左右を石垣に阻まれた広い地下通路は、少しだけ肌寒い。
高い位置に灯台が連なっており、明かりは用意されているものの、それでも前方は暗く闇に閉ざされている。天井に至っては高すぎて見えない。
見渡せる範囲は、距離にして三十メートルほど──
それだけ距離があれば、敵の奇襲にも概ね対応できる。先が見えないことへの恐怖などは今更で、ナユタはそうしたことをあまり気にしない。
ここは所詮、ゲームの中である。
──現実のほうが、彼女にとってはよほど恐ろしい。
擦れるような草履の足音を立てながら、ナユタは悠々と前へ進む。
石畳が敷かれた広い通路の先から、がちゃがちゃと金属質な音が響き始めた。
(《骸骨武者》……? 数は五体以上、十体未満──)
防具が立てる音に特徴があるため、察知しやすい敵ではある。個体の強さはさほどでもないが、各種の武器を使い分けつつ連携攻撃を仕掛けてくるため、数が揃うと少々厄介だった。
ナユタは眼を伏せ、一度だけ深呼吸をする。
やがて暗闇からにじみ出てきたのは、薄汚れた兜と具足を身につけた白骨死体の一団だった。
しゃれこうべの口が、獲物を見つけた喜びにカタカタと音を鳴らす。
彼らが態勢を整える前に、ナユタは駆けだしていた。
籠手に覆われた拳を握り込み、気合い一閃──先頭にいた骸骨武者の顔面へ、無言の拳撃を叩き込む。
戦巫女の巫力をまとった重い一撃は、哀れな亡者の頭を兜ごとはね飛ばした。
転がった頭を探し求めて動く胴体へ、すかさず追撃の左拳を添える。
殴りつける動きではない。拳を添えて、その後に退魔の波動を打ち込む接近戦用スキル──《祓打ち》と呼ばれている。
格闘タイプのプレイヤーにとっては手軽かつ有用な対霊スキルであり、拳に限らず蹴りや頭突き等、四肢の届く範囲で応用も利く。
ダメージによる防御不能状態から更にこの追撃を受けた骸骨武者は、砂が風に散るようにさらさらと鎧ごと崩れ去った。
(まずは一体──)
問題集の設問を解くように淡々と、ナユタは次の敵を見定める。
正面から三体──一体ずつ対処しようとすると、側面を狙われる。
重点的に強化した跳躍力を生かし、彼女はふわりと跳び上がった。
真白い袖が羽のようにひらめき、紅い袴が風に膨らむ。
その細い脚で骸骨武者の兜を蹴りつけ、踏み台にしてもう一段、高く鮮やかに跳ぶ。
跳躍力を強化する《八艘飛び》は初歩的なスキルだが、その進化系となる《無双飛び》では、蹴り脚に攻撃判定が生まれる。
たいして威力はないが、骸骨武者のように二足歩行で転びやすい相手の場合、そのまま転倒に成功することもある。
今がまさにそれで、ナユタに頭を踏みつけられた一体は、そのまま無様に顔面を床に打ち付けた。
こうなると、見た目の不気味さすらどこかユーモラスに感じられてしまう。
ナユタは他の骸骨武者達の頭上を跳び越え、彼らの背後に音もなく着地した。
その身はまさしく羽のように軽い。現実の世界では有り得ない動きが、この空間では当たり前に体感できる。
すべてを忘れて、ただ踊るように──くるりくるりと、自身の体を器用に回す。
どこからともなく聞こえてきた祭り囃子に身を任せ、彼女は骸骨武者の太刀を華麗にかわし、カウンターの一撃を加えていった。
振り下ろされた刃の背を踏みつけ、そのまま跳ねて顎先に膝をぶち込む。
突きこまれた槍の穂先をかわし、側面をくるくると回って距離を詰め、遠心力で勢いをつけた裏拳を叩き込む。
放たれる寸前に弓矢の弦を手裏剣で切り、武器を失いまごつく相手の胴を容赦なく蹴り飛ばす。
たった一人の娘を前に、骸骨武者の一団はあっという間に数を減らしていった。
最後に残った一体が、もはや悲壮感すら醸しながら六角棒を振り回す。
風圧と共に振り回されたこの棒を足場にし、ナユタは彼の頭上に跳びあがった。
下りた先は骸骨武者の背後である。
しゃれこうべの耳元へ、そっと一息──
「──ご冥福を」
声音は甘く、打撃は鋭く。
わずかな残響と淡い光芒を残し、骸骨武者はその場に消失した。
周囲にもう敵の気配がないことを確認して、ナユタは姿勢を正す。
さして乱れてもいない息を整え、いつの間にか聞こえてきた祭り囃子の音色に耳を澄ます。
音の方向を探ろうとしたが、通路の壁に反響してしまい出所が摑めない。
(設定では確か──魔物が自分の囃子方を作るために、村人の魂を束縛していて、呪いを解くためには村を守っていた祭具の楽器が必要で……)
虎尾の説明によれば、クエスト内では楽器を集めたメンバーとしか合流できない仕様らしい。
ナユタは前回、既にそれを得ていたが、他の面々はまだこれからである。さすがにしばらくは誰とも合流できる気がしない。
雑魚と戦って暇を潰すか、宝物でも探すか、あるいはどこかで休憩をとるか──
休憩をとるにしても、こんな殺風景な石造りの通路ではなく、もう少しくつろげる場所へ出たい。
方針を決めて歩き出したナユタは、背後にふと人の気配を感じた。
(まだ敵が──!)
咄嗟に前へ跳んで距離をとりつつ、ナユタは振り返る。
しかし彼女の眼前に立っていたのは、敵でも仲間でもなく、それでいて見知った存在だった。
絣の着物を身にまとい、狐の面をつけた幼い童──
時代劇の子役のような風体だが、中身はもちろん人間ではない。
「……また会ったね。ええと……清文君?」
狐の面越しにナユタを見上げ、彼は質問には答えず、抑揚のない声で別のことを言った。
「──お姉ちゃん、強いね。今の骸骨武者って、あんな簡単に倒せる敵じゃないはずだったんだけど」
人工知能らしからぬ拗ねたような物言いに、ナユタはつい微笑んだ。
「見た目ほど簡単に倒せたわけじゃないよ。私は素早さ重視で防御が弱いから、速攻で倒す癖がついていて──一撃でもまともに食らったら、逃げるつもりだったもの」
相手が明らかに年下だけに、ナユタも自然と子供相手の口調となった。
──《彼》は人工知能であって、間違っても幽霊などではない。コヨミと違い、ナユタはそう弁えている。
ここ十数年で、人工知能は爆発的な進化を見せた。いまや仮想空間においては人間と見分けがつかないレベルの個体も存在している。
その研究と開発は営利企業を中心に様々な場所で進められ、結果として、人工知能のコピーは素人同然のクリエイターにも容易に入手できるようになった。
最新鋭の──となるとさすがに難しいが、ゲーム制作に使う程度の、老若男女それぞれの類型的なデータなどは、有料無料含めてネットの世界に数多く転がっている。