「コヨミさん! この大蛇、生物じゃなくて妖怪です! 対霊系の攻撃のほうがよく効きます!」
「がってん! 往生せえやあっ!」
コヨミも適当な掛け声とともに、忍刀を蛇の胴体へ突き刺す。
同時に忍術《迅雷》を発動させ、突き刺した刃の向こうへ電流を流した。
ばちばちと肉の爆ぜる音が響きわたる。
怯んだ相手への追撃もかねて、ナユタは蛇の眉間へ飛び乗り、見開かれた片目を拳で叩いた。
貫くには至らないが、感覚器への攻撃は弱点を見事に突いたらしく、大蛇のHPが大きく減っていく。
「あれっ!? こいつ意外と弱い!?」
コヨミが頓狂な声を上げた。
ナユタの感想も彼女と近い。まだ倒していない以上、呆気ないとまでは言えないが、苦戦を覚悟して立ち向かった分、拍子抜けした感はある。
(……難度が高くないクエストのボスなら、これくらいでちょうどいいのかな?)
まだあと二匹いるため、最後まで油断はできない。ただ、この一匹目に関してはどうやら小手調べ程度の存在らしい。
「なゆさん! このまま一気に倒しちゃおう!」
「はい!」
二人はほぼ同時に、左右から大蛇へ飛びかかった。
コヨミの忍刀が大蛇の眉間を貫き、ナユタの拳が破邪の光を伴い左目を打つ。
闇を裂く咆吼が轟き──哀れな大蛇は、その場に身を横たえた。
「よーし! この程度なら残り二匹はまとめていける!」
「なんともはや……私は見ているだけでしたな」
勢いづくコヨミと苦笑いを見せるヤナギは好対照だったが、クリアへの道筋が見えただけに空気は明るい。
ナユタもほっとして構えを解いたが、やがて彼女は違和感に気づく。
──倒した大蛇の死骸が、なかなか消えない。
それどころか、城内におさまったままの尻尾側からずるずると引きずられはじめている。
コヨミが頰をひきつらせた。
「……あっれー……? HPが0になったのに消えない……ってか、動いてる……え? なんで? ……お城側で誰かが引っ張ってる……?」
ナユタも無言で状況を見守る。
戦闘は終わっていない。むしろ今の一戦が開始の合図だったらしい。
大蛇が城内に引き込まれて数瞬後──それは起きた。
〝おおおおおおおぉ……〟
辺り一帯を震撼させる勢いで、地鳴りのように低い声明が涌き上がる。
驚いて見上げれば、城の上層を囲む足場は半透明に透けた奏者の群により埋め尽くされていた。
黄金色に色づいた囃子方の群には一切の表情がない。
烏帽子に狩衣、あるいは褐衣姿の《幽霊囃子》が、携えた楽器を一斉に奏で始め、その荘厳な音色でもってナユタ達を圧倒する。
ナユタは思わず呼吸も忘れ、この世のものとは思えぬ調べに聞き入った。
数百人に及ぼうという大楽団の一糸乱れぬ演奏は、壮観を通り越して異様にさえ感じられる。
常識外れの祭り囃子が響く中、城の外壁にも異変が起きた。
細かな軋みが揺れへと変わり、やがて外壁の前面が大きく崩れ──
そこに現れたのは、八つの頭と八つの尾を持つ巨大な蛇の化け物だった。
一つに収斂した太い胴体は、階上にずっしりと横たわっている。
城の側面からは八つの尻尾が垂れていたが、振り回したところでナユタ達までは届かない位置にある。
敵の攻撃手段であり、ナユタ達の攻撃目標ともなるのは、地上を睨みつける七つの頭だった。
八つあるうちの頭の一つは、ナユタとコヨミの攻撃によって既に倒れている。同じ体につながってはいるものの機能しておらず、他の七頭が身をくねらせる中、一匹だけぐったりと城内に伏していた。
そして七つの頭が、拍子にあわせ一斉に牙を剝く。
コヨミがナユタの腰にしがみついた。
「や、《八岐の大蛇》……!? イベントで一度だけ見たことある! でもあれ、百人規模で戦う合戦の大ボスだった気が……!」
「──よく見てください、たぶん幼生です」
コヨミよりは幾分か冷静に、ナユタは相手を見定める。
以前のイベントで見かけた八岐の大蛇は、それぞれの蛇が河川ほどの太さに達し、胴体の長さは山を越えていく文字通りの大怪獣だった。
それに比べれば、一頭あたりが列車程度の太さで済んでいる目の前の大蛇は、十分の一以下の小柄な怪獣といえる。
──ただし、「三人で立ち向かう相手」としては少々どころでなく厳しい。頭だけでも残り七つある。
背後のヤナギが呆けたように呟いた。
「これはまた、面妖な……とんでもない大きさですが、厄介な敵なのですか?」
「そ、そりゃあもう……ね、なゆさん。合戦の時の八岐の大蛇って、確か頭ごとに違う特殊能力があったよね……?」
「はい。火炎、氷結、操風、毒、麻痺、鱗硬化、幻惑の邪眼、超回復──ですね」
会話に出ている対《八岐の大蛇》戦は、《百八の怪異》のイベントではない。
昨年の、まだコヨミと知り合ってもいない頃に開催された単発の集団イベント戦であり、今にして思えば、《百八の怪異》実装に向けたテストイベントだったものと推測できる。
このイベント戦での八岐の大蛇は、図体が大きすぎて小回りが利かず、それぞれの頭を二十人ほどの班で分担して叩く協力型の大戦だった。
一匹を担当する二十人程の班が壊滅すると、勝った大蛇は別の頭の加勢に向かうため、負ける班が増えるとそれだけ他の班が厳しくなる。
反対に担当分の頭を潰せば、プレイヤーは他の班の加勢に向かえる。
互いに戦力を削り合い、どちらかが壊滅するまで続くこのバトルには、ナユタも散々に苦労させられた。
コヨミに至っては一戦でクリアを諦め、以降はイベント終了まで放置していたと聞く。
サイズが小さくなったとはいえ──この八頭の大蛇を相手に少人数で立ち回るとなれば、乾いた笑いしか出てこない。
「……そういえば、運営がクエスト制作用に公開した竜系のフリー素材にもありましたね、《八岐の大蛇》のモデル──お孫さんは、それをクエスト用に加工したんだと思います」
カラーも変更されているとはいえ、気づかなかったことは情けない。
反省するナユタの脇でコヨミが唸った。
「……あのさ、なゆさん。つまり今、私達が倒した大蛇の能力って──」
ブレス攻撃はなかった。防御力も控えめで、早い話が拍子抜けするほど弱かった。
仮に何か特殊能力があるとすれば──
ヤナギが眼を細め、錫杖の先端を城内の大蛇に向けた。
「はて……お二方。先程倒したはずの大蛇が、眼を覚ましたようですが──」
伏せていた大蛇が、ゆっくりと鎌首をもたげる。
一度は尽きたはずのHPは二割程度まで回復し、他の頭達が気遣うように彼の身を支えた。
ナユタは思わず額を押さえ、コヨミが大きく肩を落とす。
「……や、やっぱり超回復かっ……!」
「……いい準備運動になった、と思いましょう」
豪勢な祭り囃子が響く中──
ナユタの眼には、八つ首の大蛇が揃って嘲笑を浮かべたように見えていた。