもそれなりのがかかる。将来的にはともかく、今の技術で可能なのかどうかすらあやしいし、そこまでみような挙動があれば、さすがに気づきそうなものなんだが……」


 そのあいまいな物言いに、クレーヴェルが首をかしげた。


とらさんはまだ、調査を始めていないんですか?」

「無茶言うな。君の裏工作のせいで、今朝、こっちにねじまれたばかりの仕事だぞ? もちろん内容についてはばくぜんあくしているけれど、問題が起きたしよの検証はほとんど手つかずだ」


 とらはわざとらしく指でまゆをつり上げてみせた。ねむたげな顔はそのままで、どうがんってもあまりはくりよくは出ない。

 ヤナギが申し訳なげにこうべを垂れる。


「孫の創作物で、とんだごめいわくをおかけしまして……申し訳ありません」


 祖父として孫の才をほこりたい反面、起きている事態への罪悪感もあるらしい。口数の少なさからその心中をおもんぱかると、ナユタも不用意な言葉をはさみにくい。

 ヤナギの立場のみようさをそれまで失念していたのか、とらあわてて身を乗り出した。


「ああ、いえいえ。お孫さんのせいでは……いや、確かにお孫さんの作品ではありますが、何より気づかなかった我々が悪い。ザ・シードを用いたユーザーとう稿こうのクエストは、かいせきがなかなかやつかいでして……なにせ我々が自分で作ったものではないですから、細部の仕様をあくしにくいんです。現場レベルでは、今回のイベントはもっと準備期間を長くとってしいと要望していたんですが、上層部の事情としてはそうもいかなかったようで……もちろん、こんなのは言い訳にもなりませんが」

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影