三章 幽霊囃子 ⑤

 ただ現実として、兄はナーヴギアをつけたまま、入院先の病院で脳をかれとうとつに死亡した。

 せいかんいのっていた家族は絶望し──その後のことは、思い出したくもない。

 心を守るために、ナユタは多くの感情を殺した。

 たんていのクレーヴェルが、かやあきひこへの明確なぞうを口にした時。

 ナユタはクレーヴェルのことを少しだけまぶしく思った。

 ナユタは犯人をぞうすることからもげた。

 うらみを捨てた、などという聞こえのいい話ではない。ぞうつのらせるためには、兄をうしなったかなしみとも向き合わなければならない。

 ナユタはそうしたいつさいの感情からげ──こうして、別のVRMMOをまんぜんとプレイし続けている。

 兄のゆうれいが消えたくらやみを冷たくえ、ナユタは軽くこぶしにぎりこんだ。

 力は入る。戦うのに支障はない。


(早く、ヤナギさんたちと合流しないと──そろそろ、楽器は入手できたのかな……)


 そんなことを考えながら、かのじよは夢遊病者に近い精神状態のまま歩き始め──

 背後に近寄りつつあった《ふたくちおんな》へ、視線も向けずにこんしんうらけんたたんだ。





 命の重さには相対的なちがいがある。

 赤の他人の命と家族の命であれば、家族の命のほうがおおむね重い。

 不仲であったりぞうする関係であればまた話は変わるが、そうしたとくしゆな事情がからまない限り、身内の死になみだするのは当然といっていい。

 一方で、交通事故で死んだ見知らぬだれかに対し、「お気の毒に」

以上の感想を持つことはまずない。

 そんな事象にいちいちなげかなしんでいては生活もできないし、現に世界の何処どこかでは常に見知らぬだれかがくなり続けている。

 人が他人の死を悲しむためには、その人物に関する《情報》が不可欠となる。

 情報さえ得ていれば、人はくうのキャラクターの、ストーリー中の死にさえもなみだを流す。

 情報をともなわない死はそもそもにんしきすらされない。

 ちょうど今、何処どこかのスラム街のかたすみで、親に捨てられたある子供が薬物中毒をこじらせくなったとして、その死をなげく者は特にいない。

 い悪いの問題ではなく、世間は風に出来ている。

 これはごく健全なことで、もしもそうした無関係の死にまでいちいち悲しんでいたら、人ががおでいられる時間など一生のうちに一秒とて存在しない。

 命の重さには相対的なちがいがある。

 身近な人間ほど重く、見知らぬ人間ほど軽い。

 たんていクレーヴェルにとって、故人である〝なぎきよふみ〟は見知らぬ他人だった。

 その死に対して、「まだ若いのに気の毒なことだ」とは思うが、それ以上の感傷は特にない。

 だから──目の前に現れたきつねめんわらべに対しても、かれの反応はごくたんたんとしていた。

 クレーヴェルはいちいち、相手を過度にびんがったりはしない。それはそれで失礼なことだとわきまえている。

 窓から満天の星を望む、城の天守閣。

 前回と同じ場所に転送されたクレーヴェルは、きつねめんわらべを見下ろしかたをすくめた。


「出てきたか、〝ゆうれい〟のぼうや。君とは話をしたいと思っていた。きよふみ君か? それとも別の名前があるのかな」


 わらべは不思議そうに首をかしげている。

 クレーヴェルは、かれきよふみの分身だと考えていた。

 故人たるなぎきよふみが、このクエストにんだ〝とくしゆけ〟は二つある。

 くなった知人が、ゆうれいとなり姿を見せること。

 そして、運営にも気づかれなかった人工知能、《きつねめんわらべ》が存在すること。

 この二点の安全性を証明するか、あるいはプログラム的な修正をほどこさない限り、クエストの配信停止は解けない。

 ことに問題となったのは前者、〝くなった知人が姿を見せること〟だが、運営はこの現象に対し、規約はんの可能性を疑った。

 VRMMOが人間の脳へアクセスする機能を利用し、ゲーム内において、「個人のおくみと再現」を行う──これはアスカ・エンパイアの規約に明確にはんしている。

 だが、おそらく制作者のきよふみは、が問題になるなどとは考えていなかったのだろう。

 事実、クレーヴェルの推論がもしも正しければ、かれはんこうなどしていない。ただ、それに近い──はんと誤解されても仕方のない、グレーゾーンのけを作ってしまった。

 おう作品のしんには問題が起きなかったことから、そのけがばんにんに作用するものではないことも想像がつく。

 きつねめんわらべがクレーヴェルを指さした。

 無礼な動きはどこかぎこちなく、まるであやつり人形を連想させる。


「……お兄さん、だれ? ぼくはお兄さんを知らないけれど、お兄さんはぼくを知っているの?」

「ああ。生前の君に会ったことはないけれど、私は君を知っている。君の祖父、なぎていいち氏の友人でね。クレーヴェルという者だ」


 すわんであくしゆを求めると、わらべは首をかしげ、みようなことを言い出した。


「クレーヴェル……ぼくと似た名前なんだね」


 たんていまゆをひそめた。

 わらべが何を言っているのか、とつには理解できない。


「……君は、〝きよふみ〟君じゃないのか? もちろん本人ではなく、その分身ともいうべき存在だが──」


 きつねの面からくすくすと笑い声がれた。


「〝きよふみ〟は死んじゃったよ。ぼくは別の名前をもらったんだ。でも……」


 たんていあくしゆを無視して、わらべが一歩、退く。


「お姉ちゃんには教えてあげたけど、お兄さんにはまだだめ。《楽器》すら手に入れてない人には、何にも教えてあげない」


 おにごっこで遊ぶ子供のように、かれは階下に向けてけだした。

 ねるウサギもかくやという勢いで、あっという間にその姿が消える。

 クレーヴェルはつい苦笑いをかべた。


「そう来たか……さすがに、いきなり全部は教えてくれませんね。〝とらさん〟、聞いてました? 例の子供、ちゃんと出てきましたよ」


 ループタイをめる三つ葉模様の留め具から、つかれたような中年男の声が返ってきた。


『こっちでもあくした。本当にいたね……こりゃ、選考に関わった連中は大目玉だ』


 このテストプレイの最中、クレーヴェルたちは運営側からその行動を正確にモニターされていた。

 その上でクレーヴェルのみ、とらと通話可能な状態もしている。

 ヤナギは孫の作ったクエストをプレイしたいだけ、ナユタとコヨミはあくまでその手伝いだが、クレーヴェルには、このクエストに存在するエラーを特定するという〝仕事〟があった。

 文字通り、これはゲームであっても遊びではない。かれにとっては今後の信用かくとくふくめ、生活のかてにつながる収入源である。

 ループタイの留め具を模した通信デバイスから、とらの声がひびく。


『しかし、わからんな。あのかくしキャラ、どうしてきみたちだけの前に姿を見せたのか。テストプレイで見落としたってことは、幸運値のえいきよう程度じゃなさそうだが──』


 クレーヴェルはしんちように見解を述べる。


「運営からかくれる仕様のAIという線も考えていたんですが、今回は運営がモニターしているのに出てきましたね。かくれる意図が特にないとすれば……おそらく、ヤナギ氏の存在がかぎになっていたんでしょう。ヤナギ氏に限らず、自分の家族や友人とおぼしきプレイヤーをふくむパーティーに反応するよう、仕組んでいたのかもしれません。フィルタリングに必要な情報は名前、ねんれいそう、後は……〝きよふみ〟という名前を口にするか、その名前に反応するかどうか、とかですかね」


 とらたんそくした。そこにもった感情は少しばかり重い。


『……制作者から家族と友人に向けたゆいごん、ってところか。後はこっちで調べよう。人工知能関連は少し時間がかかるが──あいつら、最近は運営からのかくれ方について情報共有している節がある』


 とらのこの言葉は、今の時点ではまだ都市伝説に近いじようだんではある。

 だがクレーヴェルは、VR空間において、人工知能の進化がばくはつてきに進んでいることを体感で知っていた。

 例外的な少数の事例ではあるものの、運営の管理からのがれ、人と見分けがつかないレベルの受け答えすら可能とする人工知能が散発的に生まれている。

 そもそも大多数の人間は、人工知能に比べてさほどかしこくもなければ、特にすぐれた部分を持ち合わせてもいない。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影