三章 幽霊囃子 ⑥

 ごく一部のゆうしゆうな人材を除き、九割九分の人間は人工知能にしようやチェスで勝てない。

 クイズのような知識問題ではもちろん太刀たちちできず、ねむりや飲酒の危険性がないために運転の安全性でも負け、性欲がないためにハニートラップにも引っかからず、ものじしない上に節度をわきまえているためコミュニケーション能力も高い。

 さらには、設定だい如何いかようにも性格や態度を変化させられるじゆうなんせいまであわつ。

 クレーヴェルは、そんなかれらの存在を心底おそろしく感じる。

 ただし困ったことに──おそろしいからといってきらいではない。

 くまとらといったもうじゆうおそろしいとは感じつつ、その存在を特にきらってはいないのと同様に、クレーヴェルは人工知能の進化をおそれつつも興味深く観察していた。


「ではとらさん、私はあのわらべの後を追います。他の面々にも何かあったら教えてください」

『うん。ヤナギさんは順調そうだ。女の子二人もちゃんと進行している。まあ……現状、リタイアに追い込まれる確率が一番高いのは君なんだよなあ……』


 心配とていかんがない交ぜになったその声に、クレーヴェルはいつものうすわらいを返した。

 実際その通りで、この後の展開だいでは、とらねん通りの結果になりかねない。

 通信を切った後で、クレーヴェルは天守から下層へと続く階段に足を向けた。

 前回は、ここで出てきた複数のじよろう蜘蛛ぐもにやられた。

 それが固定敵だったのかランダムエンカウントの結果だったのか、それすらまだわからないままだが、とりあえずの対策は持ってきた。

 めくらましのけむり玉、敵をおどろかすせんこうだま、体力をけずどくけむりに、敵とのそうぐうりつを下げるびやくれんこうおとりげんえいまどわせる身代わりの札──いずれもダメージソースにはならないものの、雑魚ざこからげるにはじゆうぶんといえる。

 さつそく、クレーヴェルは階下にせんこうだまを転がした。小型の花火玉を模したかみりの球体が、ことん、ことんと階段をはずみながら落ちていく。

 直後にひびいたわずかなれつおんせんこうの後に、複数の足音ががちゃがちゃとあわてて遠ざかった。

 下に待ちかまえていたじよろう蜘蛛ぐもはらい、クレーヴェルはゆうゆうと階段を下り始める。

 ステータスの都合上、不意打ちには弱いが、敵の出方さえわかっていれば、こうしてある程度までは対処できる。

 天守閣の下はいたきのろうが前後に続いていた。

 片側はがいへきに面し、もう片側にはいたかべが連なっている。

 実際の城では、天守閣の下は特に仕切りのない広間となっている例が多いが、この城はあくまでダンジョンとして設計されていた。

 リアリティを重視するか、それともゲームとしての都合を優先するか──こんなところからも、制作者の性格やこうがうかがえる。

 他のプレイヤーにとってはどうでもいいことだろうが、たんていたるクレーヴェルにとっては、こうした細かい要素も重要なヒントだった。


(さて、合流用の〝楽器〟を探さないといけないわけだが……特に敵をたおす必要はなく、葛籠つづらとびらの先にかくしてあるという話だったな)


 これはとらから聞いたヒントだが、そもそも仕様として単独行動をいられた時点で、合流前に〝強い敵をたおす〟必要がないことはして知れた。

 単独せんとうに向かない職種の場合、下手をすればそこで進行不能におちいりかねない。たとえ制作者が意地悪くそうしたじようきようしたとしても、配信時には運営側のバランス調整が入る。

 油断はできないが、絶望するような事態にはほどとおい。

 げた蜘蛛くももどってくる前に足早に、それでもしんちようさを失わず、クレーヴェルは暗いろうを歩み始めた。

 変化は五分とたないうちに起きた。

 やみもれた正面に、ぼんやりとあわひとかげかぶ。

 クレーヴェルはわずかなまいと共に立ち止まった。


(……来たか)


 この感覚は初めてではない。

 らすまでもなく、クレーヴェルの目前には〝かれ〟が現れつつあった。

 和風の城には不似合いなプレートメイルに身を固めた、かたはばの広い体育会系の青年──

 手にしたつるぎは半ばで折れ、ざんかれた腹部からは黒い血があふれている。

 顔は見えないが、もんの表情であることは容易に察せられた。

 たんていは低くうなる。


(やはり〝出た〟か──きつねめんの人工知能よりも、こちらのほうがより大きな問題だが──)


 この《ゆうれい》におどろいたプレイヤーが入院するさわぎを起こしたことで、クエスト《ゆうれいばや》は配信停止にまれた。

 かれが何を見たのか、具体的にはわからないが、親兄弟やこいびと、友人知人等、近しい〝だれか〟であったことはちがいない。

 今、クレーヴェルの前にいるプレートメイルの青年も、クレーヴェルにとっては身近な存在だった。

 相手をにらむようにまゆを寄せつつ、たんていはループタイの通信を開く。


「……とらさん、見えてますか? 続けて出ましたよ。きつねめんではなくて、問題を起こした本物の〝ゆうれい〟のほうです」


 ──返答はない。

 クレーヴェルは思わず舌打ちをらした。


(通信が……ぜつしたか)


 有り得ない──とまでは言い切れない。

 むしろ、〝ゆうれい〟の仕様がかれの想像通りのものであるならば、この事態は当然とも言えた。

 コンソールも表示されない。

 アイテムらんも出てこない。

 ちょっとしたまいに加え、にはかなしばりにも似たかんがある。決して体が動かないわけではないが、どうにもだつりよく気味で五感のすべてにうすまくがかかっている。

 ──それはまるで、〝夢〟の中だった。

 クレーヴェルのき親友は、プレートメイルの金属音をともない、よろめきながら近づいてくる。

 その痛ましい姿に目元をゆがめつつ、たんていはつい、アインクラッドにおけるかれの名を口にした。


「相変わらずのろまだな、《ヤクモ》……死んだ後までアジリティ軽視か。そこまでがんじようさを重視しておいて、どうしていちげきなんてじようきようおちいるかね──」


 皮肉交じりに告げつつも、こわ何故なぜふるえた。

 かつての親友はふらふらと歩き続けている。だが、足は動いているのにクレーヴェルのそばへ近づいては来ない。

 動く歩道の上を逆走しているかのように、その身は一定の位置から進んでいなかった。

 そんなゆうれいの姿が見えたのはほんの一分足らずのことで、あっという間にかれやみの中へもれてしまう。

 再び軽いまいがした後に、クレーヴェルを呼ぶ耳慣れた声が聞こえた。


『……君……くれ君! どうした? 返事をしなさい!』


 とらにしてはめずらしく、あわてた様子だった。

 たんていは深呼吸の間にかろうじて言葉を選ぶ。


「……とらさん。失礼しました。ちょっと、ぼうっとしていまして──」


 ループタイの通信機しに、あんの様子が明確に伝わってきた。


『ぼうっと、って……君、いまぞ? いや、ていたというか、脳波がレムすいみんに近い状態だったというか──』


 自宅から接続している他の面々とちがい、クレーヴェルは運営の用意したりようせつからログインしている。

 これは安全策などではなく、テストプレイに際して脳波や精神状態をチェックするための、いわばけんたいてきな役割を期待されてのだった。


「……そうですか。ていましたか」

『ほんの少しの間だから、センサーの誤作動かとも思ったがね。ほうやアイテムで強制的にねむらされたような変化だった。今、スタッフがくわしいかいせきを試みている。データがもう少ししいんだが、続けられるかね?』


 クレーヴェルはついしようらした。


「当たり前でしょう、とらさん。ちょうど今、くだんの《ゆうれい》とそうぐうしていました。結局、あれは脳が見せるただのきよぞう──〝夢〟の産物です。危険はないと証明されたようなものですよ」


 クレーヴェルは今、確かに〝ねむって〟いた。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット3の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレット2の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ クローバーズ・リグレットの書影