「探偵さんの事務所って、《ここ》とお隣同士なわけですが……探偵さんが引っ越した後に彼らが来たんですか? それとも、彼らを追いかけて探偵さんがこの物件を借りたとか?」
偶然という可能性はさすがに考えにくい。
この問いへの答え次第で、彼と運営側の関係、あるいは距離感を推測することができる。
クレーヴェルは薄笑いを見せた。
「なかなか微妙なところを聞くね。実のところ……ほぼ同時、と言っておこう。私にとって彼らは大事な取引先の一つ。彼らにとって私は便利な使い走りの一人──差し詰め私は、虎の威を借る狐といったところだ」
冗談なのか本気なのか、今一つよくわからないが、深い関係ではあるらしい。
白い通路はナユタの想定よりも短かった。
角を曲がってすぐに視界が開け、彼女はその先の光景に瞠目する。
目の前には、あやかし横丁にはそぐわない近代的な明るいオフィス空間があった。
広さは体育館ほどもある。
ガラス張りの天井には真っ青な美しい空が映し出され、その下で働く十人ほどの職員達は皆、余裕をもって仕切られた作業スペースで専用のコンソールに向き合っていた。
衣装は様々だが、忍に侍、僧兵、花魁など、《アスカ・エンパイア》の仕様に沿ってはいる。そのまま街へ出ても違和感はない。
そして彼らの他にも、AIで動くボットの猫達がそこかしこで大量に動き回っていた。
仕事を手伝っているのか観賞用なのか、一目見ただけでは判断がつかないが、ざっと見て三十匹以上はいる。
更にオフィスの四隅には、広い舞台のような空きスペースがあり、そこにはゲーム内に登場するボスキャラの3Dモデルが立体表示されていた。
ボスの見た目や動きのチェックを行っているらしく、コマ送りで動いては静止と巻き戻しを繰り返している。
コヨミが呆気にとられた様子でナユタの腕を摑んだ。
「私、こーいうの見たことある……SF映画に出てくる未来の研究所だ……! で、ゾンビが発生してパニックになるヤツ!」
「印象は近いですけれど……ここの場合は、要するにゲームの開発室でしょうか?」
「いや、開発はしていないよ」
すぐ隣にいつの間にか、猫背の小柄な中年男が立っていた。
神主の装束をまとってはいるが、丸眼鏡の奥の眼はどうにも眠たげで、神職らしい威厳などは微塵もない。
彼は自然にナユタ達の会話へ割り込み、のんびりと世間話のように話し続ける。
「ここでやってるのは、あくまで各種調査、調整とエラーの検証だけ──あとたまにトラブル対応とかも回ってくるけれど、要するに雑務の処理係だ。メインの開発は別の部署でやっている」
神主の男はくたびれた声でぼやいた。
「仮想空間だから、せめてオフィスの見栄えだけはと思って立派にしたんだが、実際には窓際部署でね。特に驚くようなもんはなんもない──や、暮居君。ひさしぶり」
猫背の中年男が、クレーヴェルに片手をあげてみせた。
探偵はあくまで優雅に一礼する。
「お世話になります、虎尾さん。腰痛の具合はいかがですか」
中年男が老人のように笑った。
「あんまり良くもないねえ。ま、ここじゃ痛みも出ないのは有り難い──で、こちらのご老人が噂のヤナギさんで、お嬢さん達がアルバイトの戦力だね?」
虎尾と呼ばれた男が、まじまじとコヨミを見た。
「……暮居君、まずくないか。中学生のバイトは労働基準法に引っかかる」
「……よーし、おっちゃん、いい度胸だ。攻略コミュニティにあることないこと書き込んで炎上させっぞコラ」
コヨミがにっこりと愛想良く微笑んだ。ナユタの前では妙に子供ぶって甘える彼女だが、赤の他人から子供扱いされると高確率でキレる。
虎尾はぶるりと肩を震わせ、白髪まじりの頭を素直に下げた。
「……すまん。うちの娘と近い年頃に見えたからつい。あー……開発部システム管理課、《百八の怪異》エラー検証室、室長の虎尾です。あと副業で、猫神信仰の司祭もやっているけれど……ああ、ご苦労さん」
虎尾の足下にとてとてと歩み寄った虎猫が、何かの書類を彼に手渡した。
「予定より早いが、何時間かかるかわからん案件だし、遅れるよりはいい。いくつか説明したいこともあるから、さっそく仕事にかかろう。ついてきなさい」
「は。恐れ入ります──」
ヤナギが深々と頭を下げた。
たちまち虎尾が苦笑いを見せる。
「あ、いえ、これはどうも……こちらこそ恐縮です。どうも偉い人へのご挨拶に慣れていないもので、失礼があったらすみません。入社以来、一貫して技術畑でして」
年上の経営者相手には、さすがに口調が改まった。
探偵が小声でフォローをいれる。
「虎尾さんは《アスカ・エンパイア》の……大袈裟にいえば〝守護者〟の一人です。ご本人は窓際などと仰いましたが、むしろこの部署は駆け込み寺ですね。各部署で困ったことがあると、ここに泣きつくのが慣例になっているようです」
虎尾が鼻で笑った。
「見え透いたおべんちゃらはよしなさいって……結局、めんどくさい厄介事を押しつけられるだけの弱い立場なんだから」
ナユタ達を空きスペースの一角に導きながら、虎尾は深々と嘆息した。
「まあ……今回の《百八の怪異》は、確かに油断できないイベントではあるんだ。ウィルスやバックドアを仕込んだクエストもそこそこ投稿されてきた。もちろん選考段階ではねたはずなんだが、見逃しがあったんじゃないかと、上層部が神経質になるのは仕方ない。ま、座ってください」
虎尾に言われるまま、ナユタ達は打ち合わせ用の白いテーブルを囲む。
「実際に見逃しがあったということですか? 今回の《幽霊》は、そちらにとって想定外なんですよね」
「うん、お嬢さんの仰る通り。私は選考に関わっていないから詳しい経緯は知らないけれど、想定外だったからこんな騒ぎになっている。ただ──」
虎尾ががりがりと頭を引っかいた。
「……どうなのかなぁ。私が言うと手前味噌って奴になるが、うちの選考チームはそこそこ優秀なはずなんだ。クエストの中でプレイヤーの〝記憶の読み込み〟なんてやらかしていたら、機械にも人にもそれなりの負荷がかかる。将来的にはともかく、今の技術で可能なのかどうかすら怪しいし、そこまで妙な挙動があれば、さすがに気づきそうなものなんだが……」
その曖昧な物言いに、クレーヴェルが首を傾げた。
「虎尾さんはまだ、調査を始めていないんですか?」
「無茶言うな。君の裏工作のせいで、今朝、こっちにねじ込まれたばかりの仕事だぞ? もちろん内容については漠然と把握しているけれど、問題が起きた箇所の検証はほとんど手つかずだ」
虎尾はわざとらしく指で眉をつり上げてみせた。眠たげな顔はそのままで、どう頑張ってもあまり迫力は出ない。
ヤナギが申し訳なげに頭を垂れる。
「孫の創作物で、とんだご迷惑をおかけしまして……申し訳ありません」
祖父として孫の才を誇りたい反面、起きている事態への罪悪感もあるらしい。口数の少なさからその心中を慮ると、ナユタも不用意な言葉を挟みにくい。
ヤナギの立場の微妙さをそれまで失念していたのか、虎尾が慌てて身を乗り出した。
「ああ、いえいえ。お孫さんのせいでは……いや、確かにお孫さんの作品ではありますが、何より気づかなかった我々が悪い。ザ・シードを用いたユーザー投稿のクエストは、解析がなかなか厄介でして……なにせ我々が自分で作ったものではないですから、細部の仕様を把握しにくいんです。現場レベルでは、今回のイベントはもっと準備期間を長くとって欲しいと要望していたんですが、上層部の事情としてはそうもいかなかったようで……もちろん、こんなのは言い訳にもなりませんが」