童が懐かしげに呟き、中空にメニューウィンドウを開いてみせた。
(この子は、清文の作業を手伝ってくれていたのか……)
つまりは、人工知能とはいえ友人の一人なのかもしれない。
ヤナギは深々と頭を下げた。
「孫が、たいへん世話になりましたようで──」
狐面の童が笑い出した。
「お爺ちゃん、やっぱりいい人だね。清文が言ってた通りだ。あの戦巫女のお姉ちゃんと探偵さんは、ちょっと勘が鋭すぎて扱いに困るけど……忍者の子とお爺ちゃんには、頑張ってクリアして欲しいかな」
ブランコを漕ぎながら、童が狐に向けて手を振った。
白い狐の片方が、しゃなりしゃなりとヤナギの足下へ近づく。
「こん」
小さく一声鳴くと、その前足の上に小鼓が現れた。
おもむろに差し出されたその楽器を、ヤナギは慎重に受け取る。
「この楽器はもしや、仲間と合流するために必要な……?」
「うん。どうせあの大広間を突破したら手に入るものなんだけれど、お爺ちゃん、急いでいるみたいだし。忍者の子もちょっと前に手に入れたみたいだから、すぐに合流できると思うよ」
どうやらコヨミも、今回は首尾良く進めているらしい。
礼を言うために顔をあげると、もうそこには誰もいなかった。
狐面の童はもちろん、二匹の白狐も含め、影も形もない。
幽霊もかくやの唐突な消え方に、ヤナギはしばし呆気にとられる。
「……はてさて、なんとも面妖な……」
やがて笑みをこぼした彼は、無人の庭園に深々と一礼を送り──
錫杖を突きながら、暗い大広間へと再び戻っていった。
コヨミは陽気に歌いながら、城内の長い廊下をびくびくと歩いていた。
「……やーっつのおーいしーさ、やーなぎーもちー……♪ おーみやーげうーれしーい、おー徳ー用ー……♪」
ヤナギの会社、矢凪屋竜禅堂が流していた一昔前のCMソングだが、特に好きな歌というわけではない。
歌っているのは独りの恐怖を誤魔化すため、選曲は関係者アピールをしてトラップの演出にせめてもの手心を加えてもらえないかと期待してのものであり、早い話が彼女は今、とても怯えている。
探索から入手した楽器、《十六夜の鉦》を銅鑼のようにガンガンと鳴らし続けているのも、風情もへったくれもなく、ただただ誰かと早く合流したい一心からだった。
「うううっ……! 誰もいねえー! なによ、楽器見つけたらなゆさんと合流できるはずでしょー!? なんでこんな状況で城内歩き回らなきゃいけないの聞いてない有り得ないふざけんな責任者でて……あーごめんごめんごめんやっぱ出てこなくていい怖い怖い怖いぃっ!」
音に誘われて寄ってきた蝙蝠を、忍刀の一撃で葬り去りつつ、コヨミは泣き言を続ける。
「なゆさんどこー!? ヤナギさんでもいいよー! でも探偵さんはガチでどーでもいい! てゆーか探偵さんとなゆさんが二人きりでイチャついてたりしたら私キレるから! イチャついてなくてもキレるから!」
恐怖のあまり勢いで適当なことを叫んでいるだけだが、ナユタと早く合流したいのは紛う事なき本音だった。
騒ぐうちに、廊下の角から死霊兵の群がわらわらと湧いてくる。
彼らは骸骨武者の劣化版である。骸骨武者を侍とするならば、この死霊兵達の立ち位置は足軽に近い。
見た目は和風軽装のゾンビそのもので動きも鈍いが、数多く出現するために油断すると背後をとられてしまう。
「ひっ!? で、出たああっ!?」
現れた大群に怖気立ち、コヨミは忍刀を抜き放つ。
「こないでー! 来んなー! 近づいたら呪ってやるぅぅぅぅっ!」
そんな絶叫とともに──
彼女は迷うことなく一直線に、敵の真正面へと切り込んだ。
二体まとめて首をはね、飛んだ頭の一つを蹴飛ばして敵の注意を誘い、その隙に身を低くして更に切り込む。
複数の兵の膝下を容赦なく薙ぎ払い、立っていられずに転げた敵の上へとどめの刃を次々に振り下ろし、あまりの勢いに恐慌状態となった残りの敵の退路へ素早く立ち塞がる。
「きゃああああっ! 怖いっ! 怖いっ! 誰か助けてぇぇぇぇっ!」
ほとんど泣きながら振るわれるコヨミの刀は、一閃ごとに確実に敵を屠っていく。声や表情とは裏腹に、動きには一分の無駄もない。
そんなコヨミに怯えて逃げ出そうとする哀れな死霊兵達は、次々に凶刃の餌食となり、腐りかけの屍を晒していった。
「ひぐっ……! えぐっ……! もおやだぁぁ……」
あらかたの始末を終えて子供のように泣きじゃくるコヨミの足下から、瀕死の死霊兵が這って逃げようとした。
コヨミは視線も向けずに敵の背へぶすりと刃を突き立て、ぐりぐりと駄目押しを加えた上で、わずかばかりの経験値と報奨金を確実に入手する。
遅れて救援に来た女郎蜘蛛を視認すらせず火薬玉で吹き飛ばし、彼女はアームウォーマーでぐしぐしと返り血を拭った。
「ううっ……いたいけな乙女に集団で襲いかかってくるとか、鬼畜すぎる……セクハラで訴えてやるぅぅ……」
鉦を叩いて再び歩き出しながら、彼女は震える声でまた歌い出す。
「……やーっつのおーいしーさ、やーなぎーもちー……♪ 死ーにたーいやーつかーら前ーへ出ろー……♪」
恐怖のためか、歌詞が微妙に変わってしまった。
あわよくばとバックアタックを狙っていた一匹のイタチが、何もできずにガタガタと震えながらその背を見送る。
──恐怖を抱く者が常に弱者とは限らない。一匹のゴキブリに怯える人間が、そのゴキブリよりも弱いという保証は何処にもない。
鉦を鳴らす小さな殺戮者に安堵の瞬間が訪れたのは、それから数分後のことだった。
「……コヨミさん? 何で歌ってるんですか……?」
「…………な、なゆさぁぁぁんっ!? わあああああっ!」
曲がり角から現れた戦巫女の美少女に、コヨミは恥も外聞もなく飛びついた。
どさくさ紛れで豊かな胸に顔を埋めてデータ上の柔らかさを堪能しつつ、演技ではない嗚咽を漏らす。
「こ、こ、怖かったよおおっ……! なゆさん遅いぃー! 楽器入手してから一時間以上経ってるのにぃー!」
「あー……すみません。色々と探索していて……城内が広すぎる上に、自動生成のゾーンもあるみたいなんです。マッピングがあんまり役に立たなくて困りました」
抱きつくコヨミの頭を子供扱いに撫でながら、ナユタがいつも通りの怜悧な声を寄越した。
視界の端に見えた唐傘お化けへ素早く苦無を投げつけつつ、コヨミは安堵の深呼吸を繰り返す。
「ううう……やっと……やっと合流できたぁぁ……もうね、ほんと大変だったの。狐面の子は顔だけ出して〝お姉ちゃんは別にいいや〟とか言い残してすぐ消えちゃうし、頭の上から以津真天に鳥の糞落とされるし、露天風呂コーナーを抜けたらお歯黒べったりから痴漢扱いされるし、迷い込んだお茶室ではぬらりひょんにお茶を点てられて正座で足が痺れるし……お茶菓子はおいしかったけど!」
「…………なんだか、随分と愉快なことになっていたみたいですね」
コヨミとしては恐怖の体験談を話したつもりだったが、ナユタには伝わらなかったらしい。