「で、なゆさんのほうは? 大丈夫だった? 怖い目に遭ってない?」
「はい。特には──宝箱の成果もいまいちで残念でした」
この返答に、コヨミは違和感を持った。
「成果って言っても……そもそもこれってテストプレイだから、追加でレアアイテムを手に入れても意味ないよ? や、私もついいつもの癖で、経験値とか確保しちゃってるけど」
そう指摘すると、ナユタは呆けたような眼差しでしばし固まった。
「あ……そうでしたよね。すっかり忘れてました。私もつい、いつもの習慣で」
しっかり者の彼女にしては珍しいミスだった。
違和感を拭えないまま──コヨミは、ナユタの顔をじっと見上げる。
「……なゆさん。何かあった?」
ナユタが不思議そうにコヨミを見下ろした。
「いいえ? 特に何も。普通に探索していただけですが……」
コヨミはナユタの眸をじっと見る。
それは本物の
「眼」ではない。表情などの生体情報をある程度まで反映してはいるが、あくまでVR空間において作られたキャラクターデータとしての眼球である。
本物のナユタはアミュスフィアを介して別の場所にいる。
それを承知で──コヨミはなお、彼女の眼の色に放っておけないものを感じた。
「なゆさん。ちょっとここ座って」
ナユタの袖を引き、その場に座らせる。
育ちのいいナユタは自然体で正座となり、優雅に首を傾げた。
「コヨミさん? どうしたんですか?」
すかさずコヨミは、両腕でナユタの頭を抱え込んだ。相手が座っていれば、さすがに身長の差も埋められる。
ナユタが驚いたように息を詰まらせた。
「……あ、あの……コヨミさん……?」
「……あのね、なゆさん。話したくないこととかは、別に話さなくていいと思うんだ。誰だって人に知られたくないこととかあるし、私も無理に聞こうとは思わないし……でも……でもさ──」
コヨミは珍しく慎重に、ゆっくりと言葉を選んだ。
「甘えたい時は、何も言わずに甘えていいんだからね? もちろん話したいことがあればぶちまけていいし、どんなにしっかり者に見えたって、なゆさんはまだ女子高生で、どんなに頼りなく見えたって、こちとら一応は社会人で……つまり、えーと……ほら、何が言いたいかっていうと……」
珍しく真面目なことを言おうとしたせいで、どうにもうまい言葉が出てこない。
ぐたぐだになる寸前で、コヨミは開き直った。
「要するに、なゆさんはもっと私に甘えて! 私が甘えてばっかでなんか悔しいし!」
「え……ええ……?」
ナユタが明らかに戸惑う声を漏らした。
ただ先程までの彼女と違い、空っぽだった部分に何かが戻ってきたような印象がある。それはコヨミの錯覚かもしれなかったが、少なくとも悪い変化ではない。
「はあ……まあ……そのうち、何か弱音を吐くこともあるかとは思いますが……」
「そうそう。そういうの待ってるから。悪い男とかに引っかかる前にちゃんと相談してね? なんなら大阪で同居する? 部屋空いてるよ?」
「……まあ、他意はないものとして受け取っておきますが──同居はさすがに遠慮しておきます。それよりヤナギさんを探しましょう。探偵さんはどうでもいいですが、ヤナギさんと合流しないことにはおちおちクリアもできません」
抱擁を解きつつ、コヨミも頷いた。
「だよねえ。まだ楽器、手に入れてないのかな……? リタイアしてないといいけど……」
「とはいえテストプレイですから、デスペナルティなしですぐに復帰できます。時間はかかっても、いずれは合流できるはずです」
「うん。問題は何処にいるかだよね。私の通ってきたルートとなゆさんの通ってきたルートを除外して、他の方向となると……」
コヨミの視線は、自然と上を向いた。
コヨミは露天風呂から一階部分を中心に巡ってきた。
ナユタも地下と一階をメインに動き回っていたはずで、ワープゾーンだらけの広大な城といえど、さすがにこの階層ではほとんどの箇所を調べたように思える。
問題は──
「……なゆさん。上の階に進む階段って何処かで見かけた?」
ナユタが首を横に振った。
「地下からこの一階へ上がる階段はありましたが……二階より上に続く階段は、まだ見つけていません」
さすがにおかしい。
(……ってことは……どこかに隠し階段かワープゾーンがあるのかな?)
コヨミとナユタは目配せをかわす。
他のクエストでも共に攻略を進めてきた仲だけに、このあたりの予測は口に出さずとも伝わる。
「どうします? 二手に分かれて調べますか?」
「それはやだっ!」
即座に拒絶し、コヨミはナユタの腕にまとわりついた。
「なゆさんは平気でも、私のメンタルはもう割と限界っ! ガチで怖かったんだからね!? とりあえず一緒に動くのは大前提として……なんかヒントとかないのかな。上の階に行けるような──」
ナユタが真顔で思案する。
「そういう謎解きはあの探偵さんが得意そうですが……たぶん、楽器を鳴らすと隠し階段が見えるとか、隠しスイッチを押すと階段が降りてくるとか、そういう系統かと──」
「あー。ありそう……どっちみち、まだしばらく右往左往するしかないか。ヤナギさん何処かなぁ……」
暗い廊下を並んで歩き出しながら、コヨミはふと異音に気づいた。
──何処か遠くで、祭り囃子が鳴っている。
これまでも探索中にちょくちょく聞こえてはいたが、雰囲気作り以上の意味を読みとれずにいた。
囃子方の姿は見えないが、改めて耳を澄ますと──
音色は、天井板を越して上層階から聞こえているようにも思う。
ナユタも同じことを感じたらしい。
「あの祭り囃子って、もしかしたら上の階を練り歩いているんでしょうか?」
姿は見えず、音色だけが聞こえる──それでいて同一階で奏者と遭遇しない以上、冷静に考えれば、音の出所は天井や床に遮られた階上・階下のどちらかとなる。
音色は少しずつ遠ざかりつつあった。
コヨミは慌ててナユタの腕を引っ張る。
「なゆさん! あの音、追いかけてみよう。出所はわからないけど、なるべく音が聞こえるように移動するの。もしかしたら……あれが隠し階段のヒントかも!」
この閃きは確信に近かった。《幽霊囃子》というクエスト名からしても、囃子の音が何らかの鍵になっている可能性は高い。
「……なるほど。目に見えないのは幽霊だからだけじゃなくて、そもそも階層が違うから、ですか……なんだか騙されたような気分です」
心なしか、ナユタの言葉は不満げに聞こえた。
コヨミはそんな彼女の愚痴を笑い飛ばす。
「ま、こっちが勝手に誤解してただけっぽいけどね? よく考えたらこのクエスト、テキスト的にはほぼノーヒントでここまで進んでるわけだし……なんかアレだよね、〝解釈がプレイヤー次第で変わる〟って立ち位置を目指してるんじゃないかなー、とか……」
ナユタがふと眉根を歪めた。
表情の変化に気づき、コヨミは首を傾げる。
「あ……私、何か変なこと言っちゃった……?」
「いえ……コヨミさんってたまに、ど真ん中をえぐるような鋭いことを言うなぁ、って……そうですね。たぶん……その通りなんだと思います。このクエストは、プレイする人間によって見えるものが変わってくる──情報を制限することで、あえてそういう風に作ったんでしょうね」
ナユタが頷き、急ぎ足に歩き出した。コヨミも慌てて後を追う。
囃子の音色が遠ざかると方向を変え、時には曲がり角で引き返しつつ、二人は階上の音を追いかけてしばらく移動を続けた。
「このマップ、やっぱり自動生成だよね? ちょっと広すぎるし、構造が妙にランダムっぽいし」
「そうだと思います。ヒントに気づかない限り、延々と迷い続ける羽目になりそうですね」
話しながらもナユタの足は止まらない。
やがて二人が辿り着いた先は、漆喰の塗り壁に囲まれた袋小路だった。
祭り囃子の音色は頭上を通り抜け、壁の向こう側へと進んでいく。
「……なゆさん。あそこ」
「……はい。怪しいです」
闇の中にぼんやりと浮いた漆喰の白壁は、見た目としては何の変哲もないただの行き止まりだった。
頭上の祭り囃子がなければ無視するところだが、さすがに今は素通りできない。
隠しスイッチの類を探すつもりで、コヨミは壁に手を添えた。
──たちまち、ぐるりと壁が回る。
「うわおっ!?」
「コヨミさん!?」
あまりにスムーズな動きに驚いて、コヨミはそのまま前のめりに倒れかけた。壁が支えにならず、摑まる場所もまるでない。