法力の光を目印に、二人は広間を駆け抜ける。
ヤナギの背後には石造りの壁と、さして大きくもない鋼鉄製の扉が見えた。
そこへ飛び込めば、ひとまず背後の大蛇達からは逃げ切れる。
ヤナギが開けた扉の向こうへ、二人はほぼ同時に駆け込んだ。
直後に扉を閉め、大蛇の追撃が止んだのを確認した後、三人はようやく合流を喜び合う。
「ヤナギさん、楽器を見つけられたんですね! 心配していました」
老僧は穏やかな笑顔と共に、編み笠を軽く上げた。
「は、恐縮です。私も一時はどうなるかと思ったのですが……例の狐面の童が助けてくれました。彼は、清文の残した人工知能だそうで──孫本人ではありませんでしたが、貴重な経験をさせていただきました」
ヤナギはどこか吹っ切れたような、清々しい表情へと転じていた。
まだクリア前だというのに、もう目的を達したような風情でもある。
「ヤナギさん、何かいいことがあったみたいですね」
指摘すると、ヤナギは恥ずかしげに眼を細めた。
「はあ。なんと申しますか……私は孫のことを理解しているつもりで、実はそうでもなかったと思い知りまして」
そんなことを思い知れば普通は凹みそうなものだが、ヤナギは満足げだった。
つい首を傾げると、ヤナギはまた笑った。
「埒もないことです。さて……クレーヴェル氏はご一緒ではないようですな」
「あの人はリタイアしている可能性が高いです。放っておいて、私達でクリアを目指しましょう」
この場にいない探偵を冷たく突き放して、ナユタは背後にある鋼鉄の扉を軽く拳で叩いた。
扉の向こう側には、おそらくまだ三匹の大蛇がいる。
コヨミは彼らを特殊罠かもしれないと言ったが、ナユタはまだ、あの蛇達がクエストのボスだと考えていた。
ただ、真正面から戦って勝てるとは思えない。
一息ついたところで、彼女は改めて周囲を見回す。
鋼鉄の扉を境にダークゾーンは終わり、ナユタ達がいるのは外に面した幅広の渡り廊下だった。
どうやら本丸から別棟へと続く連絡通路らしい。城の周囲にもぐるりと屋根のない回廊が巡っており、さながら遊歩道のように整備されている。
清水の舞台を数十倍にしたような無茶な広さだが、ただの足場ではなく、一層にあるダンジョンの屋根がそのまま屋上回廊となっている様子だった。
見方によっては何かの祭殿、あるいは巨大なオープンデッキにも近い。
「ひっろい……わあ、お星様きれー……」
コヨミの呟きに誘われ視線を空に転じれば──雲は晴れ、満天の星が瞬いていた。
ダークゾーンを抜けた開放感と、大蛇から逃げ切った安堵も手伝って、ナユタも思わずこの景色に見惚れる。
一方、切り替えの早いコヨミは子犬のようにパタパタと周辺を見回り始めた。
「えっと……ヤナギさんはもしかして、通路を越えてあっちの別棟から来たの? ダークゾーンは通ってないんだよね?」
ヤナギが苦笑混じりに頷いた。
「はい。こちら側に渡ってきたところ、扉の向こうから何やら騒音が聞こえたもので──入った途端、お二方が蛇に追われていて驚きました。いやはや、あの大きさは厄介ですな」
言葉とは裏腹に、声はどこか楽しげだった。
星を見上げ、ナユタはじっと思案する。
彼女は地下からスタートした。コヨミは一層の露天風呂からで、ヤナギが飛ばされた大広間はどうやら別棟だったらしい。
探偵もおそらく前回と同様に天守閣へ飛ばされたはずで、もしかしたら上層で足止めされているのかもしれない。
(みんなバラバラの場所からスタートして、このダークゾーン周辺がゴールで合流地点……ってことになるのかな……?)
考え込むナユタの袖を、コヨミが子供じみた手つきで引いた。
「なゆさんなゆさん、あっちに上に行く階段と下に行く階段があるみたい。あと──ここってただの渡り廊下じゃなくて、お城の周囲を巡る回廊になってるよね。結構な広さだけど、何か仕掛けがあるかもだし、調べてみる?」
下層に下りる外階段は、おそらく一時離脱してセーブするための非常口と見ていい。
だがテストプレイ中の今は、得たアイテムや経験値を個人のデータに引き継げず、逆にイベントフラグはテストプレイ用に常時継続する仕様となっているため、戻る意味がほとんどない。
別棟はヤナギが探索済みだけに、進むべきルートは上層か、あるいは周囲の回廊そのものとなる。
「まずは上層に行ってみましょうか。もしかしたら探偵さんが足止めされているかもしれませんし」
「あー。あの人、天守閣からスタートしてたんだっけ……おっけー。じゃ、お先に──」
コヨミが階段に駆け寄った時──
闇夜に不意の咆吼が響きわたり、星明かりを遮る長い影が頭上を横切った。
ナユタは弾かれたように顔を上げる。
上層階の壁にいくつか空いた、巨大な四角い穴──
その穴の一つから、一匹の大蛇が鎌首をもたげ這いだしつつある。
全身は見えず、細長く伸びた姿はまるで城から生えた手のようだったが、指の代わりに剝かれた鋭い牙は凶悪な存在感を放っていた。
獲物を射貫く鋭い眼差しを真っ向から睨み返し、ナユタは即座に身構える。
大蛇は落ちるような速さで、ナユタを丸吞みにしようと迫った。
跳び退いてこれを避け、彼女は敵の側面に回り込む。
そのまま気合いの声すら発さずに、蛇の側頭部、顎の付け根近くへ掌打を叩き込んだ。
眼を狙い損ねて手近な箇所を殴りつけただけだったが、怯んだ大蛇は大きく身をよじり、城の外壁に張り付き直す。
──手応えはあった。
大蛇の傍にはヒットポイントのゲージが表示され、ごくわずかながらも確かに減っている。
状態の変化を見定めた上で、ナユタは膝に力を溜め身構えた。
「な、なゆさん! 大丈夫!? ケガない!?」
「あの大蛇、よもや外にまで出てくるとは……!」
ナユタは大蛇から意識を逸らさないまま、慌てて駆け寄った二人へ目配せを送る。
「……あの大蛇、やっぱり罠じゃなくてボスみたいです。ここで仕留めましょう」
「うぇ!? に、逃げないの!?」
ナユタは構えを解かない。
「さっきのダークゾーンでは、視界が悪い中で三匹も一度に出てきたから退きましたが……今は視界も広く、相手は一匹だけです。やりましょう」
「で、でもさあ! あんなの、上に逃げられたら届かないし……」
「逃げるどころか──向かってきてますよ」
ナユタは正面に駆けた。
一度は外壁上方に逃げた大蛇が、再び矢のように直線的な動きで飛びかかってくる。
「あああああ! もうっ! やらいでかーっ!」
開き直ったコヨミも、何故か江戸っ子のような掛け声とともに走り出した。
後衛をヤナギに任せるためにも、前衛二人は前へ出る必要がある。狭い範囲での乱戦になれば肝心のヤナギが危ない。
大蛇の顎をかわしつつ、ナユタは側面に回り込み、再び鱗の上から拳撃を見舞う。
ただの殴打ではない。戦巫女の巫力を込めた破邪の《祓打ち》は化け物全般によく効く。
初撃では大蛇を生物と判断し、対生物用のスキルである《破砕掌》を使ってみたが、手応えはあったもののクリティカルとはいかなかった。
今回の一撃は、先程よりも相手のHPを倍以上削っている。
強い衝撃に応じて、大蛇も大きく中空でのたうち回った。