このクエストの制作者、矢凪清文も、おそらくそうしたデータを流用して、自分の分身となる《狐面の童》を作ったのだろう。人格のベースとなるデータさえあれば、細かい台詞などは後から如何様にも追加できる。
狐面の童がじっとナユタを見上げた。
ナユタも彼をじっと見下ろす。
面に阻まれて視線はあわないが、観察されていることは理解できた。
「清文君──で、いいんだよね?」
確認のため、ナユタはもう一度問う。
童が首を横に振った。
「清文は死んじゃったよ。僕は、清文の意志で生み出されたただの人工知能──だから、別の名前を貰ったんだ」
(……あれ? 認めちゃった……?)
ゲームの雰囲気作りのために、噓をつくか誤魔化すものとばかり思っていた。
だが彼は素直に自分の正体を明かし、ナユタの袖を引く。
「清文のことを知っている人には噓をついてもしょうがないから。あと、お姉ちゃん、こんなに近づいても全然怖がってないみたいだし」
「……すみません。私、人より鈍感というか、そういう感覚に疎いみたいで」
何故だか申し訳なくなって、ナユタはつい頭を下げてしまった。
「ええと……清文君じゃなくて、別の名前を貰ったってことは……貴方の名前は?」
「〝クロービス〟っていうんだ。格好いいでしょ?」
ナユタは一瞬、言葉に詰まる。
以前ならば
「格好いい」と素直に応じられたが、語感が近いせいで件の探偵の胡散臭い笑顔が脳裏をかすめてしまい、ちょっとした間が生まれた。
しかも狐顔という共通点まである。
「……なんというか……和風な姿なのに、ずいぶんと洋風な名前ですね?」
心中複雑なナユタに向けて、童は得意げに胸を張った。
「清文のプレイヤーとしての名前なんだ。昔のゲームに出てきた、竜退治の勇者にあやかったんだって。僕はその名前を貰って──清文と一緒に、このゲームを作ったんだ」
ナユタは戸惑った。
「ゲームを……作った? 貴方が?」
「もちろん、大事なところは全部、清文がやったけど……清文が僕に指示を出して、マップや仕掛けを設定したり──楽しかったなあ。清文が死んじゃうまで、僕はずっと一緒にいたんだよ」
狐面の童が、面の向こうで寂しげに笑った。
ナユタは絶句してしまう。
(この子が……一緒に作った? このクエストを……? つまり……共同制作者ってこと……?)
驚くと同時に、その可能性をすっかり失念していた自分に愕然とした。
考えてみれば、人工知能のそもそもの役割は人間の補佐である。
人の代わりに機械を制御し、人の代わりに情報を分析し、人の代わりに〝人の役割〟をこなす──この狐面の童は、清文にとって頼りになる相棒だったのだろう。
ただ、一般で手に入るレベルの人工知能をそこまで使いこなすのには、使用者側の知識や調整技術が不可欠であり、口で言うほど容易いことではない。
むしろ──〝クエストの制作〟そのものよりも、難度が高い試みにさえ思える。
(もしかして、矢凪清文の本当の目的は……このクエストの制作じゃなくて、その制作作業を通じて、この《人工知能》を育成すること……?)
可能性は低いが、クエストはあくまで人工知能〝クロービス〟を隠すためのカモフラージュということにもなりかねない。
ナユタは疑念をそのまま口にした。
「君は……何か目的があって、ここにいるの?」
たちまち童が不思議そうに首を傾げる。
「お姉ちゃんは、何か目的があって生きているの?」
「え……?」
問い返されたナユタは反応に困った。
質問に質問で返すのは、人工知能の動作機序として少々珍しい。あらかじめこうした質問が来ることを想定し、対応する答えを清文がインプットしておいたのだろうが、それはそれで思考を見透かされたような不思議な感覚があった。
クロービスと名乗る人工知能は、ゆっくりと言葉を重ねる。
「──目的がないと、ここにいちゃいけないの?」
「そんな……ことは……」
しばらく迷った末、ナユタはしゃがみこんで、目線の高さを彼にあわせた。
「……そうだね。目的なんか、なくてもいい。そのうち見つかるかもしれないし、いつか自分で決めることだってできるから……ただ、一つだけ聞かせて。貴方はもしかして……《清文君》から、何か大事なことを頼まれたんじゃない?」
童が狐面の向こうでくすりと嗤った。
「うん。頼み事はあったよ。でも……清文はその直後に、僕を約束事なんかで縛りたくないとも言ったんだ。約束のことなんか気にせず、自由に、好きなように行動していいって──だから、まだ教えてあげない」
童が一歩、ふわりと大きく跳び退いた。
石の壁にずるりと半身が埋まり、彼は幽霊のように壁の向こう側へと沈んでいく。
「あっ! 待って!」
「……また後でね、お姉ちゃん。もっとも──クリアできなかったら、もう会えないだろうけど」
童はあっという間に壁の奥へと消えた。
はじめから誰もいなかったかのように、周囲は静寂に包まれる。
童が消えた石壁に手をつき、ナユタはしばらく考え込んだ。
(運営が見逃していた人工知能……もちろん幽霊じゃなかったけれど、そうなるともう一つの〝幽霊〟は──)
彼を呼び止めて確認したかったことは、このクエストが配信停止に追い込まれた最大の理由──つまりは、〝データ化されていないはずの、身近な知人の幽霊〟についてだった。
探偵の元には亡き親友が、ヤナギの元には孫の清文が、そしてコヨミの元には飼っていたペットが現れたと聞いている。
ナユタの元にも──死んだはずの人間が姿を見せた。
(クリアすれば、あの仕掛けについてもわかるのかな……)
とにかく今は、仲間との合流を急ぎたい。
気分を切り替えて、ナユタは姿勢を正した。
そして再び地下通路を歩き出した直後──
彼女はふと、目眩を覚える。
視界が一瞬だけくらりと揺れ、つい眼を閉じてしまった。
──この感覚を、ナユタは前回も味わっている。
ある種の確信と不快感をもって、彼女が目を開けた時。
そこには、彼女にとって忘れられない人間がいた。
警察官の制服を身にまとい、ぼんやりと立ち尽くす青ざめた青年──
生前の眼差しはとても優しかったが、今は制帽の陰に隠れて表情がうかがえない。
祭り囃子が、妙に遠く聞こえる。
「……お兄……ちゃん……?」
ナユタはかすれそうな声を漏らした。
ややぼやけているが、見間違えるはずもない。
──以前の突入時にも、彼女は兄の姿を見かけた。
見間違いかと思ったのはほんのわずかな間で、ナユタの思考はそこでぴたりと止まってしまった。
後は何も考えず、ただ無意識のうちに淡々と周囲の敵を打ち倒し、気づいた時には脱出路に立っていた。
記憶はきちんとある。クレーヴェル達に対しては「知った顔の幽霊を見たが、あまり気にしなかった」と告げたが、この点でも噓はついていない。
彼女はただ、感情をシャットダウンさせただけである。
何も考えなければ、恐怖も寂しさも感じなくて済む。完全に克服まではできずとも、〝麻痺〟させることはできる。
今、この瞬間にも──
兄の姿を視界にいれて、彼女は混乱する事もなく、冷めた思考で感情を殺した。
(……幽霊なんて……有り得ない──)
彼女は幽霊など信じない。そんなものに会えるならむしろ望むところだが、目の前にいる兄は違う。
兄の姿をした〝何か〟であり、ナユタとは無関係の存在だった。
彼の姿が見えたのはほんの数秒のことで、すぐにその存在は消えてしまう。
わずかな目眩が去った後で、ナユタは深く息を吸い込み──そして、肺の中を空っぽにするように長く吐き続けた。
──兄の櫛稲田大地は、《ソードアート・オンライン》をプレイ中に死んだ。
ゲーム内で何があったのかはよくわからない。