その先で手に入る合流用のキーアイテム〝楽器〟を、ナユタ以外の三人はまだ入手していない。
まずは楽器の探索、しかる後に合流、そしてボスの討伐──可能ならば、今日一日ですべてを済ませたい。
「コヨミさん、覚悟は決まりましたか」
一行の中で唯一、覚悟が決まっていなさそうな彼女に、ナユタは優しく問いかけた。
コヨミはようやくナユタの腰から手を外し、小刻みに震えながら頷く。
「だ、大丈夫……だと思う……たぶん……なゆさん、後で合流できたら、めちゃくちゃ褒めて甘やかしてね? それくらいのご褒美ないと心が折れそうっ……」
「はあ……じゃ、行きますね」
言質を与えないまま誤魔化して、ナユタは一足先に暗闇の向こうへ踏み込んだ。
躊躇のない足取りに置いて行かれまいと、コヨミが慌てて追いすがる。
クレーヴェルとヤナギも二人の後へと続き──
そして四人は闇の中、城内の各所へ散り散りに飛ばされた。
幼い孫から「人生の意味」を聞かれた時、ヤナギはまともに答えられなかった。
いわゆる教科書的な答えならばいくつかある。
それを探すのが人生だ、とか、よく遊びよく学ぶことだとか、あるいは家族と過ごしたり子孫を残したりといった、生物的な喜びについて説明することも可能ではあった。
そもそも相手は子供である。本来なら未来への希望を語るだけで、「生きる意味」などいくらでも見つけられる。
しかしヤナギは──答えられなかった。
言葉に詰まり、首を傾げ、「爺ちゃんにもよくわからん」と穏やかに笑うのが精一杯だった。
孫の清文は、自身が成人まで生きられないことを知っていた。
病院からほとんど出られず、学校にも通えず、友人とも遊べない──そんな自分の人生に一体どれほどの意味があるのか、彼は幼い頃から常に自問していた。
清文が死んだ今も──
ヤナギは、孫の問いにどう答えるべきだったのかわからずにいる。
孫の死からさほど日々をおかずに自分の死期も見えてきたが、存分に生きて老衰で死ぬヤナギと、成人すら迎えられなかった孫とでは、そもそもの境遇が違いすぎた。
(私は、清文に……何もしてやれなかった)
そんな後悔を抱えて、ヤナギは今、偽物の肉体でこの場に立っている。
ヤナギの視界には、土曜日に訪れた時と同じ柱のない大広間が映っていた。
床は畳、天井は板張りで、光源もないくせに何故かはっきりと見えている。
まるで合わせ鏡のように延々と続くこの大広間について、ヤナギは探偵から推論交じりのレクチャーを受けていた。
〝ループしている空間から抜け出す方法については、いくつかのセオリーがあります。何らかのヒント、隠しスイッチ等を見つける、特殊なアイテムを使う、あるいはその空間を支配する敵を倒す……一定時間の経過を待ったり、歩いた距離で判定するという例もありますが、先日の祠の仕掛けを見る限り、お孫さんはきちんとヒントを出すフェアな開発者のようです。逆にいえば、偶然に解けるような仕掛けは作らないでしょうから、転送後はいきなり歩き出さずに周囲をよく観察してみてください〟
助言を思い出しながら、ヤナギはあたりを見回した。
この空間には柱も壁もない。あるのは天井と畳ばかりである。
もしも隠し扉やスイッチがあるとしたら、手の届かない天井か、足下に連なる畳のいずれかしかない。
(前回は、適当に歩き回っているうちに落とし穴へ落ちてしまいましたが……)
本来は即死するような罠ではなかったが、レベル1のヤナギはそもそもHPが低く、あっさりと退場に追い込まれた。
テストプレイとなる今回はレベル調整を受けているが、それでも無闇に歩き回るのは得策といえない。
(さて、畳には特に異状なし──天井は、と……)
頭上をじっと見上げたヤナギは、天井板の木目が奇妙に歪んでいることに気づいた。
──昔、清文が言っていたことをふと思い出す。
病状が深刻でない頃、旅先の旅館で、幼い清文は天井の木目が人の顔に見えると言い出した。
子供にはよくあることで、両親はおもしろがって幽霊だお化けだと脅かしたが、ヤナギはそれとは別の「清文が求めている答え」を知っていた。
仕事で忙しく、あまり子供に構えなかった両親より、隠居の身で常に孫と接してきたヤナギのほうが、彼の性格をよく把握していた。
清文は合理的な子供だった。
彼は幽霊を怖がったのではなく、〝どうして木目が人の顔に見えるのか〟、その理由を知りたがっていた。
だからヤナギは、清文が知りたいことを、穏やかに丁寧に説明した。
木目は木の生長によってできること。
人や獣の大半は、両目と口の位置が逆三角形に配置されていること。
そのせいで、逆三角形に並ぶ〝三つの点〟を見ると、人はそこについ〝顔〟を連想してしまうこと。
これはシミュラクラ現象と呼ばれ、昔は壁の染みや木の葉の影などを心霊写真と誤認する例も多かったこと。
そうした知識を吸収する時の清文は、いつもきらきらと眼を輝かせていた。
ふと脳裏をよぎったそんな思い出は、今の状況と無関係ではない。
(……板張りの天井……木目……)
見上げた天井板の木目は、明らかに不自然な歪み方をしていた。
ただしそこに浮いた模様は、人の顔などではない。
三角形に近いが、鋭角で、なおかつ尻尾のように線が生えている。
(……矢印?)
方向は、ヤナギの後ろを示していた。
振り返ったヤナギは、天井板の示す矢印が連続していることに気づく。
ゲームに不慣れな彼でも、それが道案内の標識代わりであることはすぐに理解できた。
おそらくは天井板の木目が作るこの矢印が、この無限に続く大広間からの脱出路を示している。仕掛けがわかってしまえばなんのことはない、ごく単純な謎だった。
ヤナギは苦笑いを浮かべ、矢印に従い歩き出す。
狐面の童はまだ出てこない。
探偵が予測したように、もしも運営の目から逃れる仕様のAIだとすれば、今回のテストプレイで遭遇する機会はないのかもしれない。
一方で、ヤナギはその見解に疑問を持ってもいる。
(あの清文が、そんなものを作るだろうか……?)
アスカ・エンパイアというゲームを愛し、敬意すら持っていた清文が、わざわざ運営を出し抜く目的で仕掛けを施すとはどうしても思えない。
狐面の童には、おそらく特殊な出現条件がある。
運営側が気づかず、清文にも隠す意図はなく、しかしヤナギ達が知らず知らずのうちに達成してしまった《出現条件》──
矢印に導かれながら、ヤナギは老いた頭で思案を巡らせた。
(祠に代替物の供え物をしたこと……は、違う。あれは運営側も承知している流れのはず。私や探偵殿だけがした〝何か〟……クレーヴェル殿の異常に高い幸運値……いや、しかし、それなら運営側も気づきそうなもの。もっと特別な……)
──《特別》なこと。
あるにはある。
むしろ自分程度の頭では、それしか思いつかない。
代わり映えしない大広間の先に向けて、ヤナギは声を投げた。
「……清文、まさか……〝私〟が来るのを、待っていてくれたのか……?」
──自分達だけに備わっていた特別な要素。
清文の〝祖父〟たるヤナギが、パーティーメンバーにいること。
もしもこれが出現の条件だったとすれば、運営側が把握できないのも当然で、なおかつ他のプレイヤーが偶発的に出会う可能性もほぼない。
ヤナギの視界で、何もない空間がふと煙のように歪んだ。
他のメンバーに先駆けて、ナユタは城そのものの探索をはじめていた。
彼女だけは、既に合流用のアイテムとなる楽器、《春霞の横笛》を獲得している。
試しに吹いてみると、素人の彼女でも軽妙な音を奏でられたが、指使いがわからないため曲にはならない。
練習すれば本物の楽器としても使えそうだが、特にそういった趣味もないため、クエスト後の扱いには迷いそうだった。