三章 幽霊囃子 ①

 びようしようの少年にとって、祖父から買ってもらったパソコンは新しい世界へとつながる窓だった。

 それまでほぼ病室の中だけで閉じていた彼の世界は、開いた窓を通じて、より大きな世界との接点を得た。

 窓の向こう側には顔の見えない大勢の人間がいた。

 手をばそうとしても届かず、自らの足で窓の外へ出ることもかなわなかったが、外の世界をただながめられるだけでも、少年にとっては大きな変化だった。


 そして、数年後──

 とうとつに起きたVR技術のやくてきな進化が、少年の〝窓〟を〝とびら〟に変えた。

 かつぼうしても届かないと思っていた世界が、五感をともなってかれの前にひらけた。

 それまで視覚とちようかくでのにんしきしかできなかった仮想空間が、脳へのじやく電流という形できゆうかくしよつかくと味覚をともないはじめ、を存分に動かす感覚さえも得られるようになった。

 そしてかれは──

 同じきようぐうにいる、《仲間たち》と出会った。





 祭りばやが遠くに聞こえる。

 笛がかんだかく、つづみけいみように、ことみやびやかに、音をつなげてかれさわいでいる。

 いちは夢よただくるえとでも言わんばかりに、やけくそのような勢いで、さびしげにはやてている。

 音の出所はもう知れている。

 はやかたの姿は見えずとも──かれらのたましいは今、目の前にあるきよだいな城にとらわれていた。

 少なくともシナリオの上ではになっているらしい。

 城の真正面に立ついくさ巫女みこのナユタは、こしにしがみついた小動物のような相棒へこんわくの視線を送った。


「……コヨミさん、だいじようですか? ひざはガクガク、顔は真っ青、目線はうつろで、たぶん本体はあせもかいていそうですけれど──」


 しのびのコヨミはふるえ声で応じる。


「……だいじようじゃない……あのおっさん、何もとつにゆうまえに、あんなこわいネタぶっこまなくてもいいじゃん……知らなくても知ってるふりして〝あー、あのきつねめんの子ね! わかるわかる〟的なづかいをすべきでしょ、いい大人なら……!」


 八つ当たり気味にそんな無茶まで言う。きようふるえるかのじよの姿は、見た目の幼さもえいきようしてそこそこ痛ましい。

 このテストプレイの開始直前、検証の責任者たるとらは、ナユタたち一行にこう告げた。


『この《ゆうれいばや》に、プレイヤーの道案内をするようなNPCは登場しない』──


 ──では、ナユタたちが最初にとつにゆうした時、それをむかえるように現れた《きつねめんわらべ》はなんだったのか。

 こわがりのコヨミは、すっかりこれがかいだんばなしたぐいだとおもんでしまっている。

 テストプレイなどあきらめて外部で待っていれば良さそうなものだが、それでもあえてとつにゆうしてきた勇気についてはめてやりたい。

 きつねがおたんてい、クレーヴェルがあきれたようにたんそくした。


「そこまでこわがるようなことかな……? 運営側があの〝きつねめんの子供〟をにんしきしていないのは意外だったが、〝だからゆうれいだ〟と決めつけるのはあまりに早計だ。常識的に考えれば、我々は運営も知らない《かくしキャラ》に出会ったと見るのがとうだろう。細部の仕様がわからないとう稿こう作品では有り得る話だ」


 コヨミが子犬のようにうなる。


「うう……へ、下手な気休めはよしてっ! なゆさんが〝まーたたんていさんがうそはつぴやく並べてる……〟ってあきれた顔してるもんっ!」


 これは完全に誤解で、むしろ今はコヨミにあきれている。

 かのじよの頭をどもあつかいにでつつ、ナユタは努めてやさしい声をつむいだ。


「そんな顔していません。私の意見もたんていさんとほぼ同じです。かくしキャラとのそうぐう条件はわかりませんが、低確率でのぐうぜんか、あるいはたんていさんのに高い幸運値がえいきようしたのか──もしくは出現の条件を知らないうちに満たしていたのかもしれませんが、いずれにせよ、単なる運営側の見落としだと思います」


 この点、ナユタの感覚はあくまで常識的かつ理性的だった。むしろ本物のゆうれいだったほうが話題性の面ではおもしろいかもしれないが、その確率はあまりに低い。

 たんていがステッキのせんたんで地面を軽くいた。


「もう少しくわしい推論を述べれば──かれは単なるNPCではなく、独立したAIのたぐいかもしれない。つまり運営側から身をかくし、自分が会いたいと思ったプレイヤーの前にだけ姿を見せる、そういった判断能力を持つ人工知能という線だ。これが一番、有り得そうなけだと私は考えている」


 コヨミがさんくさげにたんていを見上げた。


「……ほんとに? うそついてない……? 家に帰って鏡を見たらあの子が後ろに立ってたりしない……?」

「……君、そもそも《百八のかい》に向いてないんじゃないか? いや、逆に向きすぎているのかもしれないが……」


 お化けしきをここまでなおこわがれるのは、ある意味でうらやましい。運営側の期待以上にイベントを楽しんでいるしようともいえる。

 ヤナギまでもが心配そうに声をした。


「あの、コヨミさん……孫のきよふみは、心のやさしい子でして──人様にごめいわくをおかけするような性格ではありませんでしたし、ましてや女性のお部屋へ勝手についていくような不作法な真似まねは決してしないものと思いますので──」


 ──このクエスト内にもし本物の《ゆうれい》が存在するとすれば、その一番の候補は制作者たる故人、なぎきよふみだった。

 真面目まじめながらもどこかずれたこの説得に、コヨミがぐっと言葉にまる。


「…………そ、そういう返しは予想外……っ……しんしやあつかいしてごめんなさい……」


 頭を下げつつも、かのじよはナユタのこしからはなれない。

 一連の会話をきっかけに、クレーヴェルが聞きにくい部分へとれる。


「ヤナギさん。こんなことをうかがうのは失礼かもしれませんが……貴方あなたは、我々が出会ったあのきつねめんの少年を、お孫さんのゆうれいだと思いますか?」


 ヤナギは答えるまでにすうしゆんの間をおいた。


「……ちがうとは、思っております。ただ、〝もしかしたら〟という思いがまったくないかと問われると……いずれにしても、このクエストそのものもふくめて、きよふみが〝さいのこしたもの〟であることは事実です。たとえゆうれいではないにせよ、あの子の分身というか、ゆいごんというか……何か、特別な意味のある存在だろうとは思っております」


 言葉と理性ではそう言いつつ、かれが割り切れない感情をかかえていることは容易に察せられた。

 死んだ孫のゆうれいなど、どう転んでも聞こえのいい話にはならない。にせものであればむなしいだけだし、万が一、本物であればじようぶつできずにさまよっているという話になる。


「それにきよふみは、十代半ばでくなりましたので……あのきつねめんわらべは確かに幼いころきよふみにそっくりなのですが、まだ七、八さいに見えます。おそらくは……きよふみが、自分の幼いころをモデルにして作った存在なのではと」


 たんていしんみよううなずいた。


「……ええ。そのかいしやくで、ほぼちがいないと思います」


 残念ながら、と付け加えそうに聞こえたのは、ナユタの勝手な思いこみである。

 一行は城の入り口に足を向ける。

 短めの石段の中央には、城が現れるきっかけとなった小さなほこらもれていた。

 まつられたわらべの石像は不気味なほどに無表情で、見方によってはゆうれいよりも気味が悪い。

 ほこらわきを通り過ぎて、一行はようめいもんを模したきよだいな入り口の真正面に立つ。

 おくしつこくやみだが、めば強制的に城の何処どこかへそれぞれ転送されるはずだった。

 仮に前回のとつにゆうと同じならば、ナユタは城の地下通路に、コヨミは半魚人の住むてんに、ヤナギは無限の大広間に、そしてたんていクレーヴェルは最上部の天守閣に出ることになる。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影