淡々と話しながら、虎尾は困ったように肩をすくめた。
クレーヴェルがその後を引き継ぐ。
「実際のところ、VRMMOの制作ツールである《ザ・シード》自体がブラックボックスみたいなものです。素人にも扱える程の使いやすいツールでありながら、未だに底が見えない──私も少し使ってみましたが、未来から来たプログラムに触れているような違和感がありました。あのツールで作られたクエストに対して、今の技術力で、短期間での完全な解析を求めるのは酷だと思います」
このフォローに、虎尾が泣き笑いに近い笑みを漏らした。
「ははっ……商売柄、そうもいってられないんだけれどねえ……そういうわけで、不甲斐ない我々に代わり、君らに今回の検証の初手を打ってもらうことになる。注意事項をいくつか説明しておこう」
虎尾が書類に視線を落とした。
「まず、君らがこれから向かう《幽霊囃子》のクエストは、通常の《アスカ・エンパイア》からは隔離されたテストプレイ用のサーバー内にある。従って街への転送は使えない。HPが0になった場合はこのオフィスへ戻ってくるし、デスペナルティも発生しない。それから仕様の都合上、プレイヤーデータもコピーしたものを使ってもらう。データの変化は向こうとこっちで相互に反映されないから、その点は先に同意してくれ」
コヨミがきょとんとして首を傾げた。
「意味わかんない……もっとやさしく。小学生にもわかるレベルで」
子供扱いは鬼門だが、彼女に対する気遣いとしてはそれに近いものが求められる。
虎尾が眉間を押さえた。
「……よし。要点だけ言おう。テストプレイはコピーしたプレイヤーデータで行う。つまり、道中で手に入ったアイテムや経験値は、今の君達のデータには反映されない。クリア報酬も持ち帰れない。あくまで〝プレイできる〟だけだ」
ナユタは頷いた。テストプレイである以上、この展開は想定済みである。
「その代わり、向こうで使った消費アイテムもなくならない。いや、一時的にはなくなるけれど、こちらに戻ってきた時点で道具袋の中身も今と同じ状態に戻る。つまり何も失わず、何も得られない──これで理解できたかな?」
コヨミもやっと頷いた。
「あー……今回はヤナギさんがゲームをプレイできればいいわけだし、そこらへんは別にどーでも。つか、普段は貴重な消耗品も気楽に使い放題……? あれっ? むしろおいしくない!?」
クレーヴェルが微笑んだ。
「その前向きな考え方は素晴らしい。確かにアイテムを惜しみなく使える分、通常より攻略難度は下がるだろうね。それと虎尾さん、ヤナギさんの件は……」
「ああ、そっちは問題ない。ご希望通りに調整できる」
ヤナギが不思議そうに首をひねった。
「はて、私が何か……?」
クレーヴェルが控えめに頷いた。
「はい。さすがにレベル1のままでのクリアは無理がありまして……時間さえあれば、最低限のレベリングのために経験値効率のいい別のクエストを消化していただくのですが、今回はあくまで〝業務としてのテストプレイ〟です。そこで、見た目は同じながら、最低限のバランス調整をした別のキャラクターデータをこちらで用意しました。わかりやすくいえば──〝とりあえず、一撃でリタイアにはならない〟ということです」
虎尾が横から補足を加える。
「もちろんテスト用なら、敵の攻撃を一切受け付けない設定にもできるんですが……そうなると、ゲームというより単なる作業ですからな。お孫さんもそんな遊び方は望まれていないでしょうし、ひとまずご同行のお嬢さん方より少し下のレベルに調整しておきました」
ヤナギが眼を伏せ、二人に向けて深々と頭を垂れた。
「それはそれは……お心遣い、たいへん痛み入ります。足手まといの身ではありますが、何卒よしなに──」
虎尾が慌ててヤナギの頭を起こさせた。
「いやいや、レベル1での攻略といったあまりに偏った条件設定は、テストプレイとしても不適当なもので──これはこちらの都合でもあるのです。どうかご理解ください」
探偵と虎尾の心遣いに、ナユタも安堵する。ヤナギに一撃死の心配がなくなれば、ナユタとコヨミも彼の防御を気にせずに動ける。戦闘はかなり楽になるはずだった。
そして虎尾は、ある意味でさらに偏った悪例となるクレーヴェルへ向き直った。
「……で、レベルが高い癖になぜか似たような問題を抱えている君のほうは……」
「ああ、私は現状維持で。特に問題ありません」
「……だろうと思ったから、特に指示はしていないよ」
虎尾もさすがに呆れた様子だった。
初心者のヤナギと違い、こちらは自業自得だけに安心して見捨てられるものの、ナユタとしては少しばかり疑問も残る。
「いいんですか? 探偵さんのステータスこそ、テストプレイには向かない偏り方だと思いますが──」
虎尾が肩をすくめる。
「一応、〝運が高い場合の検証例〟にはなるからね……レベル1のヤナギさんの場合、検証するまでもなくリタイアの連続でまったく先に進めないとわかるが、この探偵氏はなんだかんだで切り抜けそうな気もする。まあ、ダメな時はダメなんだが……ダメならダメで、後でからかうネタになるから」
この神主も、どこまで本気かわからない類の人種らしい。
もっとも、今回の攻略において探偵は不在でも特に問題ない。目的はあくまで、ヤナギにこのクエストを体感させることである。
虎尾の足下に歩み寄った虎猫が、くいくいと袴を引っ張った。
手渡されたメモに眼を通し、彼は無精髭の生えた顎を撫で回す。
「よし。テストフィールドの準備ができたようだ。そろそろ出発の準備をしてもらおう」
虎尾が中空に表示させたコンソールを操作すると、テーブルの傍に赤い鳥居を模した転送ゲートが浮かび上がった。
「イベントフラグは君達のデータをそのまま引き継いである。城は既に出現しているから、祠への供え物も必要ない。が──城内で強制的に分散させられる点は、おそらく変わらないだろう。合流に必要なアイテムを入手した者同士に限り、内部で合流できる仕様らしい。ナユタ嬢は既にそれを所持しているが、他の面々はリタイアしたから、まだ入手していないな」
ナユタはメニューウィンドウから所持アイテムを確認した。
一昨日の突入時に入手したアイテムはいくつもある。その中で、仲間との合流に関係がありそうな未知のアイテムは三つに絞られた。
「《張り子の猫》、《春霞の横笛》、《繰り言の石》──どれのことでしょうか?」
虎尾が目を細めた。
「ああ、〝横笛〟だねえ。《幽霊囃子》にちなんで、合流用のアイテムは楽器になっている。お嬢さんが横笛を入手したなら、他の面々は小鼓、太鼓、琴、篳篥、吹くほうの笙、叩くほうの鉦、三味線、その他諸々のうち、なんらかの楽器を見つけないといけない。これらの楽器類は、基本的に探索で葛籠などから入手することになる。敵を倒す必要はないから、暮居君でもなんとかなるだろう」
不意にコヨミの眼が泳いだ。
「幽霊囃子……楽器……なんかこう……うっかり呪いの楽器を装備しちゃって、自分も幽霊囃子の一員として取り込まれる、的なバッドエンドが浮かんじゃったんだけど……?」
虎尾が肩をすくめた。
「むしろ逆かな。それらの楽器は、あの村に奉納されていた神聖な祭具なんだ。とある化け物がこの祭具を奪い、その力で村人達の魂を支配し、自らの囃子方に変えてしまった。楽器を取り戻し、妖の城に巣くう化け物を退治するのが君達の役目──なんだが、暮居君があっさりとクエストを発動させたせいで、君らはいくつかのプロローグイベントを飛ばしている。寺の本堂や庄屋の屋敷に、クエスト発動のヒントに加えて、あの村の悲劇を記した日誌があったはずなんだが……」
ナユタは思わず呻いた。探偵も何食わぬ顔で視線を逸らす。